ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.1.22 人は育てられたようにしか育てられない-ALWAYS 3丁目の夕日‘64―

2012-01-22 21:38:56 | 映画
 標題の映画を観てきた。
 ご存知のとおり、昭和33年を舞台にした7年前の第1作、翌年の続編に続く第3作である。
 今回の舞台は1964年、東京オリンピックの年。東海道新幹線開通の年である。1961年生まれの私は、3歳になっていたはずなのだが、残念ながらオリンピックは全く覚えていない。新幹線に初めて乗ったのは、大阪に住む伯母のお見舞いに行った幼稚園児の時だったから、1966年だったか。「ひょっこりひょうたん島」は楽しみに見ていたし、テーマソングは今でも歌える。3つ上の従姉と一緒に“シェー”のポーズをした、我ながらひょうきんなおかっぱ姿の写真もあったっけ。

 夫はテレビで前週、前々週に放映されていた1作目、2作目を見て復習していたので、すんなり第3作に入り込んでいたようだ。隣でずっとグシュグシュしていた。こう来るかな、と思いつつもしっかり泣かされ、笑わされた2時間半だった。主要な登場人物はすっかりそのまま持ち上がり。大人は殆ど変わっていないのだけれど、あんなにやんちゃで可愛かった子どもたちが一丁前に思春期を迎えており、思わず隣の息子をしげしげと見てしまった。
 
 今日は、茶川先生の実家のエピソードから、タイトルを付けた(これからご覧になる方は、以下読み飛ばして頂く方が良いかもしれません。)。
 自分が小説家になることに大反対して勘当を言い渡した父が、実は自分の一番の応援団だった・・・。そのことを父が死して初めて知る息子。一方、東大を出て安定した職業に就いてほしいと望みながら、どうしても小説家になりたい、という息子(のように育てた)淳之介君を追い出してしまう茶川先生。結局、そうして自分を逃げられないところに追いつめて、自立をうながしてくれた父と同じことをしてしまう。
 子どもにとってどんな育て方が良いか、などはその時は決してわからない。おそらくどんな親もやり直しの効かない一回限りの子育てを体当たりで試行錯誤、悪戦苦闘しながら取り組む。
 そして、自分が子どもを育てる親になってみて、結局のところ、人は自分が育てられたようにしか育てられないのではないか、と思う。少なくとも私は、そうだ。父に、母に、こう育てられた、と息子に同じことを要求してしまう哀しさ。けれど、子育ては1人で出来るものではないから、夫がその両親に育てられたやり方をミックスして、また新しい我が家の子育てが出来ているのかもしれない、とも思う。
 息子もいつか子育てをする日が来るのかもしれない。私たちに育てられたそのやり方と、伴侶となる方が育てられたそのやり方をうまく折衷しながら新しい命を精いっぱい育てて行ってほしいものだ、と思う。

 今回、茶川先生とヒロミさんには女の赤ちゃんが産まれた。六子ちゃんはお医者様と結婚。ラストシーン、それぞれが夕日を見上げるその姿に、皆に幸せがやってきてほしい、と強く思った。
 そして、早くもまた、続編を楽しみにしている“昭和”生まれの私がいる。
 
 昨日は新年会帰宅後、夕食も作らずお夕寝をしてしまった。
 今朝はたっぷり眠ったおかげか、ようやく普通に朝食が取れた。そして、予定通り、夫と息子と3人で映画を観に出かけてきた。
 午後は久しぶりに骨盤矯正ヨガに参加。たっぷり汗をかいてすっかりリフレッシュ出来た。復活の日曜日、である。

 
コメント (2)
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