先日来、“がん”にまつわる映画を3本観たので、ご紹介したい。
1本目はハッピーエンド、観終わった後の気分が一番明るかった「50/50」(フィフティ・フィフティ)。
脚本家が体験した闘病中の様々なエピソードをまとめあげたものが原案となっているという。酒もたばこもやらない健康志向の若い男性が患者、という珍しいケース。27歳で突然の宣告。5年後の生存率が50%、転移後の生存率10%と、いきなり余命がちらつき出す。なんで僕が?!苦しい抗がん剤治療を行うが、奏功せず腫瘍は増大。背水の陣で臨んだ摘出手術が成功して、また新しい未来が開ける、というエンディング。
認知症を抱えた父をみる母、闘病を助けると言う恋人との別れ、新米セラピストとの新しい恋や、がんをネタにナンパまでしてしまう悪友、患者仲間との人間関係の中で物語は進む。
実はかなり重たい話なのに、いささかも暗くならないのは、この悪友との関係が大きい。それでも、悪友の部屋からがん患者の気持ちを慮る本が見つかった時には、友情の有難さに涙を誘われた。そして、がんという“非日常”を抱えながらも続いていく“日常”の有難さを思った。もう一つ印象に残っているのは、セラピストの部屋に飾られていた絵が、我が家のリビングのものと同じだったこと!思わず声をあげそうになってしまった。
2本目。題名にハッピーとはあるが、結局は亡くなってしまう「私だけのハッピー・エンディング」。
広告代理店に勤める絵に描いたような独身のキャリア・ウーマンで、仕事もプライベートも順風満帆だった30歳の女性に、ある日突然の余命宣告。この若さで検査により分かったことは、既に手術が出来ないほどまで進行した大腸がん。辛い抗がん剤も奏功せず、途中で治療を中止。最初はショックでおどおどする両親や、腫れ物に触るような友人たちに囲まれ、病をきっかけに出逢った主治医との愛を育みつつ、残された日々を心穏やかに過ごす、というもの。彼女自身が自分の気持ちを隠さず自分に向き合い始める。そして彼女が変わると、周りの人たちがどんどん地道に変わっていく、余計なものが削ぎ落とされていく感じが、実に鮮やかに映った。
そう、自分が変われば本当に周りは変わるのだ、と思う。逆に自分が変わることなしに、相手を変えることは出来ないのだろう。余命を宣告される、という特殊なケースに直面して初めて変わる、ということでなく、自分にとって本当に大切なものが日頃から分かっていることが出来れば、それに越したことはないのだけれど・・・。
3本目は、脳腫瘍が再発し余命3ヶ月とされた女性が、恋人を残して亡くなっていく「永遠の僕たち」。
両親を突然の自動車事故で亡くし、伯母と住むことになった20歳の男性は、それ以来、生きることからドロップアウトしてしまい、今は見知らぬ人たちのお葬式に、まるで遺族のようなふりをして喪服を着て参列することで時間潰しをしている。そこで出会った、子どものがん治療のボランテイアをしている、と名乗る女性が実はがんの闘病中であった。そして、第二次世界大戦で戦死した日本のカミカゼ特攻隊員の幽霊。若いカップルと幽霊の実に不思議な関係が、美しい映像の中で進んでいった。
かつてがん患者を描くということは、抗がん剤治療に代表される副作用を伴う厳しい闘病、必ずや訪れるとされる痛みと苦しみの中の壮絶な死・・・というだけの紋切り型の描き方、お涙ちょうだい的なものだったように思う。が、今や治療は日進月歩、闘病生活の中には当然さまざまな日常生活がある。闘病生活は全てではなくて生活の一部になっている。実際に経験している者からすれば、そうした描き方は、しらじらしい。
今回、3本の映画を見たが、それぞれが自分らしい生き方の模索、人との繋がり等を通してその生きた証を遺し、さらには少しでも明るい未来を感じさせるもの、遺された者たちがきちんと「さよなら」を言いながら、自分たちはその哀しみ、想い出を胸に自らの限りある生を大切に前向きに生きて行こうと思えるようなものになっているように感じた。
とにもかくにもようやく週末。今週は4日連続出勤したので、やはりいつもとペースが違った。寒い日が多かったので、胸痛も続いており、ちょっと憂鬱。しっかりリフレッシュしなくては。
