ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.1.25 親を超える日

2011-01-25 20:39:34 | 日記
 先日、朝食の時に何気なくつけていたテレビで和菓子職人の親子の姿を見た。

 ご主人が77歳、息子さんは私と同い年の49歳。
 ご主人はこの道50年。これまで一人で和菓子屋さんを切り盛りしてきた職人さんだ。息子さんは編集の仕事を辞めてお店に戻ってきたという。

 ご主人のはにかんだ感じの笑顔が本当にキュートで、とても心が温かくなると同時になんとなく涙線が緩んでしまった。

 朝、暗いうちからずっと立ち仕事で粉にまみれてひたすら黙々とお饅頭を作り続ける。息子さんが「最初は親父が3個作る間に自分は1個、それがだんだん2個で1個、になってきました。」と話す。するとご主人であるお父さんが「これが1.5個に1個になり、今に抜かされるんですよね・・・」と続ける。
 そう言いながら、ご主人の表情がとても照れくさそうで嬉しそうなのだ。

 夜、新しい味に挑戦し、試作品を作る息子さん。それを試食して感想を言うご主人。言葉では言い尽くせない職人の心と職人技が継承されていく確かなつながりを感じる。

 そうなのだな、と思う。
 親はたとえ自分の一生を賭けてやってきたことであっても、それを自分の子供に抜かされることを決して悔しくいとは思わない。むしろとても嬉しく感じるものなのだ、と改めて思う。
 そして、50年この道一筋の職人魂がきちんと引き継がれていくことを、掛け値なしに素晴らしいと思う。

 ふと、「職人さんって、素敵だね。私たちのようなサラリーマン人生は、ちょっとつまらないよね・・・」と夫に話しかけていた。どんなに働いたとしても大学を卒業して定年の60歳まで40年足らず。それだけ働いて、子供にいったい何が残せるのだろう、と思う。
 やれ昇任試験だ、評価だ、成果だ・・・と、日々ストレスを感じながら、自分が働いているその姿を子供に見せられないし、その仕事をすることにどれだけの意義があるのか具体的に説明するのも難しい。朝早く出て行き、夜遅く帰ってくるその後ろ姿だけで子供に何が伝えられて来たのだろう。

 息子が小さかった頃。
 保育園のお迎え時間がくれば、何があろうが仕事は終わりにして保育園に滑り込み、家に連れて帰って食事を作り、食べさせ、一緒に遊びながら夫の帰りを待った。そして、夫が帰ってくれば「後はよろしく!」と、職場に駆け戻って仕事に没頭したことも一度や二度ではなかった。
 でも、それがなんだったのだろう。
 そんな生活を続けているうちに、息子は精神的にアンバランスになった。
 夫が帰ってくると私がまた出かけていくことが分かる。夫が帰ってくるのを察すると、さっさと一人で玄関に出て行って座り込み、「パパはダ~メ、パパはお外に行っちゃって!」と言って、泣きながら抗議していた。
 夫は帰ってくるなりの一言に、(勘弁してよ・・・)という感じだったが、私は息子の気持ちが何となく判っていた。
 それ以来、“帰ってきたぞ!ウルトラマン”方式(我が家では当時の私の仕事への対処方法をそう呼んでいた。)は、やめた。夜遅くに再び職場に戻るのは、自分の体力的にもきつかった。
 逆に、夫が家にいる土日に一人で出勤すれば、電話もかかってこない静かな職場で仕事ははかどるし、息子はその間夫と2人で電車を見に行き、それはそれでご機嫌でいてくれたので・・・。

 今朝、「また身長が伸びたんじゃないか?」と、学校へ行こうとする息子を呼びとめて夫は身長を測っていた。天井までのラックの横側に、小学生の頃から背比べのしるしをつけている。 最初は小1の夏。私の胸の辺りしかない。
 そして、今日の日付(23.1.25)を見ると(パパ:20年6月)とチェックされた線よりも3センチも高い。ちなみに(ママ:18年11月)という線が超されたのは21.11.12。

