十二月に入ったこともあり、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部」の詩をなぜか口にしたくなります。「十二月また來れり。なんぞこの冬の寒きや。」の冒頭の部分は。ことさら切ないものがありますし、「我れは何物をも喪失せず また一切を失ひ盡せり。」という言葉の響きは、朔太郎の個人的な境涯を超えて、当時の日本のおぞましい現実を表現しています。
朔太郎のこの詩は昭和4年12月につくられており、その前年には妻と別れ、一度は郷里の前橋に戻ったものの、再起を期して麻布にある洋式アパートに転がり込んだのでした。
しかし、この詩は個人的レベルだけにとどまりません。昭和4年には世界恐慌が日本にも波及し、我が国は空前の不況に襲われました。浜口雄幸内閣が金解禁に踏み切り、緊縮財政に舵を切ったことで、昭和維新の運動にも火が付くことになりました。それから515事件、満州事変、2・26事件などがあってから、昭和16年の大東亜戦争に突入するのです。
朔太郎もまた、保田與重郎らの同人誌「日本浪漫派」に加わった詩人でした。それだけに大いなる敗北を予言したのでした。東アジアの安全保障環境が緊迫しているにもかかわらず、政治は打開策を見出せずにいます。経済の舵取りも危ういものがあります。昭和4年のときのような茫漠たる世界の前で、不安感にさいなまれているのが私たちではないでしょうか。