ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.1.26 昨日通院日に読んだ2冊と義母のこと

2012-01-26 20:31:01 | 読書
 昨日は2冊読んだ。
 1冊目は山本博文さんほかの「こんなに変わった歴史教科書」(新潮文庫)。
 比較対象になっている昭和を代表する1972年の教科書と、平成を代表する2006年の教科書というと、1974年4月から1977年3月まで中学生だった私、2008年4月から2011年3月まで中学生だった息子、と若干のずれはあるにせよ、重なる時期であり、興味深かった。
 私は受験では日本史を選択したが、年号の語呂合わせ等は、いや、そうだった、そうだった・・・と懐かしく読んだ。聖徳太子像、足利尊氏像として見ていた絵が、実はそうではないとか、世界最大の前方後円墳が実は、とか・・・、踏絵が実は絵踏の間違えだったとか。目から鱗のことが満載だった。
 私が「現代」として習ったものは間違いなく35年前の過去になっているし、歴史研究が進み、教科書がどんどん進化しているのは当然のことだけれど。
 山本博文さんのほかに執筆を担当したのが、「中世」以降は全て私が勤務する大学の院生や卒業生だったのも何やらご縁を感じた。
 今度、息子の歴史教科書をこっそり見せてもらおうかな、と思っている。あの雑然とした部屋に入るのは、かなりの勇気がいるのだけれど。

 2冊目は、週刊朝日MOOK「悔いなき最期を考える『終活』シリーズ第2弾 だから死ぬのは怖くない」(朝日新聞出版)。
 本書は当初、3月発刊の予定だったそうだ。そこへあの東日本大震災が起きた。結局11月初旬の発行になった。被災地のことを考えると「死」について語ることにためらいのある時期だったからだ、という。でも逆にこんなときだからこそ、と編集にはいろいろな思いがよぎったことだろう。もちろん、だからといって自死を薦めている本では、決してない、と編集後記にあった。
 ネットの記事を見て以前から気になっていたのだが、ようやく手にすることが出来た。
 アンケートによる2847人の死生観、帯津良一先生と7名の著名人との健康問答対談、その他、末期がん男性患者の医師・看護師同伴の海外旅行、ホスピス看護師の文章などが満載。写真も豊富な160頁ほどのものだったが、すらすらと一気読み。付録としてエンディング・ノート「死ぬときに後悔しないために書きおくこと22」がついている。
 中でも特に「余命18日(ホスピスに入ってからの患者の平均入院日数)からの死の受け入れ方」という話はストンと心に入ってきた。私たちはどこかで健康な状態が正常で、病気になった状態を異常だと思っているのではないか、と。病気になることは、抗えないものだったかもしれない。治療して良くなったり悪くなったり、そのたびに出てくる自分の体の状態を「これが今の私なんだ」と考え、そうやって死を受け入れていくことが「人生の達人」なのだ、と。
 占いを信じているわけではないが、ふと手のひらを見ると、かつては長く手首まで延びていた生命線が、今はずいぶん短くなっているように見える。手相は変わるというのは本当なのかな、と思う。

 さて、入院中の義母の容体について。
 やはり3分づきでもお粥等固形物が喉を通るようになり、便が大分固くなってきたようだ。輸液だけ、流動食の時はおむつでも間に合わず、汚れものの洗濯が大変で、別に洗濯機を買い、汚れもの専門で洗っているけど大変、と義妹から聞いていたので、とにかく良かった、と思う。私は何も役に立たないので、せめて後方支援と思い、義妹たちが住む市のホームページ等を調べてプリントアウトし、入院中でも出来るので是非介護保険の申請をなさるように、と夫を通じてお願いしていた。
 そして、昨晩、市役所に行ってきた、との連絡があった。良かった。2週間以内に様子を見に来てくれるという。退院して在宅になってから申請するのでは間に合わない。入院中に申請だけでもしておけるということが分かって有難かった。一度繋がれば、ずっと気にかけてもらえるはず。初めの一歩が出来て本当に良かった。これからの回復に向けての、短くはないであろう道程の少しでも手助けになることを願ってやまない。

 体調だが、昨夜はトラベルミンを飲んで就寝。気持ち悪さはちょっとあったが、1時間ほどの早朝覚醒で済んだ。それでも往生際悪くベッドで目覚ましが鳴るまで待機。朝はいつもの半分程度を食べてイメンド80㎎、ロキソニン、マグラックス、トラベルミンを飲む。午前中、なんとなくだるさと熱っぽさ、気持ち悪さが残る。
 昨日休んだ分のたまった仕事を午前中大急ぎで片づけた。お昼は気分転換に学外へお散歩して、薬を飲むために少しだけお腹に入れた。午後もやることが目白押し。暇よりもずっといいが、やはり根を詰めて仕事をすると疲れる。帰宅すると本当にがっくりして、いつもならなんでもなく出来る食事の支度が苦痛だ。

 日なたの雪はほぼ溶け切ったが、日陰はまだシャーベット状。自転車で行き来する学生が滑っていた。朝、中庭には大きなドラえもん等の雪だるまが3体あった。帰りには大分崩れていたけれど。
 大学生とはいえ、雪が降ると、やはり雪だるまを作りたくなるのだな、と微笑ましくちょっぴり崩れかけた顔を見つめた。

コメント (2)
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