昨日は3冊読んだ。
1冊目は西垣千春さんの「老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策」(中公新書)。
帯には大きく「『お金があれば安心』では、ありません。」。「認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業―老後の暮らしはリスクと隣り合わせ。豊富な実例とともに、解決へのヒントを提示する」書だった。
幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる、は高齢化社会に限らず私たちが暮らしていくうえでの真実だと思う。だからこそ、高齢者だけの問題ではなく、セルフマネジメント能力をきちんとキープするための自分のこととして、溜息をつきつつも読み進んだ。日本人の平均要介護年数は7年とのこと。半端な長さではない。けれど、子どもが生まれてからある程度手がかからなくなるまでの時間を想えば、逆を辿る道なのだから当然か。
それに比べれば、末期のがん患者が本当にターミナル期を迎えて要介護状態になるのは平均3か月というから、これは我慢しなければならないのかもしれない、と思った。
2冊目は北原亞衣子さんの「父の戦地」(新潮文庫)。
帯には「南方の戦地から幼い娘に贈った70余通の絵入り軍事郵便―」とある。裏表紙には「ゲンキデ、アソンデ、オリマスカ。南方ビルマに出征した家具職人の父は、昭和17年から3年間、幼い著者に70通もの絵入り軍事郵便を送り続けた。そこにはいつも娘の健康を気に掛ける言葉と、現地ののどかで珍しい風物のイラストが、ユーモアたっぷりの筆致で添えられていた。時代小説の名手が、戦争のむごさ、そしてついに生きて会えなかった父への限りない愛情を綴る慟哭の記。」とあった。
著者の作品を読むのは初めて。昭和13年生まれというから母より5つ年下だ。その彼女が数え年4歳の時にお父さまが出征され、そのまま帰らぬ人となっている。
それにしても、どれほどの思いで戦地からこうした絵手紙を書き続けられたことか。どれだけ娘の成長をこの目で見たかっただろうか。無事に帰国して親子3人の生活を送りたかったことか。それを許さなかったのが戦争だ。改めてそのむごさを思う。
子どもの頃、母が祖母の実家に疎開した話を聞いたことがある。“東京の子”といじめられたこと、両親と離れて寂しかったことなど。片や父は、母より5歳年上で終戦の時に17歳。食べ盛り育ち盛りの思春期の男3人、女1人の兄姉と、それはひもじく辛い思いをしたようで、故郷の話になると口をつぐむほど、それ以上聞けなかった記憶がある。
終戦から66年、体験した人たちが高齢化し、直接体験談を聞くことが出来なくなっている。息子にも何とか聞かせておきたい、とまたしても思ってしまった。
3冊目は柳澤桂子さんの「いのちと環境 人類は生き残れるか」(ちくまプリマー新書)。
この新書は若い人向けのシリーズなのだが、コンパクトでとても分かり易い。息子に読んでもらいたいと思ったところ、自分が読んでも十分面白いことに気づいて、以来しばしば手に取っている。
帯には「生命にとって本当に必要なものは何だろう?『いのちと放射能』の著者の最新書き下ろし!」とあった。「はじめに」には「あなたがもし、この地球上で最後の一人の人間になったらどうしますか?あなたはその孤独に耐えられますか?地球に生きる最後の人間。あなた自身でなくても、あなたの子供や孫が最後の一人になることにあなたは耐えられますか?」とのっけから厳しく問いかける。
著者は1938年の生まれで、30代から原因不明の病に苦しみ、30年近く前に研究所を退職されて以来、病床で多数の科学エッセーを書いておられる。この本を書き始めることになったのも、環境のことをともに考えたいとの思いで立ち上げたブログがきっかけだという。
病と共存し、なおこうして病床から自らの務めを果たされることに強く胸を打たれた一冊だった。
昨夜はロキソニン、マグラックスを飲んだ。涼しかったせいか、疲れていたせいか、睡眠導入剤のお世話にならずとも普通に寝つくことが出来、足が攣ることもなく朝まで起きることもなかった。
昨夜から降り始めた雨がまだ降り続いている。涼しくていくらでも眠れそうだ。
グラニセトロンのせいか吐き気はそれほどでなく、ほっとしている。このまま今日、明日と乗り切れますように。
