ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.8.11 これが、最後-10年完結・ハリー・ポッター

2011-08-11 21:54:09 | 映画
 先日「ハリー・ポッターと死の秘宝 パートⅡ」を観た。息子が一足先に一人で観に出かけ、「泣けた~、面白いからお母さんも絶対観た方がいいよ!」と言った。

 第1作の公開から10年。当時ハリー、ロン、ハーマイオニーたちはまだ可愛さの残る10歳から11歳だった。それが、思春期を経て、どんどん大人びて、今回は何気なくキスシーン等もあり、今やすっかり成人になった。
 もちろん息子も保育園児だったのが、今は背高のっぽの高校生なのだから、当然と言えば当然だけれど。
 子供から大人になる10年もの長い間、同じ役を演じ続けるということは、彼らにとって、人生そのものになっているのではないかと思う。子役から大人の役へ、もうこの役を演じることはないのだと思うと、どうしていいのか・・・、と一人の役者が言っていた台詞に納得する。

 思えば、自宅最寄駅近くの映画館で初めて家族そろって見た映画が「ハリー・ポッターと賢者の石」(2001年)の第一作だった。映画館がオープンして間もなくだったと記憶している。息子はまだ保育園児で、ドラえもんや戦隊シリーズもの以外の映画を見せたのは初めてだったように思う。画面は暗いし、ストーリーは長いし、泣き出したりしないだろうか、というこちらの不安はどこへやら、すっかりはまってしまったようだ。
 私も以来、新刊が出るたびに本を買いこみ、まずは一人で読み切ってから、夜な夜な息子に読み聞かせをしたのが、今は懐かしい。 それにしても毎日数十ページずつに分断されて、よくそんなに前のことを覚えているものだ、と感心するほど記憶力だけは良かった息子だ。こちらは、あれ、どこまで読んだっけ、これ誰だっけ・・・、という体たらく。いつしか息子は待ち切れなくなったのか、自分一人で読むようになった。私はつい最近まで知らなかったけれど、中学時代は勉強せずに部屋で一人、一巻から再度読み直していたという。
 けれど、何と言っても厚くて重い単行本であり、大長編で、登場人物も次から次へとどんどん出てきて、ついには親の方が息切れしてしまい、ここ何冊かは恥ずかしながら読むこともせずに映画を見るだけになった。・・・とほほ、である。

 そして、今回の完結編。「これが、最後」というキャッチコピーだった。最初で最後の3Dではあったが、実際に観てみれば3Dである必要はそれほど感じなかった。やはり全般に画面が暗いのでイマイチなのだ。この前観た“パイレーツオブカリビアン”と同様だけれど。

 それはさておき、これまでのストレスの元だったいろいろな疑問や伏線が一度に氷解して、本当にすっきりした。最後は19年後のおまけつき。ちょっと若過ぎるアラフォーたちだったけれど、すっかりお父さんお母さんになった主人公たちがとても微笑ましかった。
 そういえば、息子が小学校に入ってすぐ思い切って出かけたロンドンの街。ハリー・ポッターのトレーナーやパジャマをお土産に買った。そしてキングスクロスステーションにも出かけた。そこにはカートを押すハリーたちの等身大の看板があった。しっかり9と3/4番線もしつらえてあった。

 いろいろ思い出しつつ、この10年間、息子とともに沢山の夢を見せてくれた映画だった、としみじみ思う。

 さて、睡眠導入薬アモバンのことである。確かに眠れたのはよいが、薬剤師さんに聞いておいて良かった苦味の話。そうでなければまたまた悩むところだったから。朝起きて、歯を磨いた時にはそれほど気付かなかったし、朝食で一番最初に口にするのは青汁なので、それもまたラッキーだったのかもしれないが、職場に着いていつも買うペットボトルのお茶を飲んだ途端驚いた。苦いのだ。いつもと全く違う味。その後は水を飲んでも紅茶を飲んでも、苦味で味がわからない。お昼も濃い酸っぱい味のものにしたけれど、イマイチの食欲。せっかく眠れたのに・・・と。
 ネット情報によれば、服用翌日の夕方までは続くらしい。私は3週間に2回で済むけれど、毎日飲む必要のある方は、それはそれは大変だろう。食事の楽しみがなくなり、食欲不振、体重減少、と続くだろうから。
 次回主治医に相談して、マイスリーに変更してもらおうかと思っている。

 昨日はステロイドも2倍量、吐き気止めのノバミンも飲んでいるのだが、一向に気持ち悪さは改善しない。食べ物の味も苦いばかり。それに、食べたり飲んだりしたのがきっかけで、なぜか延々としゃっくりが出る。何とも冴えない投与翌日だった。
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2011.8.11 昨日通院日の3冊

