昨夜は、ユニットバスでの入浴を少しでも華やかな気分に、とアロマバブルバスを持参してちょっと優雅に泡風呂入浴。ベッドに入ったらもはや眠気に勝てず、早々と電気を消した。
今朝は目覚ましをかけた時間より30分以上早く目覚めてしまう。カーテンの外は朝日が眩しい。暑くなりそうである。
目覚ましが鳴るまでスマホチェックしながらベッドで佇み、浴槽足湯の準備をして顔を洗う。家族LINEに「おはよう」のスタンプを送る。今日は2人とも出勤だ。
身支度をして階下のレストランに。朝食メニューが以前より進化していた。テーブルも椅子も少なくなっていて、部屋に持ち帰って摂ることも出来るシステムになっていた。ちょっとずつ色々頂き、食後の薬を飲む。
新聞を片手に部屋に戻り、BSで朝ドラを視て、身支度を整える。お腹は快調すぎるくらい。朝からお手洗いを往復だ。
最低限の手提げを持ち、荷物を預けて身軽に出発した。薄手のジャケットを持参したが、七分のカットソーだけで全く問題ないほど気温が上がっている。晴雨兼用の日傘を差して歩く。歩道の花の植え込みが綺麗だ。
病院に到着すると、受付のIDカード機の前に列はできておらず、すんなり。採血・生理検査受付へ移動。採血のピンク色の受付番号表を取り、掲示板を見ると、20人弱が待っている。待ち時間は最初7分と出ていたが、最終的に15分待ちになった。
今日の採血担当は、初めましての女性技師のMさん。針刺しはちょっと痛み、5本の採取している間、血管が何度となく押される感じがし、いつもより時間がかかった。抜針もそれなりに痛む。ちょっとハズレ。
採血が終了し、お礼を言って採血室を後にし、止血をしながらエスカレーターで2階のレントゲン受付へ。黄色い番号札を取ると、10人待ちだ。10分も待たずに中廊下へ。今日もブラトップとカットソーで着替え不要なので、そのまま呼ばれるまで待って撮影室へ。正面と側面から2枚撮影して、終了する。
エスカレーターを降りて腫瘍内科に移動する。待合い椅子はまだそれほど混んでいないが、定位置は確保できず、ちょっと後ろの席を確保。定位置に比べて本を読むには灯りが暗いのだ。受付も並んでおらず、月初めなので保険証確認も一緒に提出する。
いつものようにコロナ関連問診票を頂き、息切れ以外全て「ない」に〇をして、息切れの「ある」の前に“たまに”を追加。
本日のお供は、昨日の続き「今度生まれたら」から。実に面白い。いやいや、女って生き物は本当に・・・と思う。
採血終了から1時間ほど経って血圧測定。103-60、脈拍が94でやや早め。「中待合にどうぞ」に私の番号が出たのは腫瘍内科受付から1時間経過した頃。実際に診察室に入れたのはそれから15分ほどしてからだった。病院に到着してから2時間弱。まぁ順調である。
先生が扉を開け、会釈をされる。「おはようございます。」と診察室に入り、扉を閉め、荷物を籠に入れ、体調管理ノートやエンハーツダイアリー等を出して席に着く。
「さて、いかがでしたか。」と問われ、「はい。5日間の籠城蟄居はいつも通りでしたが、せっかく5週間開けて頂いたのにGWに風邪をひいてしまい、咳に悩まされました。つくづく風邪を引いたらいけないと思いました。気圧の変化や寒暖差が大きかったことも影響したのか胸骨・左鎖骨が痛み、コデインやロキソニンを飲んだり、痛み緩和に苦労しました。便秘のコントロールにもちょっと時間がかかってしまいました。」とご報告。
「今日は、忘れないように先にプリントアウトしておきました。」と採血結果をお渡しくださる。マーカーは若干下がっている。
PCには2枚の胸部レントゲン画像が並んでいる。先生が仰るには「前回のCTの画像と同じで、大きく変わる所はない」とのこと。「右の上部の抜けていた部分(空洞)がなくなって薄く広がっているけれど、左のものや右下のもの等は変わっていない。なので、変えないで続けましょうか。」と。
「では、次回も5週間後でいいのでしょうか?」と訊くと、頷かれる。
「もしまた必要があれば4週間毎に戻すということでしたが、再来月もその可能性があるのでしょうか?」と訊くと「本来は3週間毎のところを4週間毎にし、今期更に5週間毎にしたので、また短く戻すのはきついでしょう? なので5週間毎で(エンハーツを)続けるか、4週間にするなら別の(次の)治療ですね。治療変更でしょう。」とのこと。
「治療変更というと、ウイークリータキソールでしょうか?今も痺れが取れずにあるので、ちょっときついかと思います(更に、その場では口に出さなかったけれど、5回目の脱毛・・・避けたい)。」と再確認すると、「抗HER2薬が良く効くのは分かっているので、病状が深刻なら(きついかもしれませんが有無を言わず)パージェタ+ハーセプチンにタキソール上乗せですね。」と。「ただ、ボチボチ変えようかな~くらいのレベルなら、カドサイラに戻る手もなくはない」と仰る(おお、こちらが良い!)。
