ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.6.24 「おそば」から出た「さくらんぼ」

2012-06-24 23:16:36 | 
 以前このブログでも書いたが、夫と息子が参加した“冬そばキャンペーン”のスタンプラリー抽選で、バス旅行ペア賞に当選した。

 7月末迄であれば、パンフレットに記載されている日帰りバス旅行どれでもOKという触れ込みだった。だが、なかなか日程が合わず、結局、今日のコースに参加した。当初は息子も入れて3人で、7月の桃狩りコースを予約したのだが、息子の日程が合わなくなり、2人でどうぞ、とのこと。

 夫と2人でバス旅行に出かけたのは3年ぶりくらいか。
 今日のコースは裏磐梯の五色沼散策とさくらんぼ狩り体験。参加者は16人で、28人乗りの小さ目のバス、添乗員さんと運転手さん2名のこじんまりしたツアーだ。
 都心を抜けるまでは雲が厚かったが、現地に近づくにつれてだんだん青空になり、磐梯山が美しく見えた。毘沙門沼に到着したのが予定より30分ほど早く、その分、散策時間が延びてラッキーだった。この沼の水は無色透明だが、湖底から酸性の鉱泉が湧き出しているため硫酸イオンや塩素イオンを多量に含み、硫酸カルシウムの乳白色が晴天には太陽の光を受けて青白色の美しい色が見られるのだという。気温はやや低めでひんやりとしたが、緑豊かな遊歩道を歩き、美しいブルーの水辺でお弁当タイム。30分の延長時間のおかげでボートに乗ることも出来た。

 その後、ますます東京を離れ福島市内のフルーツラインにあるさくらんぼ農園へ。佐藤錦、ナポレオン、高砂とあったが、やはり粒の大きさ、甘さと水々しさは佐藤錦が一番。園内の赤くつやつやと光った実が沢山生っている木をはしごして、30分間お腹を壊さない程度に召し上がれるだけどうぞ、とのこと。これまで梨やぶどう、りんご、桃、いちご狩りは息子連れで体験済みだったが、さくらんぼ狩りは初めて。お腹一杯頂いた。

 あとは立ち寄る所もなくひたすら帰路。バスに乗っていた時間は合計13時間以上。さすがに朝早かったので、バスで揺られていると、いつのまにか舟をこいでしまう始末だった。
 朝、いつも仕事に出かけるより2時間も早く出かけ、およそ16時間の外出になってしまいヨレヨレだ。遊びに行ってヨレヨレというのも、なんとも自業自得であるが・・・。
 一方、息子は友人と東京ドームへ野球観戦に出かけ、休日を満喫した模様。

 早くも明日は6月最終週。体調が良いので先週からノンストップで働いて、遊んで・・・、で、さすがにちょっと疲労がたまってきたようだ。そろそろメンテを考えるタイミングかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.6.23 土曜日出勤の日に

2012-06-23 21:36:10 | 日記
 今日は沖縄戦終結から67年目の慰霊の日。奇しくも沖縄地方は、早くも今日、梅雨明けしたという。今年も暑い夏が待っているのだろうか。

 今日は仕事で1日出勤した。大学院進学希望者のための“オープンキャンパス(大学院説明会)”開催のためである。
 雨が降りませんように、という思いが通じたのか、暑くなく寒くなく、いい塩梅にイベント日和のお天気だった。
 沢山の院生が助っ人に来てくれて、驚いたが、とても有難かった。一人でやればトホホな力仕事も、息子世代よりちょっと年長な若者たちと一緒に出来れば、それは楽しいものになる。

 一方、息子の学校では保護者会が開催され、先日の中間試験の成績等が返された。毎年このタイミングの保護者会はこの説明会開催日にあたるので、夫に出向いてもらっている。

 応援してくれた院生たちの力もあって“オープンキャンパス”はそれなりに盛り上がったが、たまたま読んだ今日の朝日新聞の社説―大学改革の話題―が気になったので、以下に転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