2011-08-11 06:49:34 | 読書
 昨日は3冊読んだ。
 1冊目は山本文緒さんの「アカペラ」(新潮文庫)。
「『プラナリア』『恋愛中毒』の著者が贈る『傑作小説集』」と帯にある3つの中編小説集。小泉今日子さんが読売新聞の書評で紹介していたのが何となく記憶に残っていて、手に取った。「この本を読んで胸が熱くなった。明日に期待しすぎないように生きている大人たちにこそ読んでほしい。」と。
 1編目が表題作。身勝手な両親を尻目に、前向きに育った中学3年生のタマコ。大好きな祖父が老人ホームに入れられそうになり、祖父との「駆け落ち」を決意・実行したタマコ。彼女を心配する若い担任教師が2人に振り回される。このお話は2001年に直木賞受賞第一作として書かれたもの。その後、作者は病気で約6年、小説を書く仕事を休んでいる。
 2作目は2007年、復帰作として書かれた作品「ソリチュード」。ダメな男の20年ぶりの帰郷の話だ。
 3作目は2008年の作品。独身の中年姉弟の絆を見つめた「ネロリ」。
 どれも何となく奇妙といえば奇妙なのだが、それでもとても優しくて切なくて温かくて。3作とも楽しんだ。

 2冊目は荻原浩さんの「ちょいな人々」(文春文庫)。
 荻原さんの作品は映画化もされた「明日への記憶」しか読んでいないのだが、その印象をもって読み始めてびっくり。帯には確かに「ちょいワル、携帯、ペット、阪神ファン・・・・。ブームに踊らされる愛すべき人々のオンパレード!報復絶倒の短編小説集 人間は、ときにその情熱を、見当違いなものに傾ける。」と書いてあったのだが。
 “カジュアル・フライデー”に翻弄される課長の悲喜劇を描く表題作。奇矯な発明で世の中を混乱させるおもちゃ会社の顛末「犬猫語完全翻訳機」と「正直メール」、“100%解決します”の「いじめ電話相談室」、当たらないのにうっかり流行ってしまった三流占い師の「占い師の悪運」、阪神ファンが結婚の挨拶に行くと、彼女の父は巨人ファンだった・・・「くたばれ、タイガース」など、どれもこれも、これが萩原さん?とニヤニヤしながら読んだ。
 辛酸なめ子さんの解説「日常の中でのちょっと痛い人やズレている人々の言動が絶妙で、読み終えるのがもったないない面白さでした」に同感だ。

 3冊目は蓮見圭一さんの「八月十五日の夜会」(新潮文庫)。
 蓮見さんの作品は「水曜の朝、午前三時」しか読んでいないのだが、“追憶の切なさと衝撃のラストが魂をゆさぶるラブストーリー”というキャッチフレーズ通りとても印象深かったので、季節柄の新刊として手に取った。
 帯には「その声は語り始めた。誰も知らなかった戦争の記録を。」とある。裏表紙には「祖父が死んだ。あの戦争を『生き延びたせいで見なくてもいいものを沢山見た』と語っていた元二等兵の位牌を故郷の海へ返すため、孫の秀二は沖縄を訪れる。そこで手にしたのは、古びた四本のカセットテープ。長い時を超え、その声は語り始める。かつて南の島に葬られた、壮絶な個人的体験を-。敗残兵の影、島民のスパイ疑惑、無残なし。生への渇望と戦争の暗部を描く、力作長編」とあるとおり導入部から惹き込まれた。
 まもなく戦後66年を迎える。息子など、戦争の話を祖父母等から直接聞く機会がなかなかないのだけれど、やはりこの戦争のことは、これからも語り継がれていかなければならないのだ、と思う。

 昨夜、案の定お腹の気持ち悪さが始まった。夕食は軽めにしたが、寝る前にはノバミン(吐き気止め)とアモバン(睡眠導入薬)を飲んだ。
 それでもさすがに15分も経たずにコロンと眠ることは出来ず、後からきた夫の鼾に先を越され、効かないのかしら・・・と、ちょっぴり不安になったが、その後まもなく寝入ったようだ。
 そして今朝、目覚ましが鳴るまで早朝覚醒することもなかった。ちょっと体がふわふわしているけれど、しっかり「寝た」という充足感がある。少しお腹がぐるぐるしているが、これも今朝ノバミンを飲んでいくことで改善されそうだ。
 薬に頼るのはずっと迷っていたけれど、次回以降も眠れなかったらきちんと飲んでみようと思う。


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