2024年大晦日。
今日は予約していた温泉旅行をキャンセルして母を我が家に招き、静かに年越ししている。モルヒネ内服のおかげで酷い咳で夜眠れないこともなくなり、ひとまず母を受け入れることが出来たのは有難いことだ。
もし、あのままコデインを飲んで我慢していたら、と思うとぞっとする。それでも体調は極めて低空飛行。いつも眠くて疲れていて息苦しくて少し動くとすぐ息が上がる。駅から自宅までの登り坂や居住棟の2階までの階段がこんなにきついとは思わなかった。つくづく3階や4階の部屋にしなくてよかった。
一方、痛みは殆どなく、あれこれ今後の準備もしながら心は穏やかである。とはいえ、振り返れば今年も色々なことがあった。
10月末、17年近くお世話になった主治医が転勤し、新しい主治医に変わった。息子の結婚式が無事終了したタイミングでCT撮影をしたところ、肺の腫瘍等の増悪。そして、待ってましたとばかりに咳や息苦しさが悪化。11月から体調は悪化の一途を辿った。12月半ばからはMSコンチン+オプソというモルヒネのお世話になっている。そのおかげで咳が鎮まり、夜、横になって眠れるようになったのは本当に有難い。
1か月近く座った体勢で眠らざるを得なかったのはしんどかったし、このまま咳で呼吸が止まってしまうのではないかと思うくらい苦しかったからもう限界だった。モルヒネが痛み止めという理解は覆された。
今年2月から3月にかけても咳と喘鳴が酷かったが、コロナ禍のため2年遅れてしまった退職記念・イタリア旅行に行くために、人生5度目の脱毛と引き換えにドセタキセルとフェスゴの治療を開始した。
結果、びっくりするほどシャープに薬が効き、咳は鎮まり、無理だと思っていた旅行に行くことが叶った。
振り返れば今年もいろいろあった。ここで改めて今年一年を振り返ってみたいと思う。
1月
京都1泊、mikaさん美容院3回目(3月の予約は脱毛の為、シャンプー・カットも出来ず、泣く泣くキャンセル)
母がサ高住に引越し、そのタイミングでかなりハードな実家の断捨離を敢行。
結婚34周年の旅行は、都心の5つ星ホテルに1泊。母の引越し・実家断捨離の慰労会と兼ねる
「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第21回目
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ7回目
瞑想ヨーガ指導者養成講座2回目実技テスト合格、無事修了
2月
息子夫婦、母と5人で鬼怒川温泉2泊旅 日光観光も楽しむ
「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第22回目
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ8回目
ロシアのウクライナ侵攻開始から2年経過
3月
咳と喘鳴が酷くなり、カドサイラ7クールで中止、ドセタキセル+フェスゴに変更 人生5回目のカツラ生活に
副作用による体調不完全なまま、5年ぶりの海外旅行・9泊11日のイタリア周遊旅強行 途中離脱せずに無事帰国
「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」、第23回目
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ9回目
定年退職から丸2年経過。
4月
「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第24回目。
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ10回目
ドイツレクイエム練習再開
5月
沖縄へ那覇1週間滞在旅 40年振りに知人と再会を果たす
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ11回目
「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第25回目。
オンライン断捨離3部作読書会スタート
6月
誕生日祝賀旅行と称して中国・四国地方へミステリーツアーとモニターツアーで、間を置かずして2回参加 ドセタキセルの副作用不調の中、63歳を迎える
大学OB・OG合唱団練習スタート
「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」はASHAREさんのご都合により当面の間中止、その間、個人的にクラスを続けていくことに
7月
夫白内障手術 1週間を間を置いて両目無事終了
ぐっすり眠れる夜のオンライン瞑想ヨーガ12回目
「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第26回目。
母の誕生日祝いに都心一泊、夫と3人で祝賀ディナー
副作用による体調不良が酷いため、ドセタキセルは7クールで終了、フェスゴとタモキシフェンに切り替え
月初と月末、2回治療の月。
8月
「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第27回目
母を連れて温泉2泊の旅 帰りは台風であわや足止め
9月
「パワーアップ・乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第28回目、「ぐっすり眠れるオンライン夜の瞑想ヨーガクラス」第12回目
夫誕生日記念でマレーシア4泊5日の旅へ 久々に東南アジアの空気に触れる
10月
みなとみらいの大ホールで約40年振り、Y先生の指揮で昨年6月から1年以上練習を続けてきたドイツレクイエムを歌う
校友会音楽祭参加、Y氏の指揮でMissa brevis「新しい歌」等4曲を歌う
