ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.8.22 昭和を想う

2011-08-22 21:10:58 | 日記
 今日の新聞のネット記事を読みながら、天声人語に目がとまった。
 私は、日々の些細な出来事を色鮮やかに写しとる向田邦子さんの作品が好きだ。
 
 以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

2011年8月22日(月)付 朝日新聞 天声人語
毎週のように乗っても、離着陸の時は平静でいられない。飛行機が苦手な向田邦子さんは、空の旅となると縁起を担ぎ、乱雑な部屋から出かけた。下手に片付けると「万一のことがあったとき、『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで」(ヒコーキ)▼この一文が出て3カ月後、彼女は台湾で万一に遭う。51歳の急逝から30年が過ぎた。妹の和子さんによると、部屋はいつになく整理されていた。人気脚本家が随筆や小説で輝き始めて5年、直木賞の翌年だった▼生涯は昭和で完結した。戦争から平和、経済大国へ。激動下の日常を素材に、女と男、家族の機微をすっきりした筆致で描いた。己を笑う強さと優しさは時代を超えて愛される▼小さな幸せを書かせたら独壇場だ。「私の場合、七色とんがらしを振ったおみおつけなどを頂いていて、プツンと麻の実を噛(か)み当てると、何かいいことでもありそうで機嫌がよくなるのである」(七色とんがらし)。ささやかな起伏を捉え、味わう感性は「昭和限り」だろうか▼多磨霊園を訪ねた。本をかたどった墓碑に〈花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る〉。森繁久弥さんによる慟哭(どうこく)の筆だ。あでやかな花の前で香煙がゆれる。ツクツクボウシが鳴いていた▼いま、こぼれた花の大きさが恨めしい。向田流の変哲もない泣き笑いが、どうにも恋しい震災後である。何から逃げるというのではなく、日々ちょっとしたことを抱きしめ、明日の糧にする。そんな生き方もある。

(転載終了)※  ※  ※

 そうか。まだ51歳だったのだ。その無念さを思うと胸が締め付けられる。本当にあまりに突然の早世だった。
 もちろん30年前に亡くなったので、当時私は20歳の学生。それこそ大人の雲の上の女性だと思っていた。生きておられれば81歳。父より2歳下だったのだなあ、と当たり前のことに驚く。

 以前、彼女のプライベートな生活の片鱗を感じさせる文庫(向田和子著『向田邦子の恋文』(新潮文庫))を読んだ。仕事に打ち込む彼女を慈しみ支えた一人の男性との、一途で切ない秘密の恋にまつわる手紙と日記に大きく心を揺さぶられた記憶がある。
 その彼女が突然生を断ち切られた齢まで私もあと1年。心底ごく普通の日々を無駄にしてはいけないと思う。
 今はNHKドラマ「胡桃の家」を録画して見ているが、さまざまな背景描写を見ながら、とにかくあちらにもこちらにも懐かしさが迫る。
 歳をとったのかもしれないけれど、たとえ平成が23年経とうと、やはり私は昭和という時代に形作られたのだな、と思う。

 週末から涼しい日が続いている。昨日は20度をちょっと超えた程度だったという。肌寒いわけだ。一時の酷暑に比べて15度も低い。気付けば夏の甲子園も終わった。西東京に深紅の優勝旗がやってきた。

 今朝の出勤途中、傘をさしながら学内を歩くと、5,6匹の蝉が落下してお腹を見せて死んでいた。長い間土の中に籠り、ようやく地上に出てきてわずか1週間。さあ鳴くぞ!と出てきたものの、何やら寒くて雨降りでびっくりしたのだろうな、と切なく思う。ちゃんとその生を全うできたのだろうか。今年は蝉の声を聞くのが少し遅かったような気もする。
 こんなお天気なのに一生懸命声を限りに全身を震わせて鳴いている。思わず頑張れ!と祈ってしまう。

 昨日はスズメバチのお話をかなり入れ込んで読んだものだから、何やら虫たちの夏が気になる私である。
コメント
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