ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.6.7 “祈りの曲”が届いて思うこと

2012-06-07 20:28:02 | 日記
 プチ虹のサロンKさんから“コワレモノ”と記された郵便が届いた。中にはCDが1枚。
 Kさんの主治医の友人で、精神科医であり音楽遼法士でもあるピアニストの馬場存(あきら)さんのものだった。

 「迷って迷って送る事にしました。本当はもっと早く送りたかったのだけれど。私は聴いてとても気に入ったのですが・・・。貴女にも買おうと思ったら完売でお願いしておいたらようやく昨日きていて・・・。8月から【ホルモン剤が奏功して、新しい抗がん剤の】アンスラを使わなくていいかもしれないし、お2人の旅行でも元気になられたようで、今更という気もしながら、押し付けかなという気もしながら・・・改めてタイミングって大事だな~と実感しています。折角なので聴いてみてください(眠れない夜などのBGMにも・・・)」とのメッセージ。(【】内は加筆。)

 “PRAY”という標題曲を含め、美しいピアノ曲が3曲収録されていた。曲も素敵だったが、Kさんのお気持ちが何より有難かった。先月、CT検査の結果で8月からの抗がん剤変更が決まって、脱毛必至、と落ち込んでいた私を何とか励ましてくださろうという心遣いが伝わってきた。Kさんご自身も、ウィークリータキソールの治療中だというのに。

 曲を聴いた後、興味を持って検索してみると、昨年の2月から書いておられる馬場さんのブログにヒットした。
 今回のCDについて下記のような紹介があった。

※  ※  ※(転載開始)

 表題曲 ‘pray’は、東日本大震災直後、思わずピアノに向かい、出来上がった曲です。3月21日に音をつむぎ始め、日々書き加えて3月25日には完成しました。その哀しみを少しでも包み込み、そして希望の光がもたらされますようにという、祈りの気持ちがメロディになりました。
 CDには、‘pray’の譜面がpdfで収録されています。ピアノを弾かれる方には、お弾き頂けましたら、大変幸いです。同じ想いを共有できればと思っております。
 音楽を作る時は、ある種独特の意識になります。「さあ曲を作るぞ」と考えて作曲に向かってもつまらない音楽になってしまうようで、何か思わず突き動かされるような強い気持ちやインスピレーションがあった時に、「その音でしか表現できない」ものがわき出てきます。この曲もまさにそのようなプロセスから生まれました。

(転載終了)※  ※  ※

 なるほど、本当にそうなのだろうと思う。そして、音楽にはやはり癒しの力があるのだと思う。震災後に開催された一連のチャリティコンサート等でも実感したことだったし、私が四半世紀以上の月日を経て、大学時代に所属していた合唱団のOB・OGの合唱練習に参加するようになったのは、音楽に触れることで癒されに行っているのだとも感じる。だからこそ音楽療法が成り立つのだろう。

 馬場さんは幼少よりギター、高校からピアノを始められたそうだが、実際にピアノを習ったのは33歳の時に10回だけ、の独学だというのだから大したものだ。東邦音楽大学で音楽療法等の講義もしておられるというが、その指導方針は「勉強とは、やらされるものではなく主体的に楽しみながら取り組むものです。学問や芸術における真実が見えてその美しさを感じられると、勉強がとてもおもしろくなると思います。また、学問や芸術を通して自分と真撃に向き合うことは、人間としての成長にとても寄与します。そのような体験を伝えることができればと思っています。」とのこと。

 そう、勉強だけではない、何事についてもそうなのだろう。人からやらされるものではない、主体的に取り組むからこそ、面白くなるのだろう。
 振り返って思えば、ピアノを10年近く習っても全くもってなんのモノにならなかった私も、結局のところ楽しみながら主体的に取り組むことが出来なかったということだな、と反省する(そんな私が息子に無理強いしたところで、良い結果が出るわけがなかった。5年間のピアノレッスンはどこへやら、今は一本指で駅のホームの発着音を奏でるだけのために、彼の狭い部屋に大きな電子ピアノが鎮座ましましている。)。

 翻って、私が日々綴っているこのブログも、そうだ。「さあ、今日もブログを書くぞ!」ではなく「今日、このことを書きたい、どなたかにお伝えしたい!」という内容がある時には、楽しみながらスルスルと文章が出てくる。ウンウン唸ってみたところで、文章が流れない(だから日々ネタ切れに苦しんでいるわけだが・・・。)。

