もはや戦後民主主義の虚妄に執着するときではない。私たちの目の前の世界は、今もなお血塗られた戦いに明け暮れている。東アジアでも、これまでにない緊張感が生まれている。私たちは平和を望むがゆえに、国家として身構えなければならないのである。
中村八洋の『日本核武装の選択』を読んでいて、国防に力を入れているスイスから学ぶべき点が多いことを知った。
日本人が理想の国家として思い描いているスイスは、小国ではあるが、永世中立国であり続けるために、国防を重視している。全てのスイスの家庭には、『兵士読本』と『民間防衛』の政府発行の本2冊が置いてある。
スイスでは男性は20歳になると兵士となり、軍用ライフル銃と弾60発と軍装が支給されるが、そのときに『兵士読本』も渡されるのである。
『民間防衛』においては、核攻撃下でどう生き残るかについても言及している。ともすれば、私たち日本人は、絶望的になりがちだが、最悪の場合でも、生き残る努力を続けるというのだ。
「恐怖に負けてはならない。学者たちは、あらゆる努力は無駄だとわれわれに信じ込ませようとしている。研究所が引き出した恐るべき破壊力を前にして大声で恵みを求める以外にないと彼らはいう。しかし、ノーである。われわれは最後まで自らの主人であり続けよう」
いうまでもなく、スイスでは核シェルターに力を入れてきた。いざという時に備えるのがスイスなのである。それと比べると、我が国はどうだろう。中川は今から20年近く前に「3千万世帯すべてに、核シェルターを急ぎ完備しよう」と訴えたのに、政治はまったく動かなかった。ようやく先島諸島にシェルターが整備されようとしているだけで、国民の命はないがしろにされてしまっているのだ。
さらに、『民間防衛』においては、外国勢力と結託する者を監視するように、と国民に警鐘を鳴らしており、「国家は、特にスパイ行為と戦う義務を持つ。スイスには思想に反する罪というものはないが、‥‥‥我々の防衛力を弱めようとする連中は監視しなければならない」と明確に述べている。
戦争の危機を回避するために何ができるかが最優先事項ではあるが、我が国としては、最悪の場合にも備えておかなくてはならないのである。