地図1
渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに行くことになったので、渋谷周辺を散歩。未だ行ったことのない駒場公園に旧前田侯爵邸を見物することにした。おいらは渋谷をよくわかっていないので少し周辺を廻ってみることにした。なおこのブログ記事は何より自分のためのもので、このブログ記事を書くことで渋谷周辺が少しわかった。
(あたりまえのことなんですが、おいらは、あんまり知りませんでした)
具体的にわかったこと・再確認したこととして;
*道玄坂と宮益坂はJR山手線・明治通りを挟んで東と西の反対に伸びている;
*当然両者が出ている低地が渋谷の谷であり、海退時にできた谷が海進期に土砂で埋もれてできた谷底平野;
*渋谷駅周辺には高台=残丘(台地)がある;円山町はやや高度が低くラブホテル街がある一方、となりの松濤は高級住宅街であり外国大使館がある;
*渋谷から少し西にいった駒場付近は淀橋台の下末吉面がよく保存されている。「駒場野」という名づけが納得できる。
*池尻大橋への段丘斜面は崖に近いほど際立っていて、段丘マニアにはうれしい。
①渋谷駅 ⇒ ④Bunkamura
地図2
渋谷駅の7番出口から地上に出る。宮益坂を東へ登る。
以前から興味深く思っていた。この昭和の商店街的駅ビル。
宮益坂
緩い坂を登ると平地へ (台地[淀橋台]の面)
宮益坂上
ここで左折。西へ。
坂を下る。台地面から低地へ。
坂を下ると明治通り。
宮下公園交差点
ここからJR線をくぐる。西へ。そうすると、神南郵便局前交差点に出る。さらに進んで、勤労福祉会館前交差点。
地図3
勤労福祉会館前交差点
この先、迷って、遠回り。地図3でわかるように、勤労福祉会館前交差点から神南小学校下交差点に進んだところで、順調に行けなくなった。その理由は、神南小学校下交差点からBunkamuraへは真っすぐの道がなく、細かく曲がって道を選ばなければならなかった。しかし実際は梅澤精米店前(図3左上)を通って、結果、Bunkamuraza ザ・ミュージアムにたどり着く。
梅沢精米店
お目当てのトレチャコフ美術館作品展、ロマンティックロシアを見る。
会場はとても混んでいた。
④ ⇒ ⑥ Bunkamura ⇒ 山手通り横断(⑤)⇒駒場公園(前田侯爵邸)
松濤を進む。高級住宅街。
大使館(イラク、ニュージーランド、モンゴル)がある。
山手通り横断。東大裏交差点。
東大の「裏」門らしい。この日はセンター試験で扉は閉まっていた。
アーリーアメリカンづくりの木造店舗のハンバーガー屋があった。
駒場公園入口。戦前は前田侯爵邸だったらしい。戦中に中島飛行機に売却。中島飛行機本社となる。
和館
重用文化財(建築物)旧前田家本邸。ファザードを見ると、左右対称ではない。
建てたのは前田利為(としなり)。前田家16代当主。陸軍軍人。士官学校は主席。同期に東條英機。入試に落ちた東條より早く陸軍大学を卒業。最期は、予備役からボルネオ方面軍総司令官となり、戦死(1942年[昭和17年]。)
側面も対称ではない。鉄筋コンクリート製。
邸は前田利為戦死後中島飛行機に売却。敗戦後は米空軍司令官公邸として接収される。のち、リッジウエイ第2代連合国軍最高司令官の官邸。
邸は大きい。回の字状建物。中庭。
竣工時の前田邸全景
⑥ ⇒ ⑩ 駒場公園(前田侯爵邸)⇒ 池尻大橋駅
京王井の頭線
駒場野公園。ケルネル田圃。
南下する。平坦地。
今日歩いた台地は淀橋台であり、その表面は下末吉面に分類される。
地図2の⑦⇒⑧の平坦面は「駒場野」というのであろうか?
第三機動隊。ニックネームは、「ほこりの三機」。このほこりは、埃なのだという。本当なのだろうか?
3機:ほこり
隊本部が渋谷の近くの駒場にあり、都内の大きな事件ではよく目にする。
ほこりのニックネ-ムは、隊本部が砂埃がよくたつので、誇りの字にひっかけたもの。
3機にはラグビーチームがあるが、関東社会人1部まであともう少しらしい。
(出典)
平坦地が終わり、坂。段丘斜面。
荏原台を目黒川が開析した谷を底へ下る。ただし、谷底は谷形成後の海進で土砂が堆積し平野となっている(谷底平野)。地図1の下部の池尻大橋駅付近の平坦を見よ。
段丘斜面の坂を「暴走」する自転車。
谷底平野。
池尻大橋駅
おしまい。