岸田首相の公私混同は目に余るものがある。息子を首相秘書官にするということ自体が、普通では考えられない。公人の立場で公邸を利用し、親戚だかどうかわからない若者たちを集めて忘年会をし、その醜態をさらした写真が週刊文春に暴露されたのだから、国民が怒って当然なのである。
そして、予想した通りで、岸田首相自身が、その集まりに加わり、寝間着姿で参加していた写真が今度はフライディーに掲載された。息子を不適切だと処分したわけだから、自分だけ別というのでは、国民が納得しないだろう。
岸田首相のような公私混同を絶対にしなかったのが、日本最初の首相となった伊藤博文であり、平民宰相と呼ばれた原敬であった。
伊藤は大磯の滄浪閣と東京の間を絶えず往復したが、その都度汽車賃を几帳面に払った。統監時代には身辺に雑用のために3人の侍女が置かれていたが、統監服をつけて執務室に入ると、一杯の茶、煙草の火の用さえももっぱら統監付の給仕に命じた。
原は芝公園の古色蒼然とした手狭な家に住んでいた。土地は借地で、東京市の市有地であった。庭も狭く、家の内部も慎ましく質素であった。また、原は政友会のためには惜しみなく金を散じ、利権にも関係したが、「その私生活においては身を持することきわめて倹素であった」といわれる。
いずれも、岡義武の『近代日本の政治家』で書かれていることだが、議会制民主主義を根付かせようとした先人と比べて、岸田首相の行いは、あまりにも不遜ではないだっろうか。