草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ポストモダンを売りにする者たちの限界

2022年12月04日 | 思想家
 日本における左翼メディアが劣化したのは、今に始まったことではない。佐伯啓思も80年代から主流になった「ポストモダン」なるいかさまを見抜き、痛烈に批判したのである。
「人々が共通にもちうる大きな価値観などもはや存在しない、ということです。『鴉の勝手でしょう』というわけで、皆が『カア、カア』と勝手に鳴くことをよしとする時代だった。東を向いて鳴くカラスもいれば西向きのカラスもいる。下向きもいれば上向きもいる。地声のカラスもいれば裏声のカラスもいるというわけで、何でもありで、しかもそれでよい。かくて、戦後の理想だった『自由』や『平等』が徹底して実現したのです。アメリカ以上に実現したのです」(『日本の宿命』)
 それを代表しているのが内田樹や浅田彰らだが、内田に至っては「唐突にポストモダンの時代は終わった」と宣言して、今さらマルクスの復権を叫ぶのだからどうかしている。フランス哲学翻訳者としてのそれが限界なのだろう。
 たいしたことを言っているようで、最終的にはソ連型共産主義や、中国型共産主義者の擁護者となり、差し迫った現実との対峙を避けるのである。いかに奇抜な議論をしていても、その実は既成のガラパゴス左翼に加担する者たちなのである。
 簡単に全体的知が手に入ると思っているマルクスの復権ではなく、フーコーやデリダが悪戦苦闘した地点から、どこまで先に進めるかなのである。語学ができるだけの優等生は、日本人の内面が空洞化していることなど、どうでもよいことなのである。
 ようやく私たちは気付きつつあるのではないか、『坊ちゃん』に出てきたような赤シャツごときに騙されるのではなく、今の日本人に求められているのは、当たり前の常識の復権なのである。小難しいことを口にするのは、知を衒っているだけなのだから。
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