 こうして背丈だけは夫を追い抜いた息子が、夫をして「(お父さんを)追い抜いたな。」と言わしめる日が来ることを、私は、心から見たい、と思う。そしてその日に夫と二人で嬉しく見つめ合う日が来ることを、私は、心から待ち遠しく思う。

 現代医学をもってしても“再発後の10年生存率は5%”という厳しい現実を前に、冷静になれば、あと7年生きていられる確率は5%。叶わない夢かもしれないけれど・・・。

 確率論は言ってみても仕方ない、生きた者勝ち!と自分に言い聞かせている。

 昨日はさすがに寝不足だったので、昨夜はちゃんと眠れた。が、朝起きると頭痛が酷く、また痛み止めのお世話になって出勤した。もともと頭痛持ちであるにもかかわらず、頭が痛いと「すわ、脳転移か・・・」と思ってしまう思考回路が、我ながら情けなくも哀しい。


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2011.1.24 そして、ペコさんも逝ってしまった

2011-01-24 20:36:26 | 日記
 昨夜、ちょくちょく拝読していた「若年性乳がんになっちゃった!ペコの闘病日記」ペコさんのブログを見ると、ご主人のポコさんが前回に引き続き、「ペコの奇跡の物語が終わりました」と更新されていた。
 一瞬、息を飲んで固まった。
 寄せられたコメントは既に200を超えているが、私は、初めてのコメントが亡くなったというお知らせに対してでは・・・、と、送れずに立ちすくんでいる。

 今月19日にブログを基にした本「若年性乳がんになっちゃった!ペコの闘病記」が北海道新聞社より発売されたばかり。
 発売当日の夜、2人で街中の書店で平積みされているところを見に行きたいが、ペコさんの痛みが強い。厳しいかもしれないけれど、週末には・・・、という更新があった矢先のことだった。よほど調子が悪いのだろう、とは思っていたけれど。その後急変され、その夢は叶わぬものとなったという。

 私もネットで注文したけれど、いまだ本が届いていない。届いた頃には既に亡くなっているなんて、あんまりだ。まるで本が発売されるまで待って、天国に召されたようではないか。

 まだ38歳の若さ。2007年3月に初発、8ヶ月後の再発転移。4年弱の厳しい闘病だった。
 私がブログを拝見するようになったのはつい最近だけれど、トータル閲覧者280万人を超えて、本当に別格のブログだった。

 私はお蔭さまでこうして薬でコントロールしながら、再発転移からまもなく3年が無事過ぎようとしているけれど、やはりこの病気、決して甘くはない・・・、ということを改めて突き付けられた思いだ。

 それでもとにかく決して後ろ向きにはならず、治療を続けながら、やりたいことは後回しにしないでなるべく出来るときにやって、美味しいものも食べられるときにちゃんと食べて、行きたい所にはちょっと無理してでもなるべく行って、つくづく毎日を悔いなく過ごさなくては、と改めて思う。

 昨夜は、早く休み過ぎたせいか、プチ虹のサロンの皆さんとのおしゃべりで興奮していたせいか、真夜中の2時半過ぎに目が覚めてしまい、結局明け方5時半まで全く眠れなかった。 その後トロッとしかけたかと思うと無常にもすぐに目覚まし音。

 それでもなんとか無事痛みは治まり、出勤することが出来てほっとした。ちょっと長い一週間にならなければいいけれど・・・。


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2011.1.23 プチ虹のサロン 新年会

2011-01-23 20:40:53 | あけぼの会
 今日は楽しみにしていた“プチ虹のサロン”の新年会。遅い朝食後、張り切って出かけた。
 夫が、先日友人から沢山頂いた夏みかんを使ってマーマレードを作り、4つビンに入れて皆さんにお渡しできるように用意しておいてくれた。私にとって大切なメンバーにホームメイドのお土産が出来て、夫の気持ちがとても嬉しい。

 今日は、昨年火事にあわれたSさんがお家の打ち合わせのために残念ながら欠席。4人での開催となった。
 新年ということで和食の懐石料理。4人で広々とした掘りごたつの個室で十分リラックス。まずは乾杯して無事の再会を祝った。
 それでも、どうしても年末年始と続いた知人の訃報に話がいってしまう。
 ついていないことに到着してすぐに胸痛があり、いつも持っているロキソニンを飲もうとしたところ、バックを変えたため入れ忘れていた。座って食事をすれば治まるかと思っていたが、ダメだった。あわてたところ、Tさんがご自分で持っていらしたカロナールを分けてくださった。本当に助かった。感謝である。

