先日、朝食の時に何気なくつけていたテレビで和菓子職人の親子の姿を見た。
ご主人が77歳、息子さんは私と同い年の49歳。
ご主人はこの道50年。これまで一人で和菓子屋さんを切り盛りしてきた職人さんだ。息子さんは編集の仕事を辞めてお店に戻ってきたという。
ご主人のはにかんだ感じの笑顔が本当にキュートで、とても心が温かくなると同時になんとなく涙線が緩んでしまった。
朝、暗いうちからずっと立ち仕事で粉にまみれてひたすら黙々とお饅頭を作り続ける。息子さんが「最初は親父が3個作る間に自分は1個、それがだんだん2個で1個、になってきました。」と話す。するとご主人であるお父さんが「これが1.5個に1個になり、今に抜かされるんですよね・・・」と続ける。
そう言いながら、ご主人の表情がとても照れくさそうで嬉しそうなのだ。
夜、新しい味に挑戦し、試作品を作る息子さん。それを試食して感想を言うご主人。言葉では言い尽くせない職人の心と職人技が継承されていく確かなつながりを感じる。
そうなのだな、と思う。
親はたとえ自分の一生を賭けてやってきたことであっても、それを自分の子供に抜かされることを決して悔しくいとは思わない。むしろとても嬉しく感じるものなのだ、と改めて思う。
そして、50年この道一筋の職人魂がきちんと引き継がれていくことを、掛け値なしに素晴らしいと思う。
ふと、「職人さんって、素敵だね。私たちのようなサラリーマン人生は、ちょっとつまらないよね・・・」と夫に話しかけていた。どんなに働いたとしても大学を卒業して定年の60歳まで40年足らず。それだけ働いて、子供にいったい何が残せるのだろう、と思う。
やれ昇任試験だ、評価だ、成果だ・・・と、日々ストレスを感じながら、自分が働いているその姿を子供に見せられないし、その仕事をすることにどれだけの意義があるのか具体的に説明するのも難しい。朝早く出て行き、夜遅く帰ってくるその後ろ姿だけで子供に何が伝えられて来たのだろう。
息子が小さかった頃。
保育園のお迎え時間がくれば、何があろうが仕事は終わりにして保育園に滑り込み、家に連れて帰って食事を作り、食べさせ、一緒に遊びながら夫の帰りを待った。そして、夫が帰ってくれば「後はよろしく!」と、職場に駆け戻って仕事に没頭したことも一度や二度ではなかった。
でも、それがなんだったのだろう。
そんな生活を続けているうちに、息子は精神的にアンバランスになった。
夫が帰ってくると私がまた出かけていくことが分かる。夫が帰ってくるのを察すると、さっさと一人で玄関に出て行って座り込み、「パパはダ~メ、パパはお外に行っちゃって!」と言って、泣きながら抗議していた。
夫は帰ってくるなりの一言に、(勘弁してよ・・・)という感じだったが、私は息子の気持ちが何となく判っていた。
それ以来、“帰ってきたぞ!ウルトラマン”方式(我が家では当時の私の仕事への対処方法をそう呼んでいた。)は、やめた。夜遅くに再び職場に戻るのは、自分の体力的にもきつかった。
逆に、夫が家にいる土日に一人で出勤すれば、電話もかかってこない静かな職場で仕事ははかどるし、息子はその間夫と2人で電車を見に行き、それはそれでご機嫌でいてくれたので・・・。
今朝、「また身長が伸びたんじゃないか?」と、学校へ行こうとする息子を呼びとめて夫は身長を測っていた。天井までのラックの横側に、小学生の頃から背比べのしるしをつけている。 最初は小1の夏。私の胸の辺りしかない。
そして、今日の日付(23.1.25)を見ると(パパ:20年6月)とチェックされた線よりも3センチも高い。ちなみに(ママ:18年11月)という線が超されたのは21.11.12。
こうして背丈だけは夫を追い抜いた息子が、夫をして「(お父さんを)追い抜いたな。」と言わしめる日が来ることを、私は、心から見たい、と思う。そしてその日に夫と二人で嬉しく見つめ合う日が来ることを、私は、心から待ち遠しく思う。
現代医学をもってしても“再発後の10年生存率は5%”という厳しい現実を前に、冷静になれば、あと7年生きていられる確率は5%。叶わない夢かもしれないけれど・・・。
確率論は言ってみても仕方ない、生きた者勝ち!と自分に言い聞かせている。
昨日はさすがに寝不足だったので、昨夜はちゃんと眠れた。が、朝起きると頭痛が酷く、また痛み止めのお世話になって出勤した。もともと頭痛持ちであるにもかかわらず、頭が痛いと「すわ、脳転移か・・・」と思ってしまう思考回路が、我ながら情けなくも哀しい。
