ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.1.20  1995年から16年経って思うこと

2011-01-20 21:11:29 | 日記
 今日は大寒。
 暦どおり冷え込んでいるし、乾燥はしているけれど、抜けるような青空でとてもいいお天気なので、身も心も引き締まるような感じだ。そして、一日ごとに日が長くなってきていることを実感し、日だまりではなんとなく日差しも柔らかく優しくなっているように感じる。気持ちが落ち着いているのだなあ、と思う。

 阪神・淡路大震災が起こってからこの17日で16年が経った。老若男女、6,400人以上の方が亡くなるという大惨事。

 ちょうど16年前、海外研修中でパリに滞在していた。
 テレビもない最低限の家具付きアパートに住んでいたし、新聞はとっていなかった。ワールドワイドのラジオはお守りのように持っていたけれど、息をひそめてダイアルを合わせてもなかなかうまくNHK短波の電波をキャッチできなかった。そんなわけで、情報を得るのは、お世話になっている現地の事務所に行って、たまに日本の新聞を見せてもらうことぐらいだった。
 今のようにノートパソコンを持って簡単にメールでやりとりする、という時代ではなく、ファックスでのやりとりか、どうしてものときに時差を考えながら国際電話で連絡するのがせいぜいだったと思う。携帯とメールが当たり前の現在では、とても想像が出来ない事態だけれど。

 1月17日の午前中は、夕方に予定されていたパリ市職員へのインタビューに備えて、日本人の美容師さんがいる美容院に髪の毛を切りに行っていた。日本とは8時間の時差があるから、現地で17日の午前中というと日本時間では17日の夕方。早朝5時46分に地震が起きてから既に12時間近く経っていた頃だと思う。
 美容師さんから「日本の関西のほうで大変な地震があったらしい。」と聞かされた。

 その後、燃える町の写真やまるで映画のシーンのようだというコメントを出している新聞記事は読んだけれど、TV等の映像は全く見ることが出来なかった。
 その頃、既にお母さんになっていた同期の友人からの手紙で「何千人もの方たちが亡くなって、ニュースを見ながら、涙が出てしかたがありません。」という便りをもらっても、正直なところ、申し訳なくもピンと来なかった。
 自分の国で、大地震が起こり6,000人もの方たちが亡くなっている、というのに。

 帰国したのは3月なので、その頃にはある程度落ち着いており、惨状を伝える映像等もそれほど見かけなくなっていたが、それでもいったいどれほどの大惨事であったかはよく判った。小さな子どもたちも沢山亡くなっていることも知った。

 その後、6月に新しい命を授かったことが分かり、翌年1月末に母になった。
 その息子がまもなく15歳を迎える今、遺されたご家族の16年の心中を慮るに胸がはりさけそうになる。病気で長患いをしていたわけでもなく、ある日突然断ち切られた6,400以上もの尊い命。
 自然には勝てない、と下を向く。

 そしてこうして病院通いの身ではあるけれど、普通の毎日を送ることができていることにあらためて感謝し、日々を少しでも大切に過ごしたい、と思うのである。

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2011.1.19 ブログは誰のもの

2011-01-19 22:26:32 | 日記
 先日、新聞に、既に亡くなった方のブログを家族が引き継いで管理しているという記事があった。一昨年、乳がんで亡くなった川村カオリさんの弟さんだった。

 今ほど簡単に、ごく普通の人が自分の日記等を世界に向けて発信することができるようになることを、かつていったい誰が想像できただろう。私もまさにその恩恵にあずかっている一人なのだが。
 前にも書いたことがあるが、私がお世話になっている会社のブログだけでも日々500近くの新ブログが生まれている。自費出版等はハードルが高くても、こうしてブログを立ち上げれば、あっという間に俄かライターになれるのだ。