 眠れない日の優しいお伴が出来て、何とも頼もしく思う。Kさんにも馬場さんにも感謝、である。
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2012.6.6 当たり前のことを当たり前に

2012-06-06 21:03:18 | 日記
 先日、上司との面談があった。今年度の職務目標設定のための自己申告の第1回面談だ。

 いつかも書いたけれど、この後11月に行われる中間申告では、4月に提出した当初申告の目標・成果シートに加えて自己採点シート、異動申告シートを加えて3種類のペーパーを提出して面談。年度末3月の最終申告では、目標・成果シート、自己採点シートを提出して終了になる。したがってこれら3種類のシートは計3回、述べ6枚提出することになる。面談は今の時期と11月頃の2回のみなので、3月にはシートは提出するだけ、である。

 標題に挙げた“当たり前のことを当たり前に”は、今年度の(というよりも今の)私のモットーである。今年、何に重点を置いて仕事をしていくか、と面談で問われた時、予期せぬ形でごく自然にさらりと口から出てきた言葉だ。

 かつてはチャレンジ目標と称される難しい課題(たとえば何年も誰も手をつけられなかったような課題等)を掲げて、それが達成出来ると大きく評価される、などという時代もあった。しかし、みすみす出来ない目標を立てて、やっぱり出来ませんでした、と恥をかく、というのもどうにもおかしなものであるし、それに、それほどの課題がゴロゴロ転がっているポストがそうそうあるわけではない。
 殆どの仕事は、地味で、ひたすら根気強くコツコツと間違いのないようにやっていくものである。そして今の私にとって大切なことは、当たり前のことをいかに当たり前に丁寧に積み重ねていくか、だと思っている。

 当然のことながら、波乱万丈な毎日ではないけれど、それでも日々、一期一会である。
 以前に比べれば断然小さな守備範囲であるから、相手の顔と名前をしっかり一致させて、丁寧に対応することが出来る。日々接する学生や教員は私にとって決して“one of them”ではなくて、“only one”だと思っている。
 おかげさまで、彼らも私のことを“事務の人”ではなく、名前で呼んでくれる。

 もちろん、これは仕事だけのことではないだろうと思う。
 家事も育児も、そのほか生きて行く上でのいろいろなことは、当たり前のことを当たり前にこなすことが出来れば、きっとうまく回っていくのではないか。
 それが出来なくなるのは、自分に気持ちにゆとりのない時なのか、体調が悪い時なのか。

 仕事も家庭も、当たり前のことを当たり前に出来る幸せに感謝することを忘れずに、一日一日を過ごしていければ、と思う。

 さて、夫と息子が2月に“冬そばキャンペーン”に出かけた事は、以前このブログで書いた。その時に申し込んだキャンペーンの抽選で、なんとペアのバス旅行券が当たった。
 早速3人で顔を突き合わせ、1人分は追加ということで、申込みをした。突然棚ボタのバス旅行。遊ぶ手配となるといきなり早い我が家である。

 今日は一日雨が降ったり止んだりのお天気。せっかくの天体ショーも見ることは叶わなかった。
 帰宅すると、今月のお花が届いていた。
 ピンクの芍薬5本と紫のネギ坊主のようなギガンジューム2本、白の孔雀草3本。それぞれ花言葉は「はにかみ」、「不屈の心」、「可憐」だそうだ。
 年に一度の「芍薬」の季節。去年も立派な大輪の花を咲かせてくれたのを思い出す。びっくりするほどたっぷり水を吸うので、綺麗に咲かせてあげたいと思う。
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2012.6.5 日常に戻れば・・・

2012-06-05 21:44:43 | 日記
 昨夜は、息子が帰宅してからドタバタしたせいで興奮したのか、寝付きが悪くて参った。ただでさえベッドに入る時間が遅くなったが、それからもあちらを向いてみたりこちらを向いてみたり、数を数えてみたり・・・。眼がギンギンに冴えてしまい、焦れば焦るほど、眠れない。

 ナベルビン投与後は週の半分近くは不眠傾向だったのだが、2週間近くの休薬期間で “快眠という幸せ”を取り戻していたので、その落差にがっくりきた。

 今日も息子が一日家にいるという変則状態なので、何となく落ち着かない。まあ、明日からは学校で、1週間ぶりにお弁当を作る日常生活に戻るわけだから、早晩良く眠れる(眠らないと、とてももたない)ようになるだろう。

