民主主義社会においては少数者も尊重されなくてはならない。それが原則ではあるが、多数者がそうであるように、少数者もまた自己を絶対化すべきではない。自分たちへの批判を許さず、言葉狩りなどを正当化することは、言論の自由への重大な挑戦であるからだ。最近では同性愛も普通の男女のように、結婚を認めようという動きが出てきている。聖書において書かれていることとは違って、人間は新たな一頁をめくろうとしており、これに異論が出るのはしかたがない▼制度としての結婚にこだわったのはキリスト教であった。神の前で結婚が取り決められ、男女が生涯を通じて愛し合うことを誓ったのである。男女が結ばれるのは、自然の営みとして考えられ、子供が生まれることで、さらにお互いの愛が深まると信じられてきた。日本でも男女が家の根本をなし、日本人の信仰にも大きな影響を与えてきたことも否定できない▼根本からそれを改めようというのだから、一筋縄でいくわけがない。革命家の北一輝もマルクスも、人類の進化がどの程度であるかは、男と女の関係を尺度にしようとした。同性愛までは思想的射程には含まれなかったのである。今ある結婚という制度には重要な意味がある。それだけにドラステックな改革よりも、立ち止まって考えることも大事ではないだろうか。守るべきものにどこまでもこだわるのが保守なのだから。
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