 有料のブログは、当然のことながら本人からの支払いが途絶えれば継続されずに消えていくのだろうけれど、私がお世話になっている無料のこうしたブログは、本人しかログインパスワードを知らなければ、他の誰も削除することは出来ないから、そのままネット上にずっと残ることになる。

 私がかつて拝読していたブログで、残念ながら管理人ご本人が亡くなられたもののその後を見ると、現在ではコメントは受け付けていないけれどブログ自体はそのまま残っているものや、ブログそのものがすっかり閉鎖されてしまったものなど、さまざまだ。
 自分が生きた証、として始めたブログであれば、自分が死んでしまった後、すっかり閉鎖されて無かったものにされてしまうのは淋しいだろう。

 私はどうなのだろう。
 現在のところ、夫は第一号読者でコンスタントに見てくれているけれど、息子は見向きもしない。自分の悪口が書かれているといって戦々恐々としていて、間違ってログイン方法を教えれば削除されてしまいそうな勢いだ。
 そもそも私がいなくなった後に、伝え切れなかったことを、いつか息子に読んで欲しい、という思いもあり書いている部分も多いので、彼が大人になってもなお見ることが出来れば嬉しいのだけれど・・・。

 これまでは“私の”ブログ、だと思っていた。そして自分の気持ちを整理する意味で大切に育んできた。
 が、今や“私だけの”ブログではない、と身を引き締める思いである。日々、沢山の方たちが閲覧に来てくださっている。そして胸が熱くなるコメントを寄せてくださっている。

 最初はとてもブログなど・・・と思っていたけれど、今はブログを始めて本当に良かったと思っている。そして今年から思い切ってコメントを頂けるようにして、日々やりとりの出来る方に巡り会えたことを心から嬉しく思っている。
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2011.1.18  恵まれているのだから

2011-01-18 18:56:45 | 日記
 先日ある方とお話したときのこと。

 その方とは同い年なのだが、20歳で結婚され、21歳でお母さんになっているので、先日結婚されたお嬢さんと既に社会人の坊ちゃんがおられる。そのお嬢さんの配偶者のご家族=ご両親、お姉様=が皆がん体験者、だそうだ。
 お母様は10数年前に乳がんを患い、今度は大腸にも見つかった、とのこと。転移なのか原発なのかお話から詳しいことはわからなかったけれど、とりあえずもう切るのは嫌、ということで積極的な治療はお休みしているそうだ。そのご家族は地方にお住まいだが、治療のために都内のがんセンターに通院するのに、ホテル住まいよりも・・・と、がんセンターと同じ区内にマンションを買って、通院時の滞在に使っておられたらしい。そのマンションをしばらく使っていないのでということで、このたび結婚した2人の新居にされていたそうだが、結婚後、今度はお父様に喉頭がんが見つかり、治療が開始されたという。

 毎週の通院、地方から新幹線で通い続けるのは体力的にも経済的にもとても続かない、ということで、新婚家庭にしばし滞在することになっているようだ。「新婚の新居にいきなり通院治療で大変なお父様が毎週お見えになる、というのではお嬢さんも大変でしょう。」とお話した。その方は「あくまでそのマンションは本来の目的が通院時の宿なのだから、早く明け渡しなさい、と言っているのですよ。」とおっしゃっていた。

 本当に厳しいな、と思う。
 そして自分は恵まれていることを感謝しなければいけない、と思う。とにかく自宅から普通に十分通える距離で納得して治療が続けられているのだから。通院の治療費だけでなく、新幹線や飛行機で全国各地から通院してくる患者が沢山いる。交通費、宿泊費・・・病気にならなければ使わなくて良かったはずのお金がどんどん羽根を生えて飛んでいくだろう。

 私が通っている病院でも、点滴中漏れ聞こえる話の端々から、朝5時起きで新幹線で通っている・・・ということがわかる方もおられる。精神的にも経済的にも厳しい病気だ。そして、切ったら終わり、ではない。卒業までに概ね5年、特に乳がんは10年経ってもまだ卒業させてはもらえない。それほど長いこと経過観察が必要で、その間ずっと再発の恐怖に怯えなければならない、いや、怯えないまでもどこかでいつもひっかかっていて、嬉しいことにも心の底から喜べない自分に気づくことがあるのだから。途中、心が折れてしまう人がおられることももっともだ、と頷ける。