 ナベルビンを止めて僅かの間で、随分気にならなくなったことがある。

 匂い(臭い)だ。
 もともと鼻が利く方だが、投与後数日間は、つわり期に勝るとも劣らない気持ち悪さで、匂い(臭い)に敏感になって困っていた。香水の匂いも、煙草を吸ってきた後の人の吐息(ガムやミント系のタブレットで隠しても駄目)も、加齢臭も、食べ物の匂いも、全て吐き気を催して、仕事中は相手に気付かれないようにハンカチで口を覆っているしかなかった。
 それが今は、食欲旺盛で何でも美味しく頂けるから、吐き気止めやお腹の調子を整える薬等は不要で便秘知らず。

 一方、足の痺れは相変わらず。足先からふくらはぎまで、長時間正座をした後のような嫌な感じのビリビリ感がとれない。何に触れても鈍く重い感触。一旦、末端神経系の症状が出てしまうと、薬を止めたからといってすぐに改善されるものではないのだなあ、と改めて思う。
 足の爪の脱落は悪化していないし、手の爪はケアしているので折れたり割れたりするトラブルもなくなった。

 今のところ、フェアストン錠を内服することによる副作用は特に感じない。ホットフラッシュも、関節のこわばりも、気持ち悪さも、何もない。だから十分に日常生活を謳歌出来ている。今週は通院することもないので、明日も出勤。週5日間のフルタイム勤務だ。

 朝一回、薬を飲む時以外は病気のことを忘れて、ごく普通に笑って仕事に向かえる。何より有難いことだ。
 “再発治療中”と一口に言っても、長期にわたって抗がん剤を投与し続ける必要があるのか、内服ホルモン剤だけで大人しくしていてくれるのか、で、患者としてのQOLは全く異なってくる。
 もちろん、抗がん剤治療も日常生活に取り込んで、副作用をうまくかわしながら、長期間しっかり奏功してもらえるならば何よりだけれど。
 それでも、一旦こうして抗がん剤なしの体の楽さを思い出してしまうと、このままホルモン治療で少しでも長く粘り続けることが出来れば本当に嬉しい、と思ってしまう。

 帰宅すると、10月の校友音楽祭の楽譜と音源CDが届いていた。毎年のように新しい楽譜に2つの穴をあけて、補強用のシールまでがワンセットで封入され、至れり尽くせりである。あとはファイルにとじ込むだけ。
 参加を申し込んだ時には、まだ夏からアンスラサイクリン系開始という治療方針ではなかったので、さっさと前泊のためのホテルの予約までしてしまっている。
 はた、と考えるに、さすがに当日、あまりに酷い副作用が出ていれば舞台に乗ることは叶わないかもしれない。だが、それでもとにかく、今月末から始まる日曜日の練習にだけは参加しておきたい、と思っている。
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2012.6.4 虫歯予防デーの賑やかな夜

2012-06-04 23:14:22 | 日記
 昨日、一昨日と旅行に出かけていた時には、涙目も鼻水も落ち着いていて、涙で滲んだ瞼をハンカチで押さえることがなく、赤い爛れ具合が大分良くなっていた。だが、なぜか出勤したらまた元通りになってしまった。またステロイド軟膏を塗らないと駄目かもしれない。
 原因は職場のハウスダストなのか埃なのか、何か別の化学物質なのか判らないけれど、何とも憂鬱なことだ。

 さて、息子は予定通り4泊6日のバンクーバー修学旅行を終えて、帰国した。
 成田空港発着案内によると定刻より3分遅れの到着だった。行きはわざわざ遠回りをしてスカイライナーで出かけたが、さすがに帰りは荷物も多いし疲れたのか、最寄り駅までのリムジンバスの時刻表をメールで知らせると、それに乗って帰ってきた。

 帰宅早々「食事は軽くていいからさっさと寝たい、眠いからシャワーだけでも浴びる。」と言っていたのだが、お風呂から出てきて食卓についてからはお喋りが止まらず、用意した食事を人一倍時間をかけて全部たいらげ、写真をスライドショーにして見せてくれた。
 昨年のホームステイの時は、ホストファミリーも友人も観光名所の建物も何ひとつ映っておらず、(私には意味不明の)シュールな写真が多かったが、さすがに私たちがあまりにがっかりした様子を見せたせいか、今回は友人との写真やホテルや食事、観光地の写真等も撮って来ていた。

 持って行ったお小遣いはほぼ全額使ってきたとのこと。お土産の説明はまた明日、ということで先ほど一足先にベッドに入った。こちらはスーツケースを開けて、洗濯機を回した。

