夫は、リクエストに応じて、仕事上の情報をまとめてメール配信している。週1回とはいえ記事が多いときには臨時号もあり、かなりの分量。今現在、一体何人くらいにお送りしているのかは(当然BCCなので)分からない。今年の年賀状を仕分けしていたら、この通信物への謝辞をコメントしてくださっている方がかなりの数あった。当初、私は宛先には含まれていなかったのだが、いつの頃からか、送信確認の一助にしたかったのか、私にも送ってくれるようになった。
情報そのものは専門的な分野の話題が殆どなので、素人の私が全てを読み通すことはとても出来ない。だが、中には話のタネになりそうなもの、ブログネタにも使えそうなものもあるので、軽く目を通させてもらっている。それと、送る時の枕詞である夫のご挨拶コメントに、つれづれの彼の本音が出ていてなかなか面白い。
お互いが、日中の一番長い時間を過ごす“職場”という所で日々一体何をしているのか。夫婦とはいえども仕事には当然守秘義務があるから、分からないこと、知らないことも多い。けれど、お互い興味も持たず、全く知らない・・・で済ますよりは、ちょっぴりでも分かっていた方が俄然面白い、と思う。
ちなみに、昨年の仕事納めの日の挨拶文を、転載させて頂く。今年度の51号目、通算では298号だという。
※ ※ ※(転載開始)
この一年、大変お世話になりました。お礼申し上げます。
いろいろなことがありましたが、結局、“3月11日”に集約される一年だったと感じます。
地震と津波によって受けた被害の大きさもさることながら、これから発生するかもしれない放射能被害に対する恐怖感は、底知れぬものがあります。
楽観的、悲観的、様々な見解が巷に飛び交う状況は、9ケ月経った今でも全く変わりません。
また、政治や行政の対応能力は、緊急事態に陥るとほぼ絶望的であるということを、しっかり確認させられた年でもありました。
ということは、多分、私たちはこの恐怖感を心の隅に張り付けたまま、これからの人生を過ごさなければならないということになります。
どうしようもないことではありますが、せめて、これ以上の厄災を抱え込むことがないように、と願わずにはおられません。
そういう意味で、皆様、来年がそこそこに良い年であることを祈ります。
(転載終了)※ ※ ※
恐怖感を心の隅に貼り付けたまま、これからの人生を過ごさなければならない、という部分に目が止まった。考えてみれば、私が病気とあとどのくらい共存していけるのかということは、決して私だけの恐怖ではなく、夫にとっても同じことなのかもしれない、と。
夫は私のこの日々のブログで、私が考えていること・・・かなり露骨で過激な本音まで・・・を読んでいる。一方、私は、夫が送ってくれるこの通信物に添えられたコメントの端々から、彼の思いを読み取れる。今では、送ってくれることをとても感謝している(なかなか面と向かっては言えないことはこうしてブログに書ける。有難いことである。)。
昨夜は一旦就寝後、夜中の2時半頃に目覚めたと思ったらそのまま眠れずじまい。朝は食欲なく、薬を飲むためになんとか押し込んだが少なめ。やはり気持ち悪さと火照り、だるさが続いている。
今日も残業で夜遅くなるので、昼は何とかお腹に入れた。が、さすがに年始のナベルビン投与翌日と翌々日の2レンチャンの残業は応えた。夫が夕食を作り、息子と2人で私の帰りを待っていてくれたが、あまりの疲労感にそのまま倒れ込んでしまい、1時間ほどウトウトと寝て、動くことが出来なかった。ようやく先ほどおかずだけ頂き、薬を飲んだ。明日からは3連休。何ともヨレヨレの身に、有難い。
情報そのものは専門的な分野の話題が殆どなので、素人の私が全てを読み通すことはとても出来ない。だが、中には話のタネになりそうなもの、ブログネタにも使えそうなものもあるので、軽く目を通させてもらっている。それと、送る時の枕詞である夫のご挨拶コメントに、つれづれの彼の本音が出ていてなかなか面白い。
お互いが、日中の一番長い時間を過ごす“職場”という所で日々一体何をしているのか。夫婦とはいえども仕事には当然守秘義務があるから、分からないこと、知らないことも多い。けれど、お互い興味も持たず、全く知らない・・・で済ますよりは、ちょっぴりでも分かっていた方が俄然面白い、と思う。
ちなみに、昨年の仕事納めの日の挨拶文を、転載させて頂く。今年度の51号目、通算では298号だという。
※ ※ ※(転載開始)
この一年、大変お世話になりました。お礼申し上げます。
いろいろなことがありましたが、結局、“3月11日”に集約される一年だったと感じます。
地震と津波によって受けた被害の大きさもさることながら、これから発生するかもしれない放射能被害に対する恐怖感は、底知れぬものがあります。
楽観的、悲観的、様々な見解が巷に飛び交う状況は、9ケ月経った今でも全く変わりません。
また、政治や行政の対応能力は、緊急事態に陥るとほぼ絶望的であるということを、しっかり確認させられた年でもありました。
ということは、多分、私たちはこの恐怖感を心の隅に張り付けたまま、これからの人生を過ごさなければならないということになります。
どうしようもないことではありますが、せめて、これ以上の厄災を抱え込むことがないように、と願わずにはおられません。
そういう意味で、皆様、来年がそこそこに良い年であることを祈ります。
(転載終了)※ ※ ※
恐怖感を心の隅に貼り付けたまま、これからの人生を過ごさなければならない、という部分に目が止まった。考えてみれば、私が病気とあとどのくらい共存していけるのかということは、決して私だけの恐怖ではなく、夫にとっても同じことなのかもしれない、と。
夫は私のこの日々のブログで、私が考えていること・・・かなり露骨で過激な本音まで・・・を読んでいる。一方、私は、夫が送ってくれるこの通信物に添えられたコメントの端々から、彼の思いを読み取れる。今では、送ってくれることをとても感謝している(なかなか面と向かっては言えないことはこうしてブログに書ける。有難いことである。)。
昨夜は一旦就寝後、夜中の2時半頃に目覚めたと思ったらそのまま眠れずじまい。朝は食欲なく、薬を飲むためになんとか押し込んだが少なめ。やはり気持ち悪さと火照り、だるさが続いている。
今日も残業で夜遅くなるので、昼は何とかお腹に入れた。が、さすがに年始のナベルビン投与翌日と翌々日の2レンチャンの残業は応えた。夫が夕食を作り、息子と2人で私の帰りを待っていてくれたが、あまりの疲労感にそのまま倒れ込んでしまい、1時間ほどウトウトと寝て、動くことが出来なかった。ようやく先ほどおかずだけ頂き、薬を飲んだ。明日からは3連休。何ともヨレヨレの身に、有難い。