 でも、気持ちは持ちようだ。
 とにかく、再発転移してしまったのだから、もう再発したら・・・と怯えることはない。悪い細胞といっても所詮自分の細胞。なんとかうまく寝かしつけてつきあっていくしかない。なるべく長く今の状況が保てるように。粘って、粘って新薬を待って(お金がかかることは申し訳ないけれど)命をつないでいかなければ・・・、という気力だけは持ち続けたいと思う。
 そう、私の売りは細く長く・・・粘り強い(しつこい?)性格、だった。

 ようやくお腹の調子が落ち着き、食欲も戻ってきて、お昼は友人と語らいながらしっかり取ることができた。やはり食べなければ力も出ないし、気持ちも前向きにならない、とつくづく思う。
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2011.1.17 緩んでいるのは・・・

2011-01-17 20:38:13 | 日記
 ようやく今日から息子の学校は通常授業開始。こちらも久しぶりに3個のお弁当を作った。
 そして、年末に振り込んだ受験料とは別に、今日は願書を持って行った(はずである。既に年明けに渡したので・・・)。この書類は夫に代理出席してもらった年末の保護者会の時に配付されたもの。

 3年前の中学受験の時を思い出すと、実に隔世の感がある。あの時は、各々コピーをとって、丁寧に下書きをして、筆記具にもこだわって、息を詰めてまるで念を籠めるように願書を書いた。特に本命校では、願書を書き終わってぐったり憔悴したのを覚えている。

 今回は写真を貼る必要もないというし、ごく普通に何らの気負いもなしにテーブルの上にあったボールペンでさらりと書き始めてしまったのだが、「志望動機」を書く欄を前に、はたと手が止まった。正直に「中高一貫で入学したので、そのまま・・・」とも書けず、しばし悩んだ。別にもらっていた注意書きを見ると、その欄は書かなくてよく、代わりにクラスと番号のみ書くことになっていた(学校の方が上手である。)。
 保護者会は夫が出てくれたので私は直接説明を受けていない、といえば言い訳になるが、何事もちゃんと説明書きを読んでから書くべし、ということだ。要は当の息子だけでなく親の私の態度もどこか緩んでいるのだ、と深く反省した。

 不合格なら本当にどこにも行くところがなくなる高校受験は、仮に受験に失敗しても公立中学校に入学することが出来る中学受験とは全く違う。中高一貫とはいえ、曲がりなりにも高校受験があるのだから、今や息子も同じ状況だ。というよりも、ただ一校しか出願していない立場では、今通っているところから土壇場で「ノーサンキュー」と言われれば間違いなく行き場のない浪人生になってしまうのだから。

 それにしても先週のスキー教室で利き腕の右手を折った子が一人、足を折った子が一人、高熱で帰宅した子が一人だったという。そういった事故が起きることも承知の上で受験学年でもスキー教室を実施するのだから、試験日にきちんと出席すれば大丈夫、と思ってよいものなのかどうか・・・。

 一方、昨日で大学センター試験も終わった。
 今年は職場の動員がなかったので、二日とも大学には近づかなかった。かなり冷え込みはしたけれど、雪にならずに良かったと思う。何と言っても雪かきが大騒動なので。
 息子も3年後(留年がなければ、だが)にこの試験を受けるのだろうか。その時、私は彼の願書を見ることが出来るのだろうか。さすがに大学受験の願書は親ではなく自分で書くのだろうけれど、息子の進路がどうなるのか、ということまで知ることを神様は許してくださるのだろうか、と、ふと弱気になる。

 朝起きてから異常に肩と首が凝っている。重くて辛い。50肩と言われればそういう年齢なのかもしれないけれど、体のだるさとセットなのだ。やはり白血球が下がってくる時期なのだな、と思う。
 無理せず風邪をひかずに今週を無事やり過ごさなければ・・・。
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2011.1.16  再び、Tさん、ファイトです!