息子の挙式、披露宴が無事終了、黒留袖の代わりにこのために誂えたロングドレスの正正装で
夫初めての大腸内視鏡検査、ポリープ切除1回目
11月
8か月休会したホットヨガスタジオに復帰
CT結果によりフェスゴトタモキシフェン中止、エスワン内服に切り替え
インフルエンザ予防接種
コロナ禍を挟み、5年越し念願の瞑想ヨーガハイブリッドクラストライアル開催 好評を博す
12月
夫とともにコロナワクチン8回目接種
夫、大腸ポリープ切除2回目
日記を遡ると、7月まではドセタキセルの治療後は体調が悪く寝込んでいる時が多い。その後8月からは猛暑の中、10月のイベントに照準を合わせて体調の復調に努めている。
オンラインでのヨガ、がん関係イベントには参加しているが、基本は出かけることなくおうち時間が長かった。その中でも10月の3週連続のイベントを無事実現させたことは我ながらよく頑張った。
今年の3大ニュースは、
① 昨年のこの記事で願わくば・・・と書いた息子の挙式、披露宴に91歳の母とともに出席出来たこと。
② ドセタキセル7クールで打ち止め、フェスゴとタモキシフェンに切り替えるも効果なく、11月からエスワン内服に切り替え。咳が酷く12月半ばからモルヒネ内服開始で人心地着く。
コロナウイルスワクチン接種、インフルエンザ予防接種も済ませる。
③ オンライン瞑想ヨーガクラス、夜のクラスは継続、5年越しの念願ハイブリッドクラストライアル開催したこと、だろうか。
読書量は相変わらず少なく38冊。昨年は50冊だったからさらに10冊ほど減っている。仕事を辞めてこれまでより時間があるにもかかわらず、全然増えていないどころか減る一方だ。体力が落ちてしまい、堪え性がなくなったこと、家にいるとどうしてもあれこれ家事が気になってゆっくり腰を据えて読書出来ないこと等も原因か。
7月まではドセタキセルの治療だったし、具合が悪いと好きな本すら読めない。治療開始以来コンスタントに100数十冊、一番多かった頃は300冊を超えていた。今の体力を考えると、そんな日はもう戻ってこないだろう。
レビューを書く時間もとれないが、そのために無理はしない。当日の治療日記で、面白く読めた本の題名に触れる程度で精一杯だ。
映画は、録画して観ることが多かったのは変わらない。WOWOWの録画やアマゾンプライムが殆ど。飛行機で見たものが7本。映画館で観たのは僅か7本。合計77本で、昨年より30本増えている。具合が悪くても横になってダラダラ見流すことが出来たということか。観っぱなしで、レビューが書けていないのもこれ迄と同じ。ブログの記事に何を書こうかと考えながら観て、疲労困憊するのはナンセンスだと学んだ。
体調不良もあり、11日間のイタリア旅行の後は、5月に沖縄1週間、6月に3泊4日の中国・四国ツアーに2回参加した後、8月に近場の温泉旅に出かけたくらい。それ以降は遠出はしなかった(11月から1月の旅行は全てキャンセルした。)。
きつい治療を続けながらも、身体を動かせそうな時には出来るだけ身体を動かし、体力をなるべく落とさないように、月1度、M先生に来て頂くプライベートヨガレッスンは続け、自分でも体調をある程度コントロール出来るようになったつもりでいたが、本当にしんどいとそれも叶わなかった。体重が落ちると同時に体力もすっかり落ちてしまった。治療を続けていく上で体力維持が必須であることは分かっているけれど、どう頑張っても動けないの時は致し方なかった。
筋肉を落とすと、抗がん剤は効きにくく、副作用も酷いということも分かっている。咳が酷く夜も眠れず、モルヒネのお世話になっているが、それでもこうして普通の生活が続けられているわけだから、感謝しなくてはなるまい。
今年も土日に誰かと会うために遠くまで出向くことはなかった。お出かけはほぼ夫とだけ。体調不完全で母との時間も去年ほど取れなかった。
本当にこの人に会いたいと思えば、リモートでも会える有難い世の中である。けれど、今年も思い切って逢うことを実現させた感想は、やっぱりリアルに勝るものはなし、である。
これまで同様、クリスマスもお正月も、特段の準備もしなかった。専業主婦生活3年目、普段の家事をこなすことすらおぼつかない。夫にかなりおんぶにだっこである。要介護認定申請も終え、介護保険証も頂き、緩和ケア病棟の入院登録等、先回りの準備も着々と進めている。
病を得てほぼ20年、定年まで働き、さらに3年近く生き伸びている。国民健康保険証のお世話になれるとは。退職する時、2年間限定の共済組合の任意継続会員が最後まで使えるともゆめゆめ思わなかった。生きているだけで丸儲けの人生第二章はいつまで続くだろう。
病を得た時には8歳だった息子も無事所帯を持つまでになった。私の役目はお嫁さんにバトンタッチ出来たように思う。挙式と披露宴に高齢の母と共に参列出来、冥土の土産になったと思う。生かされている身、生きているだけで苦しく辛い日もあるが、最期まで私らしく、コツコツと精一杯日々を重ねていこう。
私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは命ある限り変わらない。私がいなくなった後、夫が少しでもソフトランディング出来るように出来る限りの準備をしておきたい。
明日からスタートする2025年巳年はどんな年になるのだろう。理不尽な侵略戦争はまたしても年を越し、再燃した紛争も長引きそうである。誰も平和を望んでいないわけではないのに。
長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
来年も気力・体力が続く限り綴っていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
2025年巳の年を迎え、皆様がより健やかで穏やかでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。
どうぞ良いお年をお迎えください。