1冊目は西垣千春さんの「老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策」(中公新書)。
帯には大きく「『お金があれば安心』では、ありません。」。「認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業―老後の暮らしはリスクと隣り合わせ。豊富な実例とともに、解決へのヒントを提示する」書だった。
幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる、は高齢化社会に限らず私たちが暮らしていくうえでの真実だと思う。だからこそ、高齢者だけの問題ではなく、セルフマネジメント能力をきちんとキープするための自分のこととして、溜息をつきつつも読み進んだ。日本人の平均要介護年数は7年とのこと。半端な長さではない。けれど、子どもが生まれてからある程度手がかからなくなるまでの時間を想えば、逆を辿る道なのだから当然か。
それに比べれば、末期のがん患者が本当にターミナル期を迎えて要介護状態になるのは平均3か月というから、これは我慢しなければならないのかもしれない、と思った。
2冊目は北原亞衣子さんの「父の戦地」(新潮文庫)。
帯には「南方の戦地から幼い娘に贈った70余通の絵入り軍事郵便―」とある。裏表紙には「ゲンキデ、アソンデ、オリマスカ。南方ビルマに出征した家具職人の父は、昭和17年から3年間、幼い著者に70通もの絵入り軍事郵便を送り続けた。そこにはいつも娘の健康を気に掛ける言葉と、現地ののどかで珍しい風物のイラストが、ユーモアたっぷりの筆致で添えられていた。時代小説の名手が、戦争のむごさ、そしてついに生きて会えなかった父への限りない愛情を綴る慟哭の記。」とあった。
著者の作品を読むのは初めて。昭和13年生まれというから母より5つ年下だ。その彼女が数え年4歳の時にお父さまが出征され、そのまま帰らぬ人となっている。
それにしても、どれほどの思いで戦地からこうした絵手紙を書き続けられたことか。どれだけ娘の成長をこの目で見たかっただろうか。無事に帰国して親子3人の生活を送りたかったことか。それを許さなかったのが戦争だ。改めてそのむごさを思う。
子どもの頃、母が祖母の実家に疎開した話を聞いたことがある。“東京の子”といじめられたこと、両親と離れて寂しかったことなど。片や父は、母より5歳年上で終戦の時に17歳。食べ盛り育ち盛りの思春期の男3人、女1人の兄姉と、それはひもじく辛い思いをしたようで、故郷の話になると口をつぐむほど、それ以上聞けなかった記憶がある。
終戦から66年、体験した人たちが高齢化し、直接体験談を聞くことが出来なくなっている。息子にも何とか聞かせておきたい、とまたしても思ってしまった。
3冊目は柳澤桂子さんの「いのちと環境 人類は生き残れるか」(ちくまプリマー新書)。
この新書は若い人向けのシリーズなのだが、コンパクトでとても分かり易い。息子に読んでもらいたいと思ったところ、自分が読んでも十分面白いことに気づいて、以来しばしば手に取っている。
帯には「生命にとって本当に必要なものは何だろう?『いのちと放射能』の著者の最新書き下ろし!」とあった。「はじめに」には「あなたがもし、この地球上で最後の一人の人間になったらどうしますか?あなたはその孤独に耐えられますか?地球に生きる最後の人間。あなた自身でなくても、あなたの子供や孫が最後の一人になることにあなたは耐えられますか?」とのっけから厳しく問いかける。
著者は1938年の生まれで、30代から原因不明の病に苦しみ、30年近く前に研究所を退職されて以来、病床で多数の科学エッセーを書いておられる。この本を書き始めることになったのも、環境のことをともに考えたいとの思いで立ち上げたブログがきっかけだという。
病と共存し、なおこうして病床から自らの務めを果たされることに強く胸を打たれた一冊だった。
昨夜はロキソニン、マグラックスを飲んだ。涼しかったせいか、疲れていたせいか、睡眠導入剤のお世話にならずとも普通に寝つくことが出来、足が攣ることもなく朝まで起きることもなかった。
昨夜から降り始めた雨がまだ降り続いている。涼しくていくらでも眠れそうだ。
グラニセトロンのせいか吐き気はそれほどでなく、ほっとしている。このまま今日、明日と乗り切れますように。