ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.6.17 祝・半世紀!

2011-06-17 19:19:34 | 日記
 ということで、今日で無事、50歳になった。
 「嬉しい」と言うよりも、なんというべきか、感無量である。43歳から期せずして闘病生活を始め、46歳でそれがエンドレスに続くことになり、はや3年半が経過した。

 アラフィフどころかフィフティズへの仲間入り。怖いものなし(!?)、押しも押されもしないオバチャンである。全然実感は湧かないし、昨日までの私と今日からの私がどれだけ違うかなど・・・とても現実感に乏しいことだ。ただ、昨日と今日が繋げたことで、無事に齢を重ねることが出来たということか。大晦日と元旦のような感じもする。

 かつて50歳なんて、とても大人で、なんでも知っていてなんでも出来る・・・、かのように思っていたけれど、とんでもない。それは30歳になった時も、40歳になった時も同じだった。結局のところ、自分がその齢になってみると、あれれ、こんなものだろうか・・・という肩すかし感が漂う。ちょっと情けないけれど。
 いくつになろうと、知らないことも出来ないことも沢山ある。そのことを素直に認めることが大切だと思う。(だからといって別に開き直っているわけではないのだが。)

 一口に半世紀といってしまえばそれまでだが、それはそれなりに凄いことだ。日数にして(閏年も入れて)18260日あまり。
 長いこと人生50年と言われていたのだから、それを考えれば十分“生を全うした”と言えるのだろうか。だが、今や実年齢は昔の7がけとも言われる。(それならまだ35歳!?)
 平均寿命が男女ともに50歳を超えたのは戦後、昭和22年のこと、ということだから、わずか60年で平均寿命が30歳以上伸びたということだ。本当に恐れ入る。
 60歳まで大病もせずに元気だった人は、平均寿命より長く生き抜くということも聞いたことがある。当然、平均寿命に満たずに亡くなってしまう人がいるということだから、平均寿命を超えていく人の方が多い、と言える。

 もちろん、人生、長さだけが勝負ではないだろう。太く長く生きられればそれに越したことがないけれど、何事も「細く長く」がモットーの私としてはやはりまだまだ、だ。出来るだけ細く長く、そしてしぶとくしなやかに私らしく生きなければ、と改めて思う。

 御蔭様で実家の両親もいまだ揃って健在である。末っ子の母は、私の齢で既に両親を亡くしていたから、自分の娘が50歳になるまで元気でいられることはきっと嬉しいのだろうな、と思う(面と向かって聞いてみたわけではないけれど・・・)。
 そして、逆縁―親より先に逝くこと-だけは絶対に避けなければ、と改めて今日の日に誓う。

 昨日、紫陽花の花言葉に触れたが、ちなみに今日、6月17日の誕生花は「白つめくさ(クローバー・白)」なのだそうだ。花言葉は「私のことを思って」。
 何も知らずに子供の頃、クローバーで首飾りや王冠を作って遊んだけれど、そうだったのか、と50年目にして思う。その他にも、白薔薇(花言葉:素朴・純粋)、フウセンカズラ(あなたとともに・飛翔)、リアトリス(燃える想い)があるという。ずいぶん感じの違う花のオンパレードではあるけれど・・・。

 今日も一日霧雨だった。そぼ降る感じでかなり濡れる雨。紫陽花たちは喜んでいるかもしれない。休薬の週の週末。両日とも予定があるので、良いお天気でなくとも、どうか雨が降らないでくれますように。

 今朝もまた、プチ虹のサロンのSさんとKさんから嬉しいメールが入った。そしてつぼみの会のHさんからも。職場では、アルバイトに見えているMさんから贈り物まで頂いた。帰宅すると、Sさんからも贈り物が届いた。「素敵な未来でありますように」と。 本当に有難いこと・・・感謝の50代スタートである。
コメント (2)
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