大学改革―減らせば良くなるのか

 政府の国家戦略会議がテーマの一つとする大学改革論議で、大学の「統廃合促進」が取りざたされている。
 いわく、大学が増えすぎて学生の質が下がった。専門知識はおろか一般教養も外国語も身についていない。大学への予算配分にメリハリをつけ、競争によって質を上げよ。校数が減って大学進学率が下がってもいい。
 企業人や閣僚が、そんな主張を展開した。
 しかし、大学や学生の数を減らせば質が上がるのか。弊害にも目を向ける必要がある。
 問題提起じたいはわかる。
 学生の勉強時間は少ない。東大の調査では、米国の学生の過半数は授業以外の勉強時間が週11~15時間だが、日本は5時間以下が6割を超える。
 世界と渡り合える優秀な人材を育てないと日本は埋没してしまう。産業界にはそんな焦りがある。新卒の3割が3年以内に離職することへの不満も強い。
 しかし、大学の淘汰(とうた)を進めると、都会と地方の格差が広がるおそれがある。
 大学・短大進学率は今でも東京都や京都府が60%台なのに対し、北海道や東北、九州の大半の県は40%台と開きがある。
 統廃合が進めば、体力のない地方の小さな私大からつぶれ、地方の裕福でない家庭の子は進学の機会を奪われる。
 学生が勉強しないのは企業側にも原因がある。3年の後半から就職活動が始まり、専門課程の勉強がろくにできない。
 それに、大学の現場はむしろ学力が足りない学生をいかに底上げするかに頭を悩ませている。それは高校までの教育や大学入試のあり方も合わせて見直さなければ解決しない問題だ。
 そこに手をつけずに統廃合を進めたのでは、行き場を失う子を増やすだけに終わるおそれがないか。仕事に必要な能力が身についていない若者が増えれば、年金などの社会保障を担う層が細ってしまう。
 そもそも日本の大学進学率は先進国の中で決して高い方ではない。大学教育への公費負担の割合も低い。
 ただでさえ少ない予算を上位校に回し、下から切り捨てるようなことになれば、人材の層がますます薄くなってしまう。
 複数の大学が運営部門や教員を共有し、研究や教養教育を共同で行う。そうした「連携」で経営の効率を上げる。そして、生まれた余力は各大学の特色を高める工夫に回す。
 淘汰のムチをふるうより、そんな底上げをめざすほうが実りがあるのではないか。【朝日新聞社説2012.6.23】

(転載終了)※  ※  ※

 大学全入時代-選びさえしなければどこかの大学に入れる-の到来で、大学は定員割れに戦々恐々とし、質・量ともに受験生獲得に躍起となった。
 けれど、少子化が進行するのは織り込み済みだったのに、なぜあれほどあちこちで大学を作ったのだろう、とは素朴な疑問として以前から感じていた。
 こうして都内に住んでいると、大学入学のタイミングで親元から離れることが少ないので、経済的な負担ということについては、地方在住の方ほどではない。けれど、いくら国公立に入っても下宿代等を考えれば親の負担が本当に大きいのは良くわかる。それゆえ親元を離れて都会の大学に通うよりも、自宅から通える大学に通った方が・・・、という事情も頷ける。それに対応して全国に大学を増やしていったことも理解出来る。

 けれど、そのうちのいくばくかは、本当は大学に行かなくていい(行きたくない)生徒たちをとりあえず大学に、ということではないだろうか。親の見栄や生徒たちのモラトリアムのための手段にはなっていないだろうか。
 もちろん大学に入学すれば、ある程度自由に好きなことに打ち込めるし、それによって自分というものを見つけ出すことが出来る大事な4年間でもあるのは事実なのだが・・・。

 散々な成績表をもらってきながらあっけらかんと野球観戦に興じる息子を見ると、そんなに勉強するのが嫌いなら無理して大学に行かなくても・・・と思う。と同時に、でも、だからこそ大学で新しい自分を発見してほしいのだけれど、と溜息をついてしまう母である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.6.21 夏至の日に思うこと

