草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

真正保守の大義は自主憲法の制定

2010年04月05日 | 政局

 平沼赳夫元経済産業相と与謝野馨元財務相を中心した新党結成を断固支持したい。政策的に自主憲法制定を掲げたことで、この国の根本を明確に示すこととなり、祖国再建の道筋がはっきりするからだ。自民党は党是としておきながら、百年河清を待つかのように、これまで一歩を踏み出すことができなかった。それが経済中心の国家運営となり、諸外国から侮られることになったのである。新しい憲法によって、戦後体制から一日も早く脱却すべきだろう。日米関係においても、片務的な日米安保条約でなく、日本もまた応分の責任を果たすようにすべきだ。そうでなければ、米国が本当に日本を守ってくれるかどうか不安があるからだ。しかも、基地を日本が提供するだけでよいというのは、裏を返せば、安全保障は米国に依存するということだ。それで独立国家と呼べるだろうか。そして、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という言葉について、福田恆存が「途方も無い事実認識の過ちを犯している」(『日本を思ふ』)と述べているように、外国人が全て善人であるかのような書き方は、底抜けの楽天主義そのものだ。それでいて、自国民を信頼しないというのは、そもそも日本国憲法が、外国人の手でつくられ、押し付けられたものであるからだ。日本国憲法が公布された昭和21年11月三日の時点では、東アジアで、中国も北朝鮮も核武装していなかったし、拉致問題なども起きてはいなかったのである。さらに、憲法を新たに制定することで、日本の歴史や文化にもとづく国家観も打ち出すべきだろう。世界に対する貢献も大きなキーワードになるはずだ。第一弾ロケットはあくまでも起爆剤だろうが、それが二段、三段ロケットと続くことで、保守勢力の大同団結となり、危機に備えた救国政権が誕生するに違いない。その志をまずもって了としたい。

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

             ←応援のクリックをお願いします。

 人気ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反対派との共存望まぬ民主党独裁政治

2010年04月05日 | 思想家

 民主党がこの国の舵取りをするようになってから、羅針盤がないことや、小沢一郎幹事長による独裁であることが、誰の目にも明らかになった。そこで問題になってくるのは、民主党の議員たちの多くが、理念なきバラマキを政治だと勘違いしていることだ。だからこそ、自分たちが行っていることに、何の疑問も抱かないのだろう。官僚批判にしても、バラマキをを邪魔するから、排除にかかっているだけだ。とんでもない間違いである。政治家も官僚も、ノブレスオブリュージュ(高貴なる者の義務)を自らに課すべきであるのに、一般人と同じような凡庸さが通用すると思っているのだろうか。オルテガが「すぐれた人間は、自分の生を何か超越的なものに奉仕させないと生きた心地がしないのだ。したがって彼は、奉仕しなければならないことを圧迫だとは考えない。たまたま奉仕する対象が欠けると不安を感じ、自分を押さえつける、より困難で、より求めることの多い新しい規範を発明する。これが規律からなる生、つまり高貴なる生である」(『大衆の反逆』・桑名一博訳)と書いているように、精神的な貴族でなければならないのである。そして、精神的な貴族というのは、反対派の存在を認め、お互いの正当性を論じ合う対話を重視するのである。しかし、今の民主党政治は、国の根本を否定する法案も、数の力で無理に押し通そうとしている。議論などする気は、さらさらないのである。少し批判されると、飛びかかりかねない剣幕である。寛容さを第一と考える自由主義デモクラシーが、崖っぷちに立たされているのだ。それを阻止するためにも、今こそ保守派が結集して、バラマキと独裁に待ったをかけるべきだろう。

 にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

             ←応援のクリックをお願いします。

 人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする