昨夜は遅い帰宅だったので、今日が通常出勤の息子を一番風呂に入れて先に寝かし、洗濯物を片付けてから入浴、就寝でやはり1時を回ってしまった。
そして今朝、いつも通りに目覚ましが鳴り、息子を送り出してから夫と2人で朝食を摂る。本当なら今朝も宮古島でホテルの優雅な朝食を愉しんでいた筈だった。
一昨日からのてんやわんやの件は、以下の通り。
日曜日の夕方、サザエさんが終わる頃に、宮古島のホテルから母に定例のMeet通話をした。
朝から具合が悪くて1日寝ていたという。曰く、足が固まって痺れて動けない、なかなか歩けない、こんなことは初めて。喉も乾くし食事は何とか摂ったが、まだ早いけれど、お風呂を沸かしたのでこれから入って寝るつもりだと。
呂律が回らないわけではないし、意識が鮮明でないわけでもないが、明らかに顔色が悪いし、具合が悪そうだ。
折悪く日曜日の夜である。母が住む街の市立病院電話を入れて、受診できないか問い合わせたが、あれこれ症状を訊かれた挙句、手が空かないことを理由に断られる。
母に、熱は?吐き気は?下痢は?SpO2は?血圧は?と尋ねると、熱はなく、血圧は160で、SpO2が92だという。血圧が高い。
「このままではまずい、ならば救急車を呼ぶしかないだろう。」と、横で聞いていた夫が言う。ところが母は「救急車で、かかりつけ病院でなく遠くに連れていかれると帰ってこられないので困る、向かいの家の奥さんに助けてもらう」等と訳の分からないことを言い出す始末。なかなかこちらの言うことを聞かない。
母に、Meet通話を切らずに、自宅の固定電話で救急車を呼ぶように言う。すると「そのまま電話を切らずにいてください」と言われ待つこと15分も経たずにピーポーピーポーと音がスマホから聞こえてくる。
男性の声が聞こえ、救急隊員が到着したことが判る。スマホ越しに「モシモ~シ」と大きな声を出して、救急隊員の方に、私に気づいてもらう。救急隊員の方が測ったら、熱が7度9分あるという。SpO2は95。脱水か。既往症やコロナワクチン接種等についても私から説明出来た。
とにかく母はパニックになっているようで、まともな受け答えができないようだ。
その間、夫が息子に連絡。外出先で食事中だったが、カーシェアリングで車を借り、搬送先病院に迎えに行くよう頼む。
救急隊から折り返し、市内の病院(母のかかりつけの病院ではない)で受け入れが決まったので、これから向かう旨連絡がある。ただし、ベッドがないので診察後は帰宅することを了承を、とのこと。
30分ほどして病院の看護師さんから、母の携帯を通して電話がある。
診察が終わり、ご本人(母)は検査を希望しないと言うが、救急搬送されて何もせず帰すわけにいかないので、抗原検査とPCR検査はさせてほしい。結果は明日の午後には連絡する、とのこと。勿論、それはそうだと承諾する。
さらにその後30分ほどして息子から、母を引き取ったとの連絡があったが、既に9時を大きく過ぎている。帰途、ドラッグストアでアイソトニック飲料を買って、母に飲ませてくれる。
実家に着いたが、冷えピタもアイスノンもないのでコンビニまで買い出しに行って、処方された解熱剤は飲ませるとのこと。脳の血管が切れての麻痺ということでもなさそうで、ひとまず胸をなでおろした。
様子を見ていたが、とりあえず大丈夫そうなので引き上げると息子から連絡があり、彼が我が家に帰還した報告があったのが10時半を回っていたか。翌日、出勤なのに無理なリクエストに応えてくれて申し訳なかった。
いよいよ母を置いて遠出が出来なくなったと痛感する。今回は息子が車で動いてくれたので、救急車には同乗出来ずとも、迎えのフォローが出来たけれど、これでもし3人一緒に出掛けていたらお手上げだった。
さらに息子が大阪在住のままだったら今回はどうしようもなかった。
そして昨朝。母に電話をする。熱が8度5分だという。耳を疑った。アイソトニック飲料を飲み、冷えピタを替えて、カロナールを飲んでその高熱では、これからどれだけ熱が上がるか分からないではないか。
ところが、実は息子が帰ってからは水分もろくに摂らず、冷えピタも乾いてカピカピのまま。貼りっ放しで替えていなかったことが判る。がっかりする。
ネットでアイスノンとアイソトニック飲料を当日配達するよう手配し、同時に飛行機の帰りの便の変更が出来たので、2泊をキャンセルする旨フロントに伝える。
PCRの結果は、午前中、空港に向かうシャトルバスの中で「陰性」との連絡があった。とりあえずほっとした。5類になったとはいえ、陽性だったらやはり大変だった。
というわけで、昨日の記事に繋がる。