2012-06-21 19:31:33 | 日記
 6月下旬になり、暦の上では夏になった。朝は早くから明るくなるし、夕方はいつまでも暗くならない。暗くなってから焦って職場を出るのと、明るいうちに家にたどり着くのとでは、疲れ方は全然違うように思う。
 台風4号が駆け抜けたと思ったら、今度は5号が控えているとのことで、今日もパラパラと雨が降ったり止んだり。昨日より気温は大分下がったものの、湿度が高く雲行きがおかしな1日だった。

 ナベルビン最終投与から早くも4週間経過した。調子がいいとアッという間だ。いつもは水曜日に沢山の薬を投与され、翌木曜日の定例会議ではヨレヨレで、週末の2日間はやけに長く感じたものだが、今週は余裕でこなし、土曜日は出勤、日曜日には夫とバス旅行に参加する予定になっている。
 仕事の予定が入る時には、投与の前か後かそれとも休薬週か、あるいは通院日を動かさなければならないか、で一喜一憂していたのが遠い昔のように感じる。とりあえず7月一杯は原則3週間に1度の通院だし、ほぼどこに何を入れられても大丈夫、というのが我ながら気持ち良い。

 あれほど吐き気、食欲不振と便秘、不眠に悩まされていたのが嘘のように、今やすっかりそうした不調と無縁である。何を食べても美味しいから、つい食べ過ぎる。いくらでも眠れるので、ついつい寝坊しそうになる。いつもながらのちょっとした胸部の鈍痛や圧痛、息切れなどは、全く気にならない。足の痺れはちょっと鬱陶しいが、私って本当に病気だったのかしら、もしかしたら間違いではなかったのかしら、とまでずうずうしく思う。

 ナベルビン無しの私ってこんなに元気だったんだ、と思う。もしかしたら、これからハーセプチンとゾメタだけ続けて抗がん剤治療はずっとお休みでも大丈夫なのでは・・・などと、ついつい大胆なことを考え、思いとどまって正気に戻る。冷静に考えれば、休薬期間の今があるのは、これまで“奏功している間はエンドレス”という切ない治療を頑張ってきたからである、と。
 そしてなぜこの命の洗濯(!)期間がもらえたか、といえば、ナベルビンの効果が頭打ちになったために、アンスラサイクリン系に薬を変えることになっていたのだった、と。
 せっかく思いもかけなかった2カ月の骨髄休暇月間を頂いたわけだから、次の治療まで目いっぱい鋭気を養っておきたいと思う。
 この2カ月間、アンスラサイクリン系開始ギリギリまでナベルビンを続けた場合と、ナベルビンを中止して、ホルモン剤フェアストンに切り替えた場合とで、最終的にどちらが延命効果を発揮できるのかは神のみぞ知る、だ。当然一つしかない身体だから、両方のケースは実験出来ない。私は後者を選んだが、とにかく主治医と自分でベストの選択をした、と信じている。

 別に後ろを振り向くわけではないが、人はうんと素晴らしい思い出があれば、それを胸に頑張ることが出来るという。さればまた頑張り続けるために、8月の薬変更までにうんと楽しい思い出を作りたい、と思う。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.6.20  カラーストーンからパワーをもらう

2012-06-20 20:27:06 | 日記
 超特急で日本を縦断した台風4号だったが、今日は“台風一過”の言葉通りの一日だった。
 朝はサウナ並みに蒸し暑く、日中の陽射しは真夏のよう。都心は今年初めての真夏日になったとのこと。出がけに洗濯を沢山干していったが、帰宅してみると、強風に一部飛ばされていてガッカリ。

 そして、今月2回目のお花が届いていた。今日は向日葵5本、桔梗3本、かすみ草1本。それぞれの花言葉は「あこがれ」、「変わらぬ愛」、「清い心」だという。
 早速、生けてみた。向日葵のビタミンカラーで元気をもらい、好きな色、淡い紫の桔梗で癒されていく感じだ。

 ある方からとても素敵な誕生日プレゼントが届いた。
 私の生年月日から割り出したラッキーカラーを組み合わせたという、パワーストーンのオリジナル・ブレスレット。一つ一つ願いを込めて石を選んでくださったという。それを知っただけでなんだかじーんとなってしまい、早速つけてみた。嬉しかった。

