今日は、1日遅れの仕事始め。
出勤簿が真新しくなっており、初日に「病休」と押印されている。新年早々、自分の出勤印より先に「病休」印。仕方ないことなのだが、目の当たりにすると、ちょっと凹む。
昨日はさすがに建物全体が冷え切っていて、午前中一杯、皆で震えていたようだが、今朝出勤時の机上の温度計は15度をさしていて、とても暖かく感じた。最強の170デニール(!)のタイツで出勤したのも功を奏したか。
さて、昨日帰宅した夫と息子の話。夫からは、3日に広島市内の平和祈念館を見学していた折、●●(息子)が新聞のインタビューを受けていたよ、という話をメールで知らされていた。
昨夜遅く思い出して、記事はボツになったのかどうなのか気になるね・・・と、一応ネットで検索してみたところ、ビンゴ!しっかり地域版に本人のコメント、名前等が掲載されていた。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
原爆で家族奪われた思い展示 2011.1.4 △△新聞
原爆によって家族を奪われた人たちの体験記を集めた企画展「しまってはいけない記憶―家族への思い―」が、広島市中区の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開かれている。12月28日まで。
毎年テーマを決め、祈念館に収められている約13万編の体験記の中から選んで展示している。今回は亡くなった家族への思いを記した32編で、日本語、英語、中国語、韓国語で閲覧できる。
横川町(西区)で崩れた自宅の下敷きになり3歳の長女を残したまま助け出された女性は「助かったことがすまなくて『許して、この親を許して』と叫ぶ毎日でした」と悲痛な心情をつづっている。東京都の高校1年●●●●さん(15)は「家族がなすすべもなく奪われる状況を思うと言葉が出ない。命の大切さをかみしめた」と話した。
(転載終了) ※ ※ ※
夫からもらっていたコメントの感じとはちょっと違ったので、本人に確認したところ、「いやあ、お父さんはまとめ方が下手。やっぱりああいう人ってうまくまとめてくれるんだね。実際は、これこれこうこう言った。」とのこと。なるほど・・・であった。若い遠方からの訪問者ということが珍しかったのかもしれない。今回の旅行のもう一つの大きなお土産だった。
彼は旅行に出ると、不思議と何かしらそんなものを持ち帰ってくる。
昨年もやはり夫と2人で”さよなら、ブルートレイン・ツアー”に出かけたのだが、なんとテレビ番組収録中のお笑いタレントさんと同じ車内にいたようで(別に本人がインタビューされていたわけではないが、)、近くで車掌さんと話しているところがしっかり映って全国放送されていたのだ。何にも知らずにブルトレツアーということで録画予約しておき、後で見てみたところ、「えっ、これって・・・●●が映っているよ!」と夫。本当に驚いた。
そんなわけで、今回も思い出に残る旅・・・うまく表現出来ないのがもどかしいのだが、私からすれば“今、僕がここにいた、という生きた証”のような・・・が出来たのは何よりだ。拡大解釈すれば、私の遺伝子を半分引き継ぐ息子が生きた証=私という人間が生きた証でもある。長期間の旅行に送り出すにあたって、スポンサー兼大蔵大臣の母としても、正直とても嬉しい。
それにしても、便利な世の中になったものだ。かつてなら、東京にいて地方新聞のこれまた地域版を手に入れること等、並大抵なことではなかっただろう。それが、パソコンの前に座るだけで、全国各地の新聞の地方版までカラー写真付きで読める。もちろんその分情報に溺れて・・・というデメリットはあるが、今年もうまく取捨選択した情報を活用していきたいと思う。
今日、当の息子は旅行土産とその記事のコピーを携えて、祖父母と待ち合わせてランチ。実家に対する母(私)の日頃の不義理を代わりに詫びつつ、さりとて遠慮することなく豪快に2人前以上たいらげてくるのだな、と苦笑する。30分バスに揺られて杖をつき、孫に会うためならエンヤコラ!と百貨店のレストラン街まで出向いてくれる高齢の両親にも感謝だ。
今年5月、84歳を迎える辰年・年男の父には、旅先で頂いたという辰の色紙なども入れて。最終日に2人が立ち寄った高松は父の生まれ故郷でもある。既に親戚縁者は一人もいないと聞いている。もう何十年も訪れていないだろうからさぞや驚くだろうと、まるで外国の駅のような近代的な駅近辺の写真等も持たせた。ちょっぴり良い話題提供が出来たことが、罰当たり娘にとっては素直に嬉しい。
そして私は予定していた残業が明日に集中することになり、予定より1時間ほど早く帰宅出来た。我が家には「先に帰った方が、夕食の支度をする」という暗黙のルールがある。おかげさまで、今夜も夫が夕食当番。有難いことである(ちなみに「夕食を作った方は、後片付けはしない」というルールも生きている。)。
体調だが、昨夜は睡眠導入剤なく眠れたものの、朝は味覚異常があり、食事が不味かった。その後もなんとなく気持ち悪いモタモタ感があり、食欲はいまいちだが、無事やり過ごせた。
昨日の投与当日内服したイメンド125㎎は1錠5000円弱、翌日・翌々分の80㎎は2錠で7000円弱。1クール合計12000円弱(うち3割が自己負担)という金額を、吐き気止めだけに費やすことを高いと思うか安いと思うか・・・。それでもこうして働けることで、元気をキープしている私にとっては、働き続けて行く意欲を失わないための必要経費だと思っている。7割の負担をしてくださる共済組合には足を向けて眠れないけれど・・・。
