草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本人を奮い立たせる「たちあがれ日本」の党名

2010年04月07日 | 思想家

 平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相の新党の名前が「たちあがれ日本」と決まった。鳩山由紀夫首相や民主党が、コスモポリタン的なことを口にしているのに対して、アンチテーゼを提出したのである。今こそかけがえのない祖国日本が復活しなくてはならないからだ。歴史や伝統を踏まえた政治こそが求められているのである。石原慎太郎都知事も加わったといわれるが、日本という言葉の響きに、熱いものがこみあげてならない。党名に国名があるだけで、共感を覚えのは、やはり日本人だからだろう。日本が日本であることによって、世界に向けた情報を発信できるし、国際的な貢献も可能となるのだ。国家を否定し、国民のことを第一に考えない鳩山政権は、かえって諸外国から相手にされないのである。そして、その党名を知った瞬間に、西田幾多郎の一文が脳裏をよぎってならなかった。「我国に於ては復古ということは、いつも維新と云うことであった。過去に還ることは単に過去に還ることではなく、永遠の今の自己限定として一歩前に踏み出すことであった」(『日本文化の問題』)。「たちあがれ日本」というのは、立ち返るべき日本を思い起こすことであり、それによって「昔の制度文物に返ると云うことではなく、逆に新たなる世界へ踏み出す」(同)という意味がこめられているのだ。多くの日本人を奮い立たせる力がみなぎっている。還るべき日本があるからこそ、幾多の困難を乗り越えて、日本人は新たな一歩を前に踏み出すことができたのだ。党名からしても、その精神を受け継ごうとするわけだから、新党に期待が集まるのはあたりまえだ。

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自民党は保守の精神に立ち返れ

2010年04月07日 | 思想家

 吉本隆明が自民党がボロ負けすることを望んでいたというのを、「現代思想」を手にとってわかった。それでいて、民主党が勝てばいいというのではなく、生ぬるいこれまでの政治を嫌悪をしていたからだろう。団塊の世代の教祖的存在であり、、一度も選挙をしたことがない「自立派」の吉本の言葉ではあったが、なぜか説得力があった。自民党が解体の危機にあるとか、賞味期間を過ぎたとか評されるが、根本的には、立党の精神が問われているのだと思う。保守からリベラルまで一緒にやれたのは、政権党だったからである。マックス・ウェーバーが定義したように、政治というのは、国家相互であろうが、一国家内の人間集団相互の間であろうが、「権力の分け前にあずかろうとする努力であり、あるいは権力の分配を左右しようとする努力」(『職業としての政治』・西島芳二訳)であるわけだから、野党になれば、求心力はなくなるのである。しかし、それが逆に党再生のバネになるのではなかろうか。一から出直すことになるからだ。悪いことばかりではないのである。民主党のいい加減な政治を批判するばかりでなく、それこそ目指すべき国家像を示すべきだろう。一番大事なことは、生者だけでなく、死者の声にも耳を傾けるという保守の精神を、もう一度思い起こし、保守勢力の核として生まれ変わることだ。それに気づくためには、徹底的に打ちのめされたことが、かえって好かったのではないか。吉本はそこまでは考えてはいないだろうが、どんなことを言っても、最後は自民党しか頼りにならないからである。

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