ご主人が77歳、息子さんは私と同い年の49歳。
ご主人はこの道50年。これまで一人で和菓子屋さんを切り盛りしてきた職人さんだ。息子さんは編集の仕事を辞めてお店に戻ってきたという。
ご主人のはにかんだ感じの笑顔が本当にキュートで、とても心が温かくなると同時になんとなく涙線が緩んでしまった。
朝、暗いうちからずっと立ち仕事で粉にまみれてひたすら黙々とお饅頭を作り続ける。息子さんが「最初は親父が3個作る間に自分は1個、それがだんだん2個で1個、になってきました。」と話す。するとご主人であるお父さんが「これが1.5個に1個になり、今に抜かされるんですよね・・・」と続ける。
そう言いながら、ご主人の表情がとても照れくさそうで嬉しそうなのだ。
夜、新しい味に挑戦し、試作品を作る息子さん。それを試食して感想を言うご主人。言葉では言い尽くせない職人の心と職人技が継承されていく確かなつながりを感じる。
そうなのだな、と思う。
親はたとえ自分の一生を賭けてやってきたことであっても、それを自分の子供に抜かされることを決して悔しくいとは思わない。むしろとても嬉しく感じるものなのだ、と改めて思う。
そして、50年この道一筋の職人魂がきちんと引き継がれていくことを、掛け値なしに素晴らしいと思う。
ふと、「職人さんって、素敵だね。私たちのようなサラリーマン人生は、ちょっとつまらないよね・・・」と夫に話しかけていた。どんなに働いたとしても大学を卒業して定年の60歳まで40年足らず。それだけ働いて、子供にいったい何が残せるのだろう、と思う。
やれ昇任試験だ、評価だ、成果だ・・・と、日々ストレスを感じながら、自分が働いているその姿を子供に見せられないし、その仕事をすることにどれだけの意義があるのか具体的に説明するのも難しい。朝早く出て行き、夜遅く帰ってくるその後ろ姿だけで子供に何が伝えられて来たのだろう。
息子が小さかった頃。
保育園のお迎え時間がくれば、何があろうが仕事は終わりにして保育園に滑り込み、家に連れて帰って食事を作り、食べさせ、一緒に遊びながら夫の帰りを待った。そして、夫が帰ってくれば「後はよろしく!」と、職場に駆け戻って仕事に没頭したことも一度や二度ではなかった。
でも、それがなんだったのだろう。
そんな生活を続けているうちに、息子は精神的にアンバランスになった。
夫が帰ってくると私がまた出かけていくことが分かる。夫が帰ってくるのを察すると、さっさと一人で玄関に出て行って座り込み、「パパはダ~メ、パパはお外に行っちゃって!」と言って、泣きながら抗議していた。
夫は帰ってくるなりの一言に、(勘弁してよ・・・)という感じだったが、私は息子の気持ちが何となく判っていた。
それ以来、“帰ってきたぞ!ウルトラマン”方式(我が家では当時の私の仕事への対処方法をそう呼んでいた。)は、やめた。夜遅くに再び職場に戻るのは、自分の体力的にもきつかった。
逆に、夫が家にいる土日に一人で出勤すれば、電話もかかってこない静かな職場で仕事ははかどるし、息子はその間夫と2人で電車を見に行き、それはそれでご機嫌でいてくれたので・・・。
今朝、「また身長が伸びたんじゃないか?」と、学校へ行こうとする息子を呼びとめて夫は身長を測っていた。天井までのラックの横側に、小学生の頃から背比べのしるしをつけている。 最初は小1の夏。私の胸の辺りしかない。
そして、今日の日付(23.1.25)を見ると(パパ:20年6月)とチェックされた線よりも3センチも高い。ちなみに(ママ:18年11月)という線が超されたのは21.11.12。
こうして背丈だけは夫を追い抜いた息子が、夫をして「(お父さんを)追い抜いたな。」と言わしめる日が来ることを、私は、心から見たい、と思う。そしてその日に夫と二人で嬉しく見つめ合う日が来ることを、私は、心から待ち遠しく思う。
現代医学をもってしても“再発後の10年生存率は5%”という厳しい現実を前に、冷静になれば、あと7年生きていられる確率は5%。叶わない夢かもしれないけれど・・・。
確率論は言ってみても仕方ない、生きた者勝ち!と自分に言い聞かせている。
昨日はさすがに寝不足だったので、昨夜はちゃんと眠れた。が、朝起きると頭痛が酷く、また痛み止めのお世話になって出勤した。もともと頭痛持ちであるにもかかわらず、頭が痛いと「すわ、脳転移か・・・」と思ってしまう思考回路が、我ながら情けなくも哀しい。