先日のがんサロンでゲノム検査が話題になったことの確認もする。「(ゲノム検査をする)タイミングとして、まだ早いでしょうか。」と訊く。「いや、最近は早めにやった方が良いという流れなので、早すぎることはないです。」と仰る。
「では、是非やりたいです。」と言うと、「〇〇さんの場合、腫瘍サンプルが残っていないので、血液検査で行うリキッドタイプしか出来ないですが、この場合は(結果が)よく出るパターンと出ないパターンがあるようです。特に、骨と肺の転移の場合は結果が良く出ないケースが起こりやすいようです。更にこの検査は、治療が上手くいっている時は、血液中のがん細胞の均衡状態が保たれているため良い結果が出ない。壊れたがん細胞が血液中に出て初めて結果が出る、つまりがんが暴れている状態の方が良い結果が出るのです。」とのこと。
うーん、微妙だ。つまりエンハーツが効かなくなって、がんが暴れ出し、タキソールを始めた段階ならゲノム検査が出来る、と言われているわけだ。それならやはりエンハーツにこのまま頑張ってもらう方が良いではないか。もしくはそれほど暴れず、カドサイラで何となく粘れる方が良いではないか。
検査自体は院内で可能で、連携病院に委託する必要もないが、結果が判るまでは4週間ほどかかるとのこと。待ったなし、の状態ではかなり長く感じるだろう。それでも思い切って聞いて良かった。
驚いたのは採血の結果だ。これまで3,000台からせいぜい4,000台だった白血球がなんと上限ギリギリの8,500。何か炎症反応でもあったのかと驚愕してしまう。そして1,000台から2,000以上あればびっくりしていた好中球に至っては6,000もある。どちらもほぼ2回分ではないか、と目を疑う。それ以外のコンマいくつとかいうHやLは影が薄く見える。
薬の処方について、排便コントロールに関連するものを追加でお願いする。便を柔らかくする酸化マグネシウム、小児用ロペミン顆粒(下痢止め)、さらに先日のお喋り会で情報を頂いた1滴ずつ調整出来る(センナ系ではない)液体の下剤を処方して頂いた。ひとまず5滴からスタートしてみるように、ということだったが、水でなくジュース等で飲んでも問題なしとのこと(この量は赤ちゃんのレベル!)。
また、吐き気止めについて、昨年発売されたばかりの、半減期が長い点滴次世代の吐き気止め(プロイメンド)があるとのことで、次回からアロキシ、デキサートミックスに加えてそれにしてみましょうか、と仰るので、是非、と。
だが、本来イメンドは治療翌日と翌々日のみ服用のところ、私は安全が確保されている最大限2日分を追加しているので、それとの関係で比較出来ないため、残念ながらこれまで通りイメンドを内服する形を続けることになった。
残薬があるコデイン、ミヤBMは少し少な目に、それ以外は前回同様でお願いした。診察室での体温は6度7分。
お礼を言って診察室を出る。化学療法室へ移動すると4人待ち。予備の椅子が出ている。LINEの受付スリップは17番。
ひとまず門前薬局にLINEで処方箋の写真を送る。処方箋が3枚にわたっているので、写真が撮りにくい。15分ほどしてSさんから、イメンドのジェネリックであるアプレピタント125㎎が届く。持参したダージリンティーで飲み終える。ほどなくしてKrさんに外側の一番奥、お気に入りの席に案内される。
アプレピタントが効くまでは点滴が始められない。お手洗いを済ませ、椅子周辺の環境整備をして態勢を整える。夫やお友達に報告LINEをしてから読書再開である。
薬剤師のHさんがヒアリングに見える。排便コントロール等について新しい薬の滴数等についてお話を聞き、痺れや浮腫みについての状況確認を終える。
薬を飲んで40分ほどすれば点滴開始なのだが、今日は1時間経っても針刺しにも来ない。ようやく初めましての看護師さんが見え、ご挨拶する。Mさんは4月から異動されてきたそうだ。
針刺しはちょっと痛んだが、なんとか落ち着く。Krさんが薬を持ってきてくださり、点滴が開始されたのは、化学療法室に入ってから1時間半近く経ってからになった。前回よりは早いが、それでも最初のアドバンテージは既になくなっている。
息子の結婚話やら、断捨離で本を処分している話やら何やら、ついつい引き留めてお話してしまう。順調にいけば吐き気止めのアロキシ・デキサートミックス15分、ブドウ糖を全開で10分ほどで落としてから、エンハーツ30分ほど、再度ブドウ糖10分、生食で1時間ちょっとだが、取り換え等に結構時間がかかって、スタートから終了まで1時間半ほどかかった。化学療法室滞在時間は2時間半以上。