1本目はハッピーエンド、観終わった後の気分が一番明るかった「50/50」(フィフティ・フィフティ)。
脚本家が体験した闘病中の様々なエピソードをまとめあげたものが原案となっているという。酒もたばこもやらない健康志向の若い男性が患者、という珍しいケース。27歳で突然の宣告。5年後の生存率が50%、転移後の生存率10%と、いきなり余命がちらつき出す。なんで僕が?!苦しい抗がん剤治療を行うが、奏功せず腫瘍は増大。背水の陣で臨んだ摘出手術が成功して、また新しい未来が開ける、というエンディング。
認知症を抱えた父をみる母、闘病を助けると言う恋人との別れ、新米セラピストとの新しい恋や、がんをネタにナンパまでしてしまう悪友、患者仲間との人間関係の中で物語は進む。
実はかなり重たい話なのに、いささかも暗くならないのは、この悪友との関係が大きい。それでも、悪友の部屋からがん患者の気持ちを慮る本が見つかった時には、友情の有難さに涙を誘われた。そして、がんという“非日常”を抱えながらも続いていく“日常”の有難さを思った。もう一つ印象に残っているのは、セラピストの部屋に飾られていた絵が、我が家のリビングのものと同じだったこと!思わず声をあげそうになってしまった。
2本目。題名にハッピーとはあるが、結局は亡くなってしまう「私だけのハッピー・エンディング」。
広告代理店に勤める絵に描いたような独身のキャリア・ウーマンで、仕事もプライベートも順風満帆だった30歳の女性に、ある日突然の余命宣告。この若さで検査により分かったことは、既に手術が出来ないほどまで進行した大腸がん。辛い抗がん剤も奏功せず、途中で治療を中止。最初はショックでおどおどする両親や、腫れ物に触るような友人たちに囲まれ、病をきっかけに出逢った主治医との愛を育みつつ、残された日々を心穏やかに過ごす、というもの。彼女自身が自分の気持ちを隠さず自分に向き合い始める。そして彼女が変わると、周りの人たちがどんどん地道に変わっていく、余計なものが削ぎ落とされていく感じが、実に鮮やかに映った。
そう、自分が変われば本当に周りは変わるのだ、と思う。逆に自分が変わることなしに、相手を変えることは出来ないのだろう。余命を宣告される、という特殊なケースに直面して初めて変わる、ということでなく、自分にとって本当に大切なものが日頃から分かっていることが出来れば、それに越したことはないのだけれど・・・。
3本目は、脳腫瘍が再発し余命3ヶ月とされた女性が、恋人を残して亡くなっていく「永遠の僕たち」。
両親を突然の自動車事故で亡くし、伯母と住むことになった20歳の男性は、それ以来、生きることからドロップアウトしてしまい、今は見知らぬ人たちのお葬式に、まるで遺族のようなふりをして喪服を着て参列することで時間潰しをしている。そこで出会った、子どものがん治療のボランテイアをしている、と名乗る女性が実はがんの闘病中であった。そして、第二次世界大戦で戦死した日本のカミカゼ特攻隊員の幽霊。若いカップルと幽霊の実に不思議な関係が、美しい映像の中で進んでいった。
かつてがん患者を描くということは、抗がん剤治療に代表される副作用を伴う厳しい闘病、必ずや訪れるとされる痛みと苦しみの中の壮絶な死・・・というだけの紋切り型の描き方、お涙ちょうだい的なものだったように思う。が、今や治療は日進月歩、闘病生活の中には当然さまざまな日常生活がある。闘病生活は全てではなくて生活の一部になっている。実際に経験している者からすれば、そうした描き方は、しらじらしい。
今回、3本の映画を見たが、それぞれが自分らしい生き方の模索、人との繋がり等を通してその生きた証を遺し、さらには少しでも明るい未来を感じさせるもの、遺された者たちがきちんと「さよなら」を言いながら、自分たちはその哀しみ、想い出を胸に自らの限りある生を大切に前向きに生きて行こうと思えるようなものになっているように感じた。
とにもかくにもようやく週末。今週は4日連続出勤したので、やはりいつもとペースが違った。寒い日が多かったので、胸痛も続いており、ちょっと憂鬱。しっかりリフレッシュしなくては。