今日は大寒。
暦どおり冷え込んでいるし、乾燥はしているけれど、抜けるような青空でとてもいいお天気なので、身も心も引き締まるような感じだ。そして、一日ごとに日が長くなってきていることを実感し、日だまりではなんとなく日差しも柔らかく優しくなっているように感じる。気持ちが落ち着いているのだなあ、と思う。
阪神・淡路大震災が起こってからこの17日で16年が経った。老若男女、6,400人以上の方が亡くなるという大惨事。
ちょうど16年前、海外研修中でパリに滞在していた。
テレビもない最低限の家具付きアパートに住んでいたし、新聞はとっていなかった。ワールドワイドのラジオはお守りのように持っていたけれど、息をひそめてダイアルを合わせてもなかなかうまくNHK短波の電波をキャッチできなかった。そんなわけで、情報を得るのは、お世話になっている現地の事務所に行って、たまに日本の新聞を見せてもらうことぐらいだった。
今のようにノートパソコンを持って簡単にメールでやりとりする、という時代ではなく、ファックスでのやりとりか、どうしてものときに時差を考えながら国際電話で連絡するのがせいぜいだったと思う。携帯とメールが当たり前の現在では、とても想像が出来ない事態だけれど。
1月17日の午前中は、夕方に予定されていたパリ市職員へのインタビューに備えて、日本人の美容師さんがいる美容院に髪の毛を切りに行っていた。日本とは8時間の時差があるから、現地で17日の午前中というと日本時間では17日の夕方。早朝5時46分に地震が起きてから既に12時間近く経っていた頃だと思う。
美容師さんから「日本の関西のほうで大変な地震があったらしい。」と聞かされた。
その後、燃える町の写真やまるで映画のシーンのようだというコメントを出している新聞記事は読んだけれど、TV等の映像は全く見ることが出来なかった。
その頃、既にお母さんになっていた同期の友人からの手紙で「何千人もの方たちが亡くなって、ニュースを見ながら、涙が出てしかたがありません。」という便りをもらっても、正直なところ、申し訳なくもピンと来なかった。
自分の国で、大地震が起こり6,000人もの方たちが亡くなっている、というのに。
帰国したのは3月なので、その頃にはある程度落ち着いており、惨状を伝える映像等もそれほど見かけなくなっていたが、それでもいったいどれほどの大惨事であったかはよく判った。小さな子どもたちも沢山亡くなっていることも知った。
その後、6月に新しい命を授かったことが分かり、翌年1月末に母になった。
その息子がまもなく15歳を迎える今、遺されたご家族の16年の心中を慮るに胸がはりさけそうになる。病気で長患いをしていたわけでもなく、ある日突然断ち切られた6,400以上もの尊い命。
自然には勝てない、と下を向く。
そしてこうして病院通いの身ではあるけれど、普通の毎日を送ることができていることにあらためて感謝し、日々を少しでも大切に過ごしたい、と思うのである。
暦どおり冷え込んでいるし、乾燥はしているけれど、抜けるような青空でとてもいいお天気なので、身も心も引き締まるような感じだ。そして、一日ごとに日が長くなってきていることを実感し、日だまりではなんとなく日差しも柔らかく優しくなっているように感じる。気持ちが落ち着いているのだなあ、と思う。
阪神・淡路大震災が起こってからこの17日で16年が経った。老若男女、6,400人以上の方が亡くなるという大惨事。
ちょうど16年前、海外研修中でパリに滞在していた。
テレビもない最低限の家具付きアパートに住んでいたし、新聞はとっていなかった。ワールドワイドのラジオはお守りのように持っていたけれど、息をひそめてダイアルを合わせてもなかなかうまくNHK短波の電波をキャッチできなかった。そんなわけで、情報を得るのは、お世話になっている現地の事務所に行って、たまに日本の新聞を見せてもらうことぐらいだった。
今のようにノートパソコンを持って簡単にメールでやりとりする、という時代ではなく、ファックスでのやりとりか、どうしてものときに時差を考えながら国際電話で連絡するのがせいぜいだったと思う。携帯とメールが当たり前の現在では、とても想像が出来ない事態だけれど。
1月17日の午前中は、夕方に予定されていたパリ市職員へのインタビューに備えて、日本人の美容師さんがいる美容院に髪の毛を切りに行っていた。日本とは8時間の時差があるから、現地で17日の午前中というと日本時間では17日の夕方。早朝5時46分に地震が起きてから既に12時間近く経っていた頃だと思う。
美容師さんから「日本の関西のほうで大変な地震があったらしい。」と聞かされた。
その後、燃える町の写真やまるで映画のシーンのようだというコメントを出している新聞記事は読んだけれど、TV等の映像は全く見ることが出来なかった。
その頃、既にお母さんになっていた同期の友人からの手紙で「何千人もの方たちが亡くなって、ニュースを見ながら、涙が出てしかたがありません。」という便りをもらっても、正直なところ、申し訳なくもピンと来なかった。
自分の国で、大地震が起こり6,000人もの方たちが亡くなっている、というのに。
帰国したのは3月なので、その頃にはある程度落ち着いており、惨状を伝える映像等もそれほど見かけなくなっていたが、それでもいったいどれほどの大惨事であったかはよく判った。小さな子どもたちも沢山亡くなっていることも知った。
その後、6月に新しい命を授かったことが分かり、翌年1月末に母になった。
その息子がまもなく15歳を迎える今、遺されたご家族の16年の心中を慮るに胸がはりさけそうになる。病気で長患いをしていたわけでもなく、ある日突然断ち切られた6,400以上もの尊い命。
自然には勝てない、と下を向く。
そしてこうして病院通いの身ではあるけれど、普通の毎日を送ることができていることにあらためて感謝し、日々を少しでも大切に過ごしたい、と思うのである。