散日拾遺

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松陰とスティブンソン

2019-01-05 09:55:39 | 日記

2019年1月5日(土)

 「おや、どちらへ?」

 「ちょっとギンコウに」

 「え、土曜日だぜ?」

 「そう思うよね、普通」

 さて、若者は同僚や教え子らと共に、何しに出かけたのでしょう?

***

 標題の件、昨年の11月21日(水)に書いたつもりでほったらかしていた。スティブンソンが吉田松陰の小伝を書いていたというのである。『宝島』『ジキルとハイド』で有名な、ついでに『自殺クラブ』を含む『新アラビアンナイト』の著者でもある英作家ロバート・ルイス・スティヴンソン(1850-94)が、幕末志士らの導きの星である本邦の吉田松陰(1830-59)の伝記を書き残した。何がどうなっているの?聞きかじって以来、気になっていた。

 自分が思うほどのことは大概誰かが考えているもので、これについて格好の一冊あり。

 『知られざる「吉田松陰伝」 - 『宝島』のスティーヴンスンがなぜ?』よしだみどり(祥伝社新書 173)

 詳細は上記を御一読ありたい。Amazon のレビューでは先行研究に詳しいらしい読者から辛い評をもらってもいるが、熱意の命ずるままに自分の足で調べて歩いた姿勢を評価したい。連載記事を一冊にまとめたためか、叙述がやや蛇行しがちですっきりしないのが残念だけれど、事実を知るには十分と思われる。以下、自分のための簡単な整理。

 スティブンソンは、おそらく同家でのディナーに招かれた一人の日本人から、吉田松陰という人物について聞き知った。このディナーと、そこでの inspiration を成立させたいくつかの条件がある。

 まず、当時の日本国が「お雇い外国人」にふさわしい人材を求めていたという背景。

 ついで、スティブンソン家が数代続いた優秀な技術者の家系であり、とりわけ燈台建築の優れたノウハウをもったため、「お雇い外国人」の供給源として期待がもたれたこと。

 さらに、そのような情報を頼りにここに現れた日本人が長州の出身者で、松陰を深く敬愛して止まぬものであったという偶然。

 最も面白いこととして、そこに居合わせたロバート・ルイスはスティブンソン家のいわば徒花であった。科学技術者となる気は毛頭なく、父の期待に反して作家なんぞを目ざす若者であったが、だからこそ異国の英雄に心惹かれ、剰えこれを小伝として書き残すことにもなったのである。

 ついでに上記新書の記すところによれば、親の喜ばぬ作家稼業ばかりかスキャンダラスな恋愛にまで身を投じていこうとしていたロバート・ルイスは、全てをかなぐり捨てて理想実現に邁進する松陰の熱情に、大いに励まされる理由があった。

 詳細は上記に譲る。この時代、世界の覇者であった大英帝国の一隅にありながら、未開と信ぜられた極東の一人物の卓越した価値を、聞くや直ちに理解したスティブンソンの非凡が何より眩しい。スコットランド人なればこそ、とも考えてみたいところである。

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