宮古島から帰って自宅に着いたのが夕方6時頃。息子が帰宅したのが7時半ごろ。
それから車を借りて、雨の中、8時過ぎに3人で実家に行き、母の状況を確認し、しょぼくれた母にあれこれお小言を言う形になってしまった。
けれど、母を一言で言うと、「甲斐がない」のである。
休みの夜の時間を潰して、あれこれ祖母のために出来る限りのことをしたのに、結果としてどれ一つとしてやってもらえなかった息子は、本当にがっかりしていた。
あれこれ言っても出来ないことは仕方ないが、せめていつもと違って具合が悪いと思ったら、とにかく病院に行ってください、と夫が懇願するように言って実家を後にした。
父が亡くなって7年、これまで運良く結果オーライで来たけれど、本当に綱渡り以外の何物でもなかったことが露呈した。
どう話しても「私は大丈夫。この家で頑張る」と言うことを聞かなかった母だが、今回のことで、一人暮らしができるスキルが欠けていることがよく分かった。母本人がそれを実感していないのが一番怖いことなのだけれど・・・。
今朝も微熱があった。血圧は下がったようだが、午前中はかかりつけ病院で腎がんの経過観察のCTの予約が入っていたのでそれをこなし、さらに近所のかかりつけのクリニックで診て頂いた(そうするように急かしたので渋々)ところ、「特に心配ない。肩が凝っているので水分を摂って汗をかきましょう。」と言われたそうだ。
ひとまず自分で動けるようになったのは、体調か気持ちが落ち着いてきたということか・・・。
ということで、日曜夜の救急車騒動は大事にならずに済んだわけだけれど、なんだかなぁと疲れが取れない火曜日である。
断捨離をする元気もなく、午前中は溜まった新聞を読み、Iちゃんからの手紙の返事を書く。お昼は簡単に冷凍麺で済ませ、午後から気分転換にT先生の易しいフローヨガのクラスに参加した。20名弱で広々と身体を動かすことが出来た。びっくりするほど汗が出て、シャワーでさっぱりして帰宅した。
少し疲れたのでソファと一体化してドラマの録画を視始めたら、またウトウト眠ってしまった。相変わらず耳鳴りは続いているし、頭痛もある。
息子は所属する部署の歓迎会とのことで、夫と2人の夕食。簡単に支度をして、ささっと済ませる。
いきなりぽっかりと空いてしまった2日間。明日はヨガスタジオが休館日なので、気を取り直してまた断捨離を再開したいと思う。
そして今朝、いつも通りに目覚ましが鳴り、息子を送り出してから夫と2人で朝食を摂る。本当なら今朝も宮古島でホテルの優雅な朝食を愉しんでいた筈だった。
一昨日からのてんやわんやの件は、以下の通り。
日曜日の夕方、サザエさんが終わる頃に、宮古島のホテルから母に定例のMeet通話をした。
朝から具合が悪くて1日寝ていたという。曰く、足が固まって痺れて動けない、なかなか歩けない、こんなことは初めて。喉も乾くし食事は何とか摂ったが、まだ早いけれど、お風呂を沸かしたのでこれから入って寝るつもりだと。
呂律が回らないわけではないし、意識が鮮明でないわけでもないが、明らかに顔色が悪いし、具合が悪そうだ。
折悪く日曜日の夜である。母が住む街の市立病院電話を入れて、受診できないか問い合わせたが、あれこれ症状を訊かれた挙句、手が空かないことを理由に断られる。
母に、熱は?吐き気は?下痢は?SpO2は?血圧は?と尋ねると、熱はなく、血圧は160で、SpO2が92だという。血圧が高い。
「このままではまずい、ならば救急車を呼ぶしかないだろう。」と、横で聞いていた夫が言う。ところが母は「救急車で、かかりつけ病院でなく遠くに連れていかれると帰ってこられないので困る、向かいの家の奥さんに助けてもらう」等と訳の分からないことを言い出す始末。なかなかこちらの言うことを聞かない。
母に、Meet通話を切らずに、自宅の固定電話で救急車を呼ぶように言う。すると「そのまま電話を切らずにいてください」と言われ待つこと15分も経たずにピーポーピーポーと音がスマホから聞こえてくる。
男性の声が聞こえ、救急隊員が到着したことが判る。スマホ越しに「モシモ~シ」と大きな声を出して、救急隊員の方に、私に気づいてもらう。救急隊員の方が測ったら、熱が7度9分あるという。SpO2は95。脱水か。既往症やコロナワクチン接種等についても私から説明出来た。
とにかく母はパニックになっているようで、まともな受け答えができないようだ。
その間、夫が息子に連絡。外出先で食事中だったが、カーシェアリングで車を借り、搬送先病院に迎えに行くよう頼む。
