散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ハンバーグとこれを取り巻く新鮮野菜/土地の事情

2015-04-06 21:28:53 | 日記

2015年4月6日(月)

 というわけで・・・

 

 ↑ この青野菜(ホウレンソウが実は下に隠れている)が今日の主役、キノコと炒め合わせて・・・

 ↓ 右上のつけ合わせ、左上の良く育ったパセリも田舎から。ハンバーグが今日のお稽古、さすがに豚肉はうちの田舎ではとれない。

 

 

 何て贅沢なんだろうと、つくづく思う。

 新鮮で安全な食材、爆弾が降ってくる気遣いなしに買い物や調理ができる環境、豊かな食文化、それらを楽しむ健康、ともに味わう仲間と家族・・・

 

 これに勝る幸せはないのに、なぜそれ以外のもの、それ以上のものを求めるのか、なぜ他人がそれを享受することを妨げるのか。

 

***

 

 3月31日、渋谷区議会本会議で本邦初の同性パートナー条例成立。

 同様の施策を検討中の自治体として、世田谷区、横浜市、そして宝塚市・・・ん?

 あ、そうか、なるほどね。


友の健康/食の伝統

2015-04-06 11:02:30 | 日記

2015年4月5日(日)

 

 礼拝の後、T君のお見舞いに回る。一昨日が手術とは信じられない、元気な様子に一同愁眉を開く。医学・医療の進歩もあり、T君本来の健康度の高さでもあろう。僕の膝の方が実は厄介かもな。

 さて今夜の夕食は、

 

ブリの照り焼き、ほうれん草のおひたし コンニャク添え、ワカメ・マイタケ・オクラの味噌汁

 

 トレーナーの言うとおりに手を動かしたら、和定食らしきものが立派にできあがった。自分が作ったという感じは全くないが、不思議に食べ物がそこに出現している。この感覚がたぶん大事なんだよな。「謙虚」とか「感謝」とか言えば大げさだが、だいたいそんなようなものだ。

 どの一つをとっても自分の功ではない、そもそもこの一食のためにどれほどの命をいただいていることか。どれほどの経験知と試行錯誤が ~ つまり歴史そのものが、そこに結晶していることか。

 もっと技術的なこともある。野菜はピンと張っているのに、茹でる(=水中で加熱する)だけでなぜ、しんなり、くったり、萎んでしまうのか。わが家の女性達は、コンニャクに塩を施して中の水分を引き出し、入れ替わりに調味料を吸わせて染みこませる。浸透圧差を自在に操っているのだ。まさに錬金術は台所で生まれたに違いない。天文学が占星術から生まれた如くに。

 和の文化への賛歌もある。ジャコ、鰹節、昆布、椎茸等々でとるダシの美しく美味であること!

 厨房と食卓には、文化の粋が集約されている。あだやおろそかにすべからず。ついでに言うなら、それらは食材を作り出す「農」、その供給を支える「商」や「政治」と不可分に結びつき、その絆をたぐれば世界の裏側まで容易にたどり着く。

 

 準備中、田舎から荷物が届いた。

 

 新鮮なたっぷりの青物とミカン、明日またホウレンソウのおさらいをしよう。