谷中の天王寺五重塔跡
谷中の天王寺は、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹である。
寛永寺の開祖、天海が死んだ正保元年(1644)に最初の五重塔は完成した。
この塔は明和9年(1771)目黒行人坂の火事で焼失し、19年後の、寛政3年(1791)に近江国高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は幸田露伴の「五重塔」のモデルとしても知られている。
総ケヤキ造りで高さ11丈2尺8寸(34.18メートル)は関東で一番高い塔であった。
明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災、戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和32年7月6日放火により焼失した。
現存する方三尺の中心礎石と四本柱礎石などすべて花崗岩である。
東京都指定史跡となっている。
谷中の天王寺は、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹である。
寛永寺の開祖、天海が死んだ正保元年(1644)に最初の五重塔は完成した。
この塔は明和9年(1771)目黒行人坂の火事で焼失し、19年後の、寛政3年(1791)に近江国高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は幸田露伴の「五重塔」のモデルとしても知られている。
総ケヤキ造りで高さ11丈2尺8寸(34.18メートル)は関東で一番高い塔であった。
明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災、戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和32年7月6日放火により焼失した。
現存する方三尺の中心礎石と四本柱礎石などすべて花崗岩である。
東京都指定史跡となっている。