 1961年6月17日生まれのラッキーカラーは紫、緑、黄色(金色)だそうだ。各々の色のキーワードは紫が「インスピレーション」、緑が「調和」、黄色(金色)が「金運」で、各々の意味は「発想力を高める色。アイデアを必要とするときに。」、「安定した、健やかな成長を促進。健やかで平和な気分に。」、「魅力を引き出し幸運を運び込む色。明るく軽快な気分に。」とある。
 頂いたブレスレットは、透明のクラッククオーツ(爆裂水晶)と水晶(石英)、淡い黄色のシトリン(黄水晶)、淡い緑のチャイナエイド(中国翡翠、独山玉)とプリナイト(葡萄石)の5種類の石を組み合わせたものだ。どれも私の好きなパステル調の淡い色合いで、とても上品なもの。
 石にはそれぞれ意味があるというが、同封されていたパワーストーンリストによると、クラッククオーツは「7つの光が願いを叶える、天職や伴侶に出会う手助けをする」、水晶は「あらゆるものを清める、全ての調和、石同士の仲を取り持つ」、6月のサブストーンであるシトリンは「人間関係のトラブルを回避、自信と活力を与える、富・繁栄・金運の石」、チャイナジェイドは「沈着さと忍耐力を養い、災難から身を守る。素早く正確な判断力をもたらす。」、プリナイトは「理性と感情のバランスを保つ、根気強さを養う。」だという。

 お守り代わりにいつも身につけていたら、いいことが沢山ありそうだ。こうして51歳も幸先の良いスタートを切ることが出来た。
 心穏やかに、精一杯。笑顔が絶えない良い1年にしたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.6.19 落ち込んでいても・・・

2012-06-19 19:01:01 | 日記
 昨日、このブログで書いたように、職場の方の訃報を受けて、「あまりに急なことでショックです。」と落ち込んでいた私に、昨春同じ病気でご主人を亡くした方から次のようなメールを頂いた。

 「人は、ある日突然、余命○か月と言われたり、帰ってくるつもりで出かけたはずが冷たい氷の中に閉じ込められて、いつ帰れるのかさえわからなくなったり、はたまた理由もなく刺し殺されたり、理不尽極まりない運命なのですよ。
 健康であってもただ忘れているフリをしているだけで、皆そうした不確実な命なのですよ。
 だから一緒に支え合って、泣いたり笑ったりしながら生きているのだと思います。」

 本当にそうなのだ、と思う。
 同じ病気の方が旅立つたびに落ち込んでいても、何も始まらないし、事態は好転しない。
 だからこそ、今日も前を向いて生きていくのだ、と思う。
 生かされているうちはきちんと生き切らなければ。何があろうと、人は死ぬまで生きなければならないのだから。
 病気であろうとなかろうと、もっと生きたいと思っていても、おそらく自分ではどうすることも出来ない力が加わって、呼吸を止めなければならない時がいずれはやって来る。
 そして人として生まれてきたら、必ず誰にも平等にやって来る、旅立たなければならなくなった時、人は、色々な未練やら何やらを全て断ち切って、やはり逝かなければならないのだろう。

 昨日、義母は予定通り、無事義妹宅近くの施設に転所した。
 義妹からの電話によると、環境が変わってまた食事が摂れなくなっているとのこと。確かに自宅に帰れたわけではないし、1カ月強のショートステイでようやく施設に慣れたところで、また新しい場所への引っ越しだから、ストレスも溜まっているのだろう。
 けれど、これからはここが義母にとって終の棲家になるのだから、どうか一日も早く新しい環境に慣れて、心穏やかに過ごしてほしい、と願うばかりだ。

 6月の台風が上陸した。こちらでも「午後から強い雨」という予報より早く、午前中から雨が降り始めた。各地の被害が心配だ。
 私は定時で帰宅したが、僅か20分歩いただけで上から下までびしょ濡れになった。夫はいつもより早く帰宅した。一方、息子は部活の日。台風で中止になるわけでもなさそうで、いまだに帰宅せず。風が強くならないうちに帰宅するのを祈るばかりである。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする