昨夜はブログアップ後に来月の予定を調整する必要が出てきて、せっかく早めにベッドに入るつもりが大幅に遅れ(夫は翌日が休みだと思うと、いきなり夜更かしモードになる。)、入浴を済ませ、寝室に避難出来たのは1時を大きく廻っていた。
明け方一度お手洗いに起き、その後ほどなくして平日仕様のスマホアラームが鳴る。またしても4時間睡眠。暫しウトウトして、寝ぼけ眼のままベッドで朝ドラを視てからノソノソ起きる。夫もまだ起きたばかりのよう。
朝から土砂降り。出かけなければならないというのに気分が萎える。溜まった洗濯物を放置するわけにもいかず、洗濯機を廻す。洗い上がったタオル類は乾燥機へ、それ以外は浴室乾燥にして干す。
今日は母の左腎がん5年目経過観察の診察に付き添うことになっている。予約は午後一番だが、採血・採尿があるので逆算してその1時間前には病院に入らないといけない。お昼を摂れるのは診察が終わってからだから、かなり遅くなりそう。そのため、朝食は出かける直前に摂ることに。
半月ほど後に控えた息子の結婚式に着る衣装一式を試着してもらい、何か不都合があればまた揃える必要が出てくる。その最終確認も今日のミッションだ。袖を詰めたジャケットは先月半ばには出来上がり、受け取ってきていたが、まだ袖を通してもらっていないのだ。
コサージュやネックレス等フル装備したらどんな感じかもまだチェック出来ていない。これは当然病院のあれこれが終わってからの予定。
となると、帰宅出来るのは早くて夕方になる。洗濯の後始末も夕食の支度も今日から6連休の夫に託す。
母の衣装一式が入った大きな紙袋を持っていかなければならないし、雨だし、タクシーを呼んでいくのが簡単か・・・と思うが、ちょうど出かける時間に雨が小止みになったので頑張って電車を乗り継いで行くことに。
夫も雨がそれほど降っていないから、と駅まで自転車で荷物を籠に入れて送ってくれた。
ところが、最寄り駅に到着すると、私鉄が10分の遅れ。乗る予定の電車の一台前の電車に乗ることになったので、実質1分遅れ。乗換駅でJRへ移動すると、こちらでも10分程度の遅れ、とある。なんと・・・。これでは母宅到着がかなりギリギリになりそう。
LINEで状況を連絡するが既読にならないし、携帯を鳴らしても全然出ない。結局夫に家電にかけてもらい、私の到着が遅れそうだけれど、勝手に出掛けず、私が行くまで待っているよう伝言してもらう。
電車が発車したのは予定より12分遅れ。当然、乗り換えを予定していた電車に間に合わなかった。さらに、次に乗り換えた路線も遅延中とある。雨のせいだったり、車両点検だったり、3線全てが遅延とは、なんとついていない。特急だけは時間通りに目の前を通り過ぎて、逆転された快速電車に乗れたのは、本当なら母宅最寄り駅に到着するより遅い時間。
最寄り駅からはタクシーで母宅前につけ、待っていてもらってそのまま病院に行くのが一番早そうだ、と算段する。ところが、また雨が降り始めており、タクシー乗り場では列が出来ている。3番目だったが、全く空車が来ない。
待っている最中で腹痛になり、諦めて歩き、ショッピングモールでお手洗いを済ませて母宅へ急ぐ。既に病院に到着していなければならない時間を過ぎている。母には玄関で靴を履いてすぐに出られるようにしておくように伝えていたのだけれど、一つ一つの動作がスローモーなので、ここでもタイムロス。結局病院に入れたのは予定より20分遅れとなった。
午後のせいか病院は珍しく空いている。自動受付機を通し、採血受付に行く。家で採尿を済ませてきたので、提出したいというが、泌尿器科受付で出すように言われ、母はエスカレーターで2階へ。私は荷物や傘等を預かって採血の順番待ち。ほどなくして呼ばれたが、肝心の母が戻ってこない。漸く戻ってきたら、今度は採血でなかなか呼ばれず。無事終了して、2人で2階に上がり、泌尿器科待合へ。
泌尿器科の混雑と待ち時間にはこの5年間とても悩まされてきたけれど、今日は予約時間から30分ほどで呼んで頂けた。3か月前、半年前の経過観察時はちょうど私の治療日とバッティングして付き添えなかったので、S先生ともお久しぶりの再会だ。
既に採血結果、採尿結果のプリントアウトをご用意してくださっている。採尿は全く問題なし、採血では年齢を加味すれば若干の貧血等は問題なしとのこと。それ以外何か不調はありませんか、と訊かれ、母は現在K先生のクリニックで高血圧の薬を頂き朝晩飲んでいることを報告していた。
1年前の造影CTで発疹が出た事で、先月のCTは単純撮影になったが、新しい影もないし、心配な兆候は何もないので、問題なし。手術から5年経過、これで卒業で良いと思います、と言って頂けた。有難いことだ。