出勤簿が真新しくなっており、初日に「病休」と押印されている。新年早々、自分の出勤印より先に「病休」印。仕方ないことなのだが、目の当たりにすると、ちょっと凹む。
昨日はさすがに建物全体が冷え切っていて、午前中一杯、皆で震えていたようだが、今朝出勤時の机上の温度計は15度をさしていて、とても暖かく感じた。最強の170デニール(!)のタイツで出勤したのも功を奏したか。
さて、昨日帰宅した夫と息子の話。夫からは、3日に広島市内の平和祈念館を見学していた折、●●(息子)が新聞のインタビューを受けていたよ、という話をメールで知らされていた。
昨夜遅く思い出して、記事はボツになったのかどうなのか気になるね・・・と、一応ネットで検索してみたところ、ビンゴ!しっかり地域版に本人のコメント、名前等が掲載されていた。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
原爆で家族奪われた思い展示 2011.1.4 △△新聞
原爆によって家族を奪われた人たちの体験記を集めた企画展「しまってはいけない記憶―家族への思い―」が、広島市中区の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開かれている。12月28日まで。
毎年テーマを決め、祈念館に収められている約13万編の体験記の中から選んで展示している。今回は亡くなった家族への思いを記した32編で、日本語、英語、中国語、韓国語で閲覧できる。
横川町(西区)で崩れた自宅の下敷きになり3歳の長女を残したまま助け出された女性は「助かったことがすまなくて『許して、この親を許して』と叫ぶ毎日でした」と悲痛な心情をつづっている。東京都の高校1年●●●●さん(15)は「家族がなすすべもなく奪われる状況を思うと言葉が出ない。命の大切さをかみしめた」と話した。
(転載終了) ※ ※ ※
夫からもらっていたコメントの感じとはちょっと違ったので、本人に確認したところ、「いやあ、お父さんはまとめ方が下手。やっぱりああいう人ってうまくまとめてくれるんだね。実際は、これこれこうこう言った。」とのこと。なるほど・・・であった。若い遠方からの訪問者ということが珍しかったのかもしれない。今回の旅行のもう一つの大きなお土産だった。
彼は旅行に出ると、不思議と何かしらそんなものを持ち帰ってくる。
昨年もやはり夫と2人で”さよなら、ブルートレイン・ツアー”に出かけたのだが、なんとテレビ番組収録中のお笑いタレントさんと同じ車内にいたようで(別に本人がインタビューされていたわけではないが、)、近くで車掌さんと話しているところがしっかり映って全国放送されていたのだ。何にも知らずにブルトレツアーということで録画予約しておき、後で見てみたところ、「えっ、これって・・・●●が映っているよ!」と夫。本当に驚いた。
そんなわけで、今回も思い出に残る旅・・・うまく表現出来ないのがもどかしいのだが、私からすれば“今、僕がここにいた、という生きた証”のような・・・が出来たのは何よりだ。拡大解釈すれば、私の遺伝子を半分引き継ぐ息子が生きた証=私という人間が生きた証でもある。長期間の旅行に送り出すにあたって、スポンサー兼大蔵大臣の母としても、正直とても嬉しい。
それにしても、便利な世の中になったものだ。かつてなら、東京にいて地方新聞のこれまた地域版を手に入れること等、並大抵なことではなかっただろう。それが、パソコンの前に座るだけで、全国各地の新聞の地方版までカラー写真付きで読める。もちろんその分情報に溺れて・・・というデメリットはあるが、今年もうまく取捨選択した情報を活用していきたいと思う。
今日、当の息子は旅行土産とその記事のコピーを携えて、祖父母と待ち合わせてランチ。実家に対する母(私)の日頃の不義理を代わりに詫びつつ、さりとて遠慮することなく豪快に2人前以上たいらげてくるのだな、と苦笑する。30分バスに揺られて杖をつき、孫に会うためならエンヤコラ!と百貨店のレストラン街まで出向いてくれる高齢の両親にも感謝だ。
今年5月、84歳を迎える辰年・年男の父には、旅先で頂いたという辰の色紙なども入れて。最終日に2人が立ち寄った高松は父の生まれ故郷でもある。既に親戚縁者は一人もいないと聞いている。もう何十年も訪れていないだろうからさぞや驚くだろうと、まるで外国の駅のような近代的な駅近辺の写真等も持たせた。ちょっぴり良い話題提供が出来たことが、罰当たり娘にとっては素直に嬉しい。
そして私は予定していた残業が明日に集中することになり、予定より1時間ほど早く帰宅出来た。我が家には「先に帰った方が、夕食の支度をする」という暗黙のルールがある。おかげさまで、今夜も夫が夕食当番。有難いことである(ちなみに「夕食を作った方は、後片付けはしない」というルールも生きている。)。
体調だが、昨夜は睡眠導入剤なく眠れたものの、朝は味覚異常があり、食事が不味かった。その後もなんとなく気持ち悪いモタモタ感があり、食欲はいまいちだが、無事やり過ごせた。
昨日の投与当日内服したイメンド125㎎は1錠5000円弱、翌日・翌々分の80㎎は2錠で7000円弱。1クール合計12000円弱(うち3割が自己負担)という金額を、吐き気止めだけに費やすことを高いと思うか安いと思うか・・・。それでもこうして働けることで、元気をキープしている私にとっては、働き続けて行く意欲を失わないための必要経費だと思っている。7割の負担をしてくださる共済組合には足を向けて眠れないけれど・・・。