 明日は時差呆け解消と疲労回復のため、自宅学習日となっている。これで高校時代のビックイベントがまた一つ終わってしまった。9月以降の文化祭、体育祭、年明けのスキー教室が終われば、早くも高校生活も終盤。部活も引退、最終学年に突入だ。

 今日は6月4日、虫歯予防デー。奇しくも夫は歯の治療に。歯医者が嫌いで(もちろん好きな人はいないと思うけれど)、ずっと先延ばしにしていたが、さすがにどうしようもなくなった模様。

 ネットのニュースで「80歳で自分の歯が20本以上ある人は、2011年で3人に1人になった」とする調査結果を、厚生労働省が発表したという記事を見た。調査は6年に1度で、1987年の8%から毎回増え続け、今回は過去最高の38%となったという。
 そういえば実家の父が、何年か前に市から80歳で20本という “8020”表彰状をもらった写真を見たが、市内でもそういう高齢者が年々増えているので、今ではもはや表彰することでもないそうだと聞いた。
 歳を重ねても自分の歯で美味しい物が食べ続けられるのは、幸せなことだろうなと思う。
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2012.6.3 旅行2日目、プチ・南仏の旅も満喫

2012-06-03 20:59:21 | 
 昨夜はリフレクソロジーで、沢山歩いて痺れが気になった足のケアをしてもらった後、「不老泉」という女性用浴室で温泉を愉しんでぐっすり眠った。無色無臭のお湯だけれど、お風呂上りはつるつるのすべすべだ。お風呂嫌いの夫は、せっかくの男性用浴室「太閤湯」に行かず、部屋でも温泉浴が出来るから、とのこと。温泉にやって来て大きなお風呂に入らないで済ませようとは、何とももったいないことではないか。

 今朝はお部屋で足湯だけでもしようかとお湯を貯め始めたのだが、時間があったので再度「不老泉」でさっと朝湯。その代わりに夫が足湯をしたというが、温泉の宿に宿泊しながら、いくら温泉のお湯が出るとはいっても、洗い場のないホテル仕様のバスタブに1度しか浸からずにチェックアウトするなんて、お風呂大好きの私には信じられないことだ。もっとも、夫は以前も温泉に行って一度もお風呂に入らずに帰ってきた人なので、全くの想定外ということでもないが、こういうことを言うと「余計なお世話!」と一言で片づけられてしまいそうだ。

 朝食は、皇室の御用邸として明治時代に建てられたという落ち着いた佇まいの別館で、和食を。数奇屋風書院造りの純日本建築と庭園がそのままの形で残っており、素敵な空間だ。朝からタイムスリップした気分で優雅に頂くことが出来、お腹ごなしに庭園も散策してとても満足な1日の滑り出しだ。

 チェックアウト後は、前から気になっていた “「星の王子さま」の物語とサン・テグジュペリの世界を巡る小さな旅へようこそ”というミュージアムに出かけた。生誕100年を記念して1999年にオープンした世界初のミュージアムだという。展示では彼の生涯が紹介され、映像ホールでは「星の王子さま」誕生の経緯が大型スクリーンで上映されていた。
 朝は天気予報のとおり今にも降り出しそうな雲行きだったが、到着してからは日差しが明るく、南仏を思わせる建物や街並みが緑豊かな環境の中に再現されており、どこでシャッターを押してもちょっと洒落た絵になる。庭園の花々も綺麗に手入れされており、見学の後はそのまま園内のビストロ風レストランで、物語に因んだ星の形をしたデザートがついたランチコースを楽しんだ。

 すっかり気分良くバスに乗ってホテルまで戻り、荷物をピックアップしてお土産を購入。「良く遊んだね。」と言いながら、バスに乗ってロマンスカーの始発駅まで戻った。帰りの途中、急に強い雨が降り出したが、本当にラッキーなことに、外に出ている時間には雨傘を広げることがなく、恵まれた2日間だった。

 昨日、家を出たのはいつも仕事に出かける時間だった。そして今日、帰宅したのは奇しくも定時で仕事が終わって帰宅する時間になった。夫と役割分担して片付けや家事をこなし、明日からまた新しい1週間が始まる。

 そして、明日には息子が帰国する。夕食は6日ぶりに3人の夕餉になる。賑やかに喋りまくるであろう姿が今から目に浮かぶ。
 体力温存のために今日は早く休むとしよう。


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