いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第36週

2024年11月30日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第36週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の草木花実

■ 今週の訳あり

■ 今週の訳ありりんごが運んでくれた山形情報:芋煮は女の仕事か

 6月に放送されたNHKのクローズアップ現代で、山形出身という女性が「東京が令和だったら、地方は江戸時代」と話したことに衝撃を受けている。

■ 今週の久しぶりに食べた

「オムライス(ビーフシチューソース)」(ガスト) この商品、相当以前からあると思う。ネットで見たら、販売休止していたが復活したとのこと。

■ 今週の丼

福岡県の北九州市の西に遠賀川というのが南北に流れていて日本海へ注いでいる。その河口の街が芦屋町。あの神戸の芦屋と同じ字ではあるが、違う街。海鮮丼の店が多いと知る。「九州でイカと来れば呼子ですな。 しかし、知名度は低いのですが「芦屋」のイカも相当ウマい」とネットにあった。行ってみた。

特盛イカ月見丼 味処 大丸、福岡県遠賀郡芦屋町高浜町 (食べログ

アオリイカ。出汁がかかっていて、このまま食べる。

■ 今週の空似

チャイナ出身の呉軍華という中国の政治・経済/日中関係/米中関係を専門とする研究員(出典)がいる。今週みたら、江青が「入っていて」、ぎょっとした。

 

今、改めて気づいたのだが、この呉さん、1983年の復旦大学卒業。ということは1979年入学組だ。チャイナで1979年入学組といえば、それまで文革で大学が閉鎖されていたのが再開された頃であり、それまで大学に入るの待っていた若者が入試に殺到した頃だ。この頃大学に入ったチャイニーズは、科挙の伝統をもつチャイナ史上にいても、最強の秀才たちだ。呉さんはそのひとりなのだ。

■ 今週のレコンキスタ史跡探訪

現・航空自衛隊芦屋基地


Google map

この芦屋基地は占領時代も Ashiya Air Baseと呼ばれた。占領時代、米陸軍の駐屯地(camp)はよく米軍名で呼ばれたが(キャンプ・ドレイク、とかキャンプ・マクギルとか、そして、キャンプ・クロフォードとか)、米空軍の英語名で呼ばれるのはJohnson基地くらいではないだろうか?あと、福岡はキャンプ・ハカタ(通称ブレディ・エア・ベース)。一方、横田、立川、板付などは日本語の地名をそのまま使っている。

さて、このAshiya Air Baseは朝鮮戦争の時、大盛況であったとのこと。朝鮮戦争が始まり、休戦協定が結ばれる3年間(1950-1953)に空輸された兵員は300万人、負傷兵は30万人、物資は70万トンと推定されるとのこと。さらにこの朝鮮半島への出撃基地え働いていた日本人従業員はピーク時には1万人を越えた(出典、”前方支援”の立場もあり得た日本の”後方支援”、佐々木隆爾 [wiki]、『歴史群像シリーズ 朝鮮戦争(下)』)。

■ 今週の役瓦

瓦ぶきの家には必ず役瓦があるはずだ。この家の役瓦は「鬼」なのか、長年の風雨で丸まった元鬼なのか、そもそも鬼瓦ではなかったのか、わからない。下記、基地外ハウスに続く:

■ 今週の基地外ハウス

下の航空写真の「1」の建物。

立川の基地外ハウス ↓

愚記事(昭和記念公園2019、砂川口から出て基地外の米軍ハウス(維新もの)を見た)より

下の航空写真の「1」の建物。側面。


航空写真、左:1960年代、右:現在

上の航空写真の「2」の建物。公式 web site.  Google [米軍住宅リノベーションのカフェ ottimo]

上の航空写真の「3」の建物3件のうちの1件。3軒健在。

▼ その基地外性

航空写真で見ると、赤矢印の幅をもった境界が基地の外壁。左が基地内。基地内にも住宅らしき建物が見える。おそらく、基地内だけでは住宅が足りずに、基地外にも米軍ハウスを建てたのだろう。土地は基地外でも、一部、国有地を使ったと推定できる。米軍ハウス撤去後の土地えあろう↓。

 それまで(朝鮮戦争が始まるまで)は13しかなかった飲食店が、開戦から9月までの間に、「女」のいるハウスが400戸、キャバレーなどが24軒に増えた。
 それまでほとんどなかった貸間兼業農家が1951年には317戸にのぼり、新築家屋は50年に289戸、51年には106戸にもなり、建材が底をつくまでになった。基地がどれほど慰安婦を必要としたかを示している。(同上、佐々木隆爾)

■ 今週の訃報、あるいは、なつかしい本の話

 

訃報(google)。

猪口孝、『世界変動の見方』1994年。30年前の本だ。この頃「ちくま新書」が刊行され始めた。この本は4番目。なお1番目は今村仁司の『貨幣とは何だろうか』である。

さて、この本では1994年時点での今後の日米関係を予想した項でいくつか考えられうるシナリオを論じている。そのひとつが「アメリカの徹底的反日化」。

 アメリカの徹底的反日化自体はいまだにありうる選択肢である。とりわけ日本のバブル経済崩壊までは、アメリカの反日世論は急激に増大していた。バブル崩壊後は少しおさまっているかのようにもみえるが、対日不信感は基本的に引き潮になったとはみにくい。むしろアメリカ社会の内部矛盾が退潮にならない限り、そしてアメリカ経済の競争力低下に対して実効を挙げる政策がとられない限り、対日不信の感情はなかなか消滅はしないだろう。幸いアメリカ経済が復調しつつあり、技術革新でもはっきり活力を回復した様子である。したがって対日不信も沈静化しつつあるといえる。

失われた30年が始まった頃だ。その後、日米関係がよくなった、21世紀になってますますよくなったのは、日本が衰退したからだ。

■ 今週返した本



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