 しっかりフルコースを満喫し、追加で御汁粉までオーダーして充実した食事だった。本音のお喋りも満載で、どうしてこんなに時間が進むのが早いのだろうと思うほど、4時間以上が経過していた。それぞれ年末年始の旅行の報告をしたり、薬の副作用の話、食べ物や投薬量についての意見交換など、4人よると文殊の知恵以上だ、と実に有り難く思う。そうこうしている間にラストオーダーからさらに1時間も居座ってしまった。
 次回の日程を決めて、名残惜しい中、解散。
 今日も素敵なマカロンのプレゼント、私の好きないわさきちひろさんのクリアファイルの頂き物つきでとても嬉しい会となった。近々「いわさきちひろ美術館」ツアーも実現しそうでとても楽しみだ。

 帰りにはターミナル駅の百貨店で開催中の駅弁フェアで、息子のリクエストのお弁当を買うために大混雑の催場であちこちに並ぶ。頂いた薬は飲んだものの、やはり胸痛が続いており、必死で買い求めた。
 帰宅後、私の帰りよりも駅弁を待ちわびた夫と息子に戦利品の4品(息子は2食分完食)を出し、賑やかな夕食となった。そしてデザートは頂いたマカロンで。

 今日は1冊読んだ。
 群ようこさんの「またたび読書録」(新潮文庫)。
「『そうだったのか』『そこまでやるか』。西原理恵子のマンガもブッダのことばも、群ようこが読むと発見と感動は倍増!捨てる名人、体型コンプレックスを消してくれる名人などなど事実より奇なる人々が登場し、『字の書き方』『ボタンの付け方』から『風邪の引き方』まで納得情報が満載。どの本も欲しくなる読書エッセイ」との裏表紙。またまた読まなくては、という本が出てきてしまった。それにしても本当に時間が足りないし、本を置くスペースもいよいよ足りない・・・。

 食事が終わってもまだ胸痛が治まらない。明日からに備えて今日は早めに入浴して休みたいと思う。
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2011.1.22 the social network~人とのつながり

2011-01-22 20:27:18 | 映画
 今日は久しぶりに息子が土曜講習で登校日。送り出してから洗濯物を干し、夫と朝一番の映画館へ出かけ、「the social network」を観てきた。(「僕と妻の1778の物語」は夫から却下されたので・・・)

 「ソーシャル・ネットワークは、人と人とのつき合いやつながりを意味する。ここでは特定の相手との相互依存により生まれる人間関係、またはインターネット上でコミュニケーションをとるためのネットワークをさす。人と人とのつながりをインターネット上で実現したフェィスブックをはじめとするサービスをソーシャル・ネットワーキング・サービス=SNSという。」とパンフレットにある。

 世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス“フェイスブック”をハーバード大学寮の一室から始めた19歳のマーク・ザッカーバーグ。5億人の友達を作った男は、何を手に入れ、何を失ったのかーとのイントロダクションだ。
 主人公マークが“フェイスブック”を立ち上げるまでと、その後の2つの裁判を通したドラマだった。夫に言わせれば、「今の時代、アイディアを盗むなんて、とんでもない」と、確かにそうなのだが。
 現在の訴訟風景と、立ち上げの時の情景と、2つの時間軸がフラッシュバックしつつ進行する。圧倒的な量の台詞に引き込まれ、あっという間の2時間だった。
 「実話に若干のフィクションを加えた」とラストに流れたが、マークは若干19歳にして“フェイスブック”を立ち上げた後、大学は中退。今や世界で最も若い億万長者だという。
 が、最後のシーン、自らのノートPCで“フェイスブック”を開き、冒頭のシーンで喧嘩別れした女性の画面を開き、「友達になる」をクリックする姿に、あまりの孤独とやるせなさを感じたのは私が凡人だからか。