途中で少し眠くなるが、1冊目を読み切り、2冊目に突入する。石井光太さんの「こどもホスピスの奇跡」(新潮文庫)。石井さんのドキュメントはこれ迄にも数冊読んでいる。帯には「短くとも、深く生きる 日本初の民間小児ホスピスを描く感涙の記録 新潮ドキュメント賞受賞」とある。
つくづく病気になったのが息子でなく、自分でよかったなぁ、と思う。小さな子どもがこんなに辛い治療をして、更に命を落とすのは過酷過ぎる。
最後の血圧測定も抜針もMさん。98-56、脈拍は68。低めだ。衝撃がそれほどなくほっとした。
「お疲れ様でした。気を付けて。」と言われ、お礼を言って身支度を整え、お手洗いを済ませご挨拶をして化学療法室を出る。受付表を戻し、会計待合いに移動する。待合い椅子はかなり混雑していた。自動支払機で11万円強をカード払い。
外に出ると、予報通りいきなり暑い。薄手のジャケットはただのお荷物だった。薬局へ移動すると、こちらも結構混んでいる。お薬手帳と処方箋を提出し、「LINEで写真を送っています。」と言って待つ。ほどなくして「○○さん」と呼んで頂けた。今日もIさん。
1つ1つ薬を確認していく。電子マネーで35日分と30日分、9,000円強の支払いを済ませる。Iさんとは先月ろくに話せなかったので、今日はついつい色々ご相談したり、ご報告したり。今日の病院と薬局での滞在時間は6時間弱。
ホテルに戻り、荷物を受け取って、荷物をまとめ、お手洗いを済ませる。
空腹感はそれほど強くないが、夜からはまたろくに食べられなくなるので、いわゆる最後の午餐だ。駅ビルの最上階をちょっとうろうろしてみたものの、結局ワンパターンでイタリアンレストランへふらふらと。昨日母とパスタを食べたばかりなのに・・・。
久しぶりに地元の浜の名前がつけられた具沢山のピザをチョイスした。前菜3種は頂けたが、ピザは大きくて半分も食べられなかった。ダメ元で持ち帰り出来るか訊いてみたけれど、テイクアウトの申請をしていないので申し訳ないがダメとのこと。残念。
今回も夕食と昼食の2食分、ホテルでゲットした全国旅行支援クーポンを活用出来た。
去年5月の治療前夜、ヨガ友のHさんとAさんがわざわざ病院最寄り駅まで出向いてくださり、このレストランで3年ぶりに再会してから早いもので1年が経った。あれから、Sさんのオンラインクラスでは毎回のようにお顔を拝見しているが、リアルではお目にかかっていない。
快速電車に乗って文庫の残りを読み続けたが、車内でもとんでもなく眠くなり、本を何度も落とした。諦めて目を瞑ったら、いつの間にか隣の人に寄りかかってしまった。トホホ、申し訳なかった。とにかく病院で我慢したせいか眠気が酷い。
私鉄に乗り換え、無事最寄り駅まで戻ってきた。荷物が重い。明日からなかなか歩けなくなるし、とタクシーに頼らず自力で自宅まで歩いた。万歩計は6,500歩ほど。
帰宅後は生協のお届け物を取り入れて、収納する。大量だし、水等の重い段ボールは持てないので、そのまま夫に託す。文通しているIちゃんから届いた手紙を読んだり、もろもろ片付けをし、のろのろ薬等を仕分けているうちに夫がライナーで定時に帰宅した。
今日は、朝出かける時に、生協の注文書を出しておくという大事なミッションを夫も息子も忘れてくれたため、電話で注文しなければならなかった。はぁ。
眠気も酷く、早くも気持ち悪く、食欲はない。羅漢果のジュースだけ飲む。そんなに水分が摂れているわけでもないのに、何やらお手洗いが近い。
母にMeet通話でご機嫌伺い。今日はWさんサロンへマッサージに行き、庭の紫陽花をお裾分けしたら喜んで頂けたとのこと。夕方、先日予約してあげた6回目のコロナワクチン接種も終えたそう。予約時間より20分ほど前に到着したら、10分ほど待っただけで打ってくださったそうだ。とにかく無事終わってほっとしたそうだ。良かった、良かった。
来月、息子の運転で温泉付きホテル1泊に出かけることにしたと知らせると、とても嬉しそうだった。年末に帰省した息子のコロナ騒ぎでホテル年越しが吹っ飛んだ罪滅ぼしが、ようやく出来るわけである。
夫には、生協から届いた鴨南そばと助六寿司を食べてもらった。息子は残業で先ほど帰宅した。彼には同じく生協の納豆、オクラ、なめこ、めかぶ等がトッピングされた好物のねばねばそば(さらに納豆まで追加投入)とお寿司、それと炒めたベーコン入りトマトサラダを夫が用意してくれた。
さて、今回も10日間は辛い時期が続くが、気分転換にちょっぴりでも断捨離が出来たらいいなぁと思っている。