躰道創始者・祝嶺正献最高師範
大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)
躰道創始者・祝嶺正献最高師範の生誕のエピソードです。少年時に沖縄で佐渡山安恒師範から空手を学びました。(昭和48年に祝嶺正献最高師範に同行して沖縄へ行ったときに佐渡山師範を訪問しました)。日本へ来てから各団体で玄制流空手道を指導して多くの弟子たちを育成してきました。昭和40年に空手を発展させた21世紀への武道「躰道」を創始して普及していきました。
同年に国際商科大学(現東京国際大学)へ入学した私たち同志は、練馬の自宅に祝嶺正献最高師範を訪ねて、躰道の指導を願い出ました。指導を快諾してくれた祝嶺正献最高師範は、その後毎週、川越市の大学まで来校して躰道部を創部した仲間たちに熱心に躰道の理念と実技の指導をしてくれました。ある時、「全日本躰道選手権大会用の写真を撮影をする」と云い、大学のキャンパスで私たちをモデルに躰道の演技を指導して自らカメラのシャッターを押しておりました。その写真が第一回全日本躰道選手権大会のポスター、プログラム、チケットに掲載されました。