救急隊から折り返し、市内の病院(母のかかりつけの病院ではない)で受け入れが決まったので、これから向かう旨連絡がある。ただし、ベッドがないので診察後は帰宅することを了承を、とのこと。
30分ほどして病院の看護師さんから、母の携帯を通して電話がある。
診察が終わり、ご本人(母)は検査を希望しないと言うが、救急搬送されて何もせず帰すわけにいかないので、抗原検査とPCR検査はさせてほしい。結果は明日の午後には連絡する、とのこと。勿論、それはそうだと承諾する。
さらにその後30分ほどして息子から、母を引き取ったとの連絡があったが、既に9時を大きく過ぎている。帰途、ドラッグストアでアイソトニック飲料を買って、母に飲ませてくれる。
実家に着いたが、冷えピタもアイスノンもないのでコンビニまで買い出しに行って、処方された解熱剤は飲ませるとのこと。脳の血管が切れての麻痺ということでもなさそうで、ひとまず胸をなでおろした。
様子を見ていたが、とりあえず大丈夫そうなので引き上げると息子から連絡があり、彼が我が家に帰還した報告があったのが10時半を回っていたか。翌日、出勤なのに無理なリクエストに応えてくれて申し訳なかった。
いよいよ母を置いて遠出が出来なくなったと痛感する。今回は息子が車で動いてくれたので、救急車には同乗出来ずとも、迎えのフォローが出来たけれど、これでもし3人一緒に出掛けていたらお手上げだった。
さらに息子が大阪在住のままだったら今回はどうしようもなかった。
そして昨朝。母に電話をする。熱が8度5分だという。耳を疑った。アイソトニック飲料を飲み、冷えピタを替えて、カロナールを飲んでその高熱では、これからどれだけ熱が上がるか分からないではないか。
ところが、実は息子が帰ってからは水分もろくに摂らず、冷えピタも乾いてカピカピのまま。貼りっ放しで替えていなかったことが判る。がっかりする。
ネットでアイスノンとアイソトニック飲料を当日配達するよう手配し、同時に飛行機の帰りの便の変更が出来たので、2泊をキャンセルする旨フロントに伝える。
PCRの結果は、午前中、空港に向かうシャトルバスの中で「陰性」との連絡があった。とりあえずほっとした。5類になったとはいえ、陽性だったらやはり大変だった。
というわけで、昨日の記事に繋がる。
宮古島から帰って自宅に着いたのが夕方6時頃。息子が帰宅したのが7時半ごろ。
それから車を借りて、雨の中、8時過ぎに3人で実家に行き、母の状況を確認し、しょぼくれた母にあれこれお小言を言う形になってしまった。
けれど、母を一言で言うと、「甲斐がない」のである。
休みの夜の時間を潰して、あれこれ祖母のために出来る限りのことをしたのに、結果としてどれ一つとしてやってもらえなかった息子は、本当にがっかりしていた。
あれこれ言っても出来ないことは仕方ないが、せめていつもと違って具合が悪いと思ったら、とにかく病院に行ってください、と夫が懇願するように言って実家を後にした。
父が亡くなって7年、これまで運良く結果オーライで来たけれど、本当に綱渡り以外の何物でもなかったことが露呈した。
どう話しても「私は大丈夫。この家で頑張る」と言うことを聞かなかった母だが、今回のことで、一人暮らしができるスキルが欠けていることがよく分かった。母本人がそれを実感していないのが一番怖いことなのだけれど・・・。
今朝も微熱があった。血圧は下がったようだが、午前中はかかりつけ病院で腎がんの経過観察のCTの予約が入っていたのでそれをこなし、さらに近所のかかりつけのクリニックで診て頂いた(そうするように急かしたので渋々)ところ、「特に心配ない。肩が凝っているので水分を摂って汗をかきましょう。」と言われたそうだ。
ひとまず自分で動けるようになったのは、体調か気持ちが落ち着いてきたということか・・・。
ということで、日曜夜の救急車騒動は大事にならずに済んだわけだけれど、なんだかなぁと疲れが取れない火曜日である。
断捨離をする元気もなく、午前中は溜まった新聞を読み、Iちゃんからの手紙の返事を書く。お昼は簡単に冷凍麺で済ませ、午後から気分転換にT先生の易しいフローヨガのクラスに参加した。20名弱で広々と身体を動かすことが出来た。びっくりするほど汗が出て、シャワーでさっぱりして帰宅した。
少し疲れたのでソファと一体化してドラマの録画を視始めたら、またウトウト眠ってしまった。相変わらず耳鳴りは続いているし、頭痛もある。
息子は所属する部署の歓迎会とのことで、夫と2人の夕食。簡単に支度をして、ささっと済ませる。
いきなりぽっかりと空いてしまった2日間。明日はヨガスタジオが休館日なので、気を取り直してまた断捨離を再開したいと思う。