5年前の9月末、86歳で左腎がんの手術をした時は、「5年後といえば91歳ですから、もう寿命との追いかけっこですね・・・」と言った記憶があるが、こうしてその5年後に、曲がりなりにも一人暮らしを続けていられるのだから、大したものだ。
2015年に直腸がん手術をし、2020年に5年クリアする前に、2019年の左腎がんで再び5年間の経過観察が加わり、合計丸々9年間、この市立病院に通院した。一時は外科と泌尿器科と2科のお世話になった。
145cm、35kgに満たない小さな体でダブルキャンサーをクリアした91歳、5年クリアできずに長く再発治療を続ける羽目になってる私からすれば、天晴である。
思えば、手術前後は当然だが、その後の経過観察の付き添いも、フルタイムの仕事をしつつ、自分の治療に通いつつだったので、かなり大変だった。それに加えて2017年には、別の大学病院で黄斑前膜の硝子体手術も受けたのだった。
2016年に父が亡くならずに存命だったら、父のケアをしつつ2017年以降の2回の手術を乗り越えるのは母も私も大儀だったろうと思う。その意味では、誤解を恐れずに言えば、父が長患いをせずに急逝してくれたことは、私達母娘からすれば最大のお手柄だったに違いない。
先生にご挨拶を終えて診察室を出る。「おめでとう。よかったね、よく頑張りました。」と声をかけ、階下の会計へ。母には座っていてもらい、支払を終える。いつもは薬の処方箋やら次回の予約表等が一緒にプリントアウトされるが、今回の領収書には「予約なし」「薬なし」とあった。晴れて解放されたわけである。
外に出ると、雨が止んでいた。そのまま近くの和食処へ入る。さすがに平日、ランチタイムには遅い時間のせいか、土日の混雑が嘘のようにガラガラですぐに通された。お客さんも少なく静かにゆったり。先日松茸御膳を食したが、ちょうどそんなメニューもあったので母にはそれを薦め、私はお造りと天婦羅の盛り合わせ御膳にした。
お腹はペコペコだったけれど、梯子してケーキ屋さんでケーキとお茶を頂きたかったので、少し控えめに。母は美味しかったのか、私よりしっかりお腹に入れていた。
支払いを終えて外に出ると再びパラパラと雨が降り出した。ケーキ屋さんへ入る。ここは先日夫とモーニングを摂りに行ったケーキ屋さんの姉妹店だ。その時、夫の目が釘付けになっていたイチジクのタルトがあったので、お土産にすることに。母はお腹一杯なのでお茶だけで良いというし、私も食べ切れないかな、とお土産にすることに。
母はホットショコラを、私はホットチャイを頂く。こちらも空いていて静か。雨が少し強くなってきて、雨宿りしながらお喋りすることになった。
お土産のケーキを手に母宅に戻る。
さて、これから2つ目のミッション、ファッションショーである。下着も当日付けるものを用意して貰ってしっかり試着。ジャケットの隠しボタンやホックがスムーズにつけられずに苦労していたが、ここは手を出さずに自分で着てもらえないと、である。
かなり苦労して、ジャケットの襟ぐりから見えないくりの大きな下着を選んだり、で思いのほか時間がかかった。コサージュと真珠のネックレスをつけ、バッグを持ち、靴下を穿いて靴を履き、前、横、後ろと写真撮影。時計を見ると小一時間かかってがっくり。
片付けて一式を預かり、タクシーを呼ぶも全然繋がらない。いつもならすぐに繋がるのにどうしたことか。結局15分くらい2か所をかけ続けることになり、ようやく繋がった時にはこれまたぐったり。
そこから10分ほどでタクシーが到着。母は私が乗り込んで出発するまで手を振ってくれていた。日暮れが早い。ラッシュにぶつかり渋滞して到着まで30分かかってしまった。母には無事到着した旨連絡を入れる。
夫が洗濯物を畳んでくれていたので、それぞれ収納する。諸々片付け着替えも済ませ、夫が用意してくれた夕食を有難く頂く。洗い物は私が担当した。“(食事を)作った方は片付けない”、というのが34年前に結婚した時の我が家のルールで、これまで一応守られていると思う。
草臥れてソファと一体化して今季のドラマの録画を1本視てから、買ってきたタルトとケーキでお茶。美味しかったけれど、このところ毎日ケーキを頂いているような・・・。
お腹は極めて快調なので、しっかり水分を摂って膀胱炎さえ治ってしまえば無事にドツレクを迎えられるのだけれど・・・。
いずれにせよ、これでもう市立病院に付き添わなくてよい、というのは私にとっても大きな足かせが取れたような朗報だった。サ高住のフロントには丁度ハウス長もおられたので、5年無事クリアして今日が病院最後になりました、と報告出来た。拍手して頂け、母はちょっと照れ臭そうながら嬉しそうだった。息子の結婚式前、佳い知らせの日になった。