2011-01-16 20:58:24 | 日記
 今日は少し朝寝坊をして、のんびり洗濯を干した。起こさないと2人とも絶対に起きてこないので、実にマイペースだ。
 遅い朝食をとり、簡単に掃除。ずっとこうしていても・・・と、殆ど時間をおかずにお昼を食べて、午後からリンパヨガに出かけた。たっぷりと汗をかいてその時は気持ち良かったけれど、ちょっとだるさを感じる体調でホットの環境でのヨガに参加したのはやはり無謀だったのか、体力の消耗が激しかったようだ。帰宅後、眠くてだるくてたまらない。
 夫が「鍋がいい。」と言うので、渡りに船、で簡単に夕食の支度。休日一日家にいると、本当になんだかずっと食べることばかり準備している感じだ。

 ふと、あけぼの会のHPを見ると、事務局Tさんの治療日記が更新されていた。

 先日お電話を頂いたとき、「その後、いかがですか。」と伺うと、「年明け6日にCTを撮って、その結果が13日なので、それからなのよ・・・」とおっしゃっていた。私もちょうど13日が治療日だったので、そろそろ治療日記が更新されるかと思い、ちょくちょくHPを覗いていたが、更新されていなかったので、気になっていた。それでも、今週末から息子さんご一家と同居されるのでその準備もあって、ともおっしゃっていたので、お忙しくて更新どころではないのか、とも思っていた。

 治療日記に記されたCT結果を拝見するに、前回より多発肺転移の拡大、多発肝転移の出現、とあった。マーカーも上昇されているとのこと。
 それにしてもなんて意地悪な病気だろう・・・と、改めて悔しい気持ちが湧いてくる。こんなに頑張ってずっと長年治療を続けてこられ、昨年の秋の大会後、卵巣転移で開腹手術をされたばかりだ。1ヶ月の静養の後、ようやく事務局に復帰され、復帰パーティもあり、さぁまた、これから活躍を、というところだったのに・・・。
 20日から抗がん剤治療を開始される、という。
 それでも「いろんな方たちの力をかしていただき、しっかりと前向きに治療するとこころに決めています。辛いですが、泣いてはいられない、気を引き締めてがんばらなければ」との力強い決意表明があった。

 再び、Tさん、ファイトです。
 必ずや、新薬ジェムザールの2投1休が奏功しますように。心より祈ってやみません。

 さて、息子が金曜日に宿から送ったスキーの荷物が先ほどようやく届いた。てっきり帰宅翌日である昨日に届くものと思っていたら、先方に1日では厳しいかもと言われたそうで、ならば今日の午前中か、と構えて洗濯の算段をしていたら、「夕方にした。」と言う。しかも18時から20時。「自分で片付けないから、そんな遅い時間に設定するのよね。」とまた愚痴ってしまう。さらにボロボロと忘れ物やら入れ忘れのものも判明した。

 昨日は、通っている塾の塾長先生と、今後のことについて延々とお話したようだけれど、結局のところ「まだ塾を続けるかどうかは結論が出せない。」と言って帰宅してきたようだ。
 とにかくゲームがやりたくて気になって仕方ないらしい。年明けに、自分で壊したゲームが修理されて戻ってきているのだ。
 入試まであと20数日の中、本来なら封印する時期であるのに、事態と逆行しているのかもしれないけれど、条件付きでゲーム解禁することになった。やりたくて仕方なくて、気になって勉強が手につかないよりは、ある程度気の済むまでやらせて、勉強に向かった方がいいのでは、という塾長のアドバイスによる。
 いい結果になってくれればよいのだが・・・。

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