 私自身、“フェイスブック”は実際に一度覗いたことがあった。16年前の研修でお世話になったスウェーデンの研究者とずっとクリスマスカードの交換をしていたのだが、数年前に先方が引越しをし、その後うまく転送されなくなってしまった。ふと、ネットで検索してみたところ、写真とともに名前がヒットしたのだ。紛れもない彼女の10数年後の容貌だった。私は登録はしていないけれど、友達を6人辿っていくと世界中の人とつながる、ということをネットで実践したのだから凄いことだ。

 その後、夫と別れ、いつも参加しているホットピラティスで汗を流してきた。
 明日はプチ虹のサロンの皆さんと新年ランチ会の予定だ。我ながら目いっぱいの予定を入れてしまった土日だが、しっかりリフレッシュして元気の素をチャージして、来週からの仕事と治療に備えたい。

 今日は2冊読んだが、それについての報告はまた別の日に・・・。


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2011.1.21 静かな週末

2011-01-21 19:16:19 | 日記
 今日は職場でお休みの席が目立った。
 乾燥しているからか、風邪もやけに流行っている。免疫力が下がっている身としては、まことに勝手ではあるが、ゴホゴホと咳をしながら無理して出勤しないでほしい・・・、と思ってしまうこともしばしばだ。まあ、それでも出勤しないといけない仕事があるからこそ、皆、無理して出てくるのだろうけれど・・・。

 仕事始めの週、先週の3連休、と2週続きで火曜日始まりの4日勤務だったから、今週は年が明けてはじめてのフル5日勤務になるところ。年始の疲れが出たのかな・・・、といった感じ。

 夫は「昨日あたりから腰痛だし、ここのところなんだか喉の調子も悪い。」といって、潤沢な休暇をクリニック休暇にしていた。
 9月末から始めた禁煙は今のところパイポをくわえながらもなんとか続いている。喉の粘膜は再生されているのかどうなのか。「喉の調子が悪いのは“また吸え”ってことかなあ・・・」と馬鹿なことを言っている。
 それにしても4ヶ月もの長期にわたって禁煙が続いたのは初めての快挙だ。半年続いたらご褒美、のお約束である。耳鼻咽喉科のクリニックからメールが来て、内視鏡検査の結果、悪そうなものはないが、喉が赤く腫れているようだ。とりあえずほっとした。

 息子は息子で「塾に行く往復の時間すらもったいない、自分でやりたい勉強がある。」と、今月後半の英語のコマをキャンセルしている。が、先日の話し合いでそのコマを数学に回させてもらえないか、という数学の担当講師からのサジェスチョンをペンディングにしたままだ。
 毎日部活に出て、ゲームをしたいがためにダッシュで帰宅(今までのダッチロール帰宅時間に比べてやけに早い)し、私が帰宅して夕食の準備が出来るまではしっかりゲーム時間を確保している。そして夕食が終わると、これまでは、食後すぐにゲームをしていた時間をそのまままったりと過ごす時間にしただけで、結局のところ、肝心の勉強時間は全く増えていない。

 もう何を言っても駄目なのかなあ・・・と思いつつ、それでもあと3週間死ぬ気でやればずいぶん違うのだけど、とも思ってしまう諦めの悪い私だ(エンドレスの治療をするには向いているかもしれないけれど・・・)。

 自慢ではないが、受験生の母らしいことは何ひとつしていない。本人が夜遅くまで勉強をするわけではないから、夜食を作る必要もない。それでもなんとも毎日機嫌が悪いのだから、これぞ思春期、反抗期なのだろうけれど。
 とにもかくにも、20日後は誰にも平等に必ずやってくる。そしてとにかく受験は(無事かどうかは別として)、終わっている、はずである。

 今週は休薬の週だから、3週に1度のこの週末は元気にアクティブにいろいろやっておきたいと思う。
 仕事を終えて帰宅すると、夫が夕食の支度をしておいてくれた。有り難いことだ。上げ膳据え膳は何よりのプレゼント。さすがに仕事と通院を終えてから5日連続で夕食を作ると、週末はため息が出る、ダメな主婦なのだ。

コメント (3)
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