岸田首相を擁護すること自体は問題ではない。しかし、それがあまりにも露骨であれば、言論人としてはあるまじきことである。ネット言論がそれなりの力を持つと、官邸側の働きかけが強まるのは当然だが、そこで問われるのは、一定の距離を保てるかどうかなのである。
首相秘書官にした息子の行状を問題視することは、ささいなことなのだろうか。公邸の公のスペースを、私的な飲食の場として用いたり、そこで悪ふざけしたりすることは、首相秘書官としての立場がなければできないことであり、一般の人が立ち入ることができない場所でのことである。
今の自民党は腐り切っており、その程度のことで目くじらを立ててはいけないのだろうか。スパイも取り締まれないし、ろくな国会議員もいないから、それくらいは大目に見ろというのだから、言葉を失ってしまう。
岸田首相をかばうがために、何を言っても許されると思っているのだろうか。自民党を率いているのは岸田首相である。公私のけじめがないということと、自民党の負の部分とは重なると考えるのが普通ではないだろうか。
LGBT法案について、岸田首相はあまり関心がなかったという見方も、あまりにも酷い。自民党の執行部があそこまで泥をかぶりながら、常軌を逸するようなことをしたのは、岸田首相が指示したからではなかったか。一部の人間が忖度して暴走したというのは、まさしく詭弁以外の何物でもない。
岩盤保守が岸田首相を批判するのには、それなりの理由がある。外交安全保障では、安倍元首相が口火を切った、アメリカとの核の共有の議論を棚上げにした。経済の面では、財務省の言いなりで、国民の負担を増やす方向に明確に舵を切っている。さらに、もっとも深刻なのは、LGBT法をゴリ押しして、日本の国柄を根本からひっくり返そうとしているからなのである。
それがまずあって、今回の息子の件なのである。岩盤保守の多くは、権力の中枢にいる者たちとの接触もなければ、その恩恵にも浴してはいない。しかし、人間としてのコモンセンスは持ち合わせている。だからこそ、ダメなものはダメだという声を上げているのだ。
名も無き者たちの怒りの声が国を守るのである。ビジネスとしてどれだけ成り立つか、どれだけ動画の再生回数があるか、どれだけ本が売れたかというような次元の問題ではない。ポピュリズムとは一線を画すのが岩盤保守であり、本物の保守なのである。