散日拾遺

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妾御績紡 侍巾帷房 ~ 千字文 104 / 大和路あるいは高縄山

2015-04-26 08:00:08 | 日記

2015年4月26日(日)

 

 2月16日以来の再・再開、残り20回ほどで止まっていた。

 

 妾御績紡 侍巾帷房 

 

 そうだった、前回この字面を見て、何となくつっかえてしまったのだ。

 いわゆるフェミニズムに別段思い入れはないが、もっと素朴なレベルで、女性が大事にされないことへの自然な反発がある。何を今さらと言われそうだが、そういったものでもない。職場での不平等も問題だろうが、それ以上に家庭でどうなのか。

 「夫に養ってもらっていますから」というフレーズを、何度となく聞かされてきた。

 どこかが何かおかしい。微妙に倒錯的なのである。当然、これに対する反逆も生じ、これまた同程度に倒錯的である。

 「千字文」の時代だから、という単純な話ではない。

 

 妾(おんな)の仕事は績紡すなわち糸を紡ぐこと

 侍巾は「巾櫛(きんしつ)に侍る」で、巾(てぬぐい)や櫛(くし)をとって夫に仕えること

 帷房(いぼう)は帷(とばり)垂れぎぬの下りた部屋だから、婦人の居室である。夫の部屋ではないのか等、いろいろ考えてしまう。

 

 「チャタレー夫人の恋人」を読めば分かるように、英国貴族の家庭の場合、夫婦の寝室は別であるのが原則だった。一方が他方に通ったわけである。招待もあり、謝絶もあったに相違ない。緊張を孕み、相当ドラマチックである。「ダウントン・アビー」でも三女の死にあたってこのことが起きた。

 イギリスの中流家庭がどうだったか知らないから単純な比較ができないが、ダブルベッドを鉄則とするアメリカ方式は、文化革命としてかなり大きな意味をもったのではないかと想像する。

 

 ちなみに「チャタレー夫人」の「夫人」は Mrs. ではなく Madam でもなく、Ladyである。そこにD. H. Lawrence の挑戦もあったもので、「チャタレー令夫人」ぐらいに訳さないと、本当は意味が通じない。

 そこいらの「チャタレーさんちのおかみさん」の浮気話では、なかったのだからね。

 

***

 

 用があって関西の長男に電話し、様子を聞いて目を丸くした。

 学業もだいぶ忙しくなってきた中、珍しく半日で授業の引けた金曜の午後、ふと奈良へ行ってみようと思い立ったそうな。

 結構な話だが、彼が思い立ったのは、兵庫県T市から奈良県奈良市まで自転車で行くということである。それなりの支度と経験と時間があれば何でもない話だけれど、彼のはまさに思いつきで、午後もいい時間になってから買い物用のチャリにまたがり、初めての道を勘とスマホ頼りにふらりと出かけたのだ。

 

 なんとまあ

 

 天候に恵まれ、迷うこともなかったが、生駒の山道にかかってさすがに無理を悟ったらしい。大阪と奈良の境あたりで自転車を駐め、あとは電車でめでたく奈良の空気を吸った。夜になればネットカフェという便利なものがあり、翌朝自転車を拾って土曜の日中には無事帰還したとのこと。

 何が彼をそうさせたか気になるところであるけれど、それこそいちばんの大事、個人的な秘密に属するものである。

 

 それでこれまた、ふと思い出した。

 敗戦後の旧軍属への冷遇で、5年ほども履歴の後戻りを余儀なくされた父が、たぶん大学進学の受験勉強をしていた時期のことである。夜半に思い立って高縄山に登ったことがあったらしい。

 松山と今治を隔てる円形の半島の頂きにあたり、標高986m。遠足のコースにできるぐらいの「おらが山」だが、思いついたが早いか用意もなく勢いのまま、暁暗かまわずやってのけるのが若さの証明である。

 今の長男より、少し若いぐらいの頃か。

 

 若さを受け止めてくれる山があり、道があることの幸せを思う。

 地方選挙の投票日、東京山の手は晴れ、アメリカハナミズキが満開である。