散日拾遺

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361

2019-01-09 08:52:13 | 日記

2019年1月8日(火)

 帰宅すると、ちょうど林先生の「今でしょ」講座でツボの話をやっている。

 ツボの面白さのひとつは「遠隔性」にあり、たとえば首の痛みをとるツボが首にはないことである。「痛い部分を押す、という発想はツボにはありません」とテレビでも云ってる。それそれ、そのこと。

 高校の頃、蒸し暑い日に帰宅して足首に勢いよく冷水をかけた途端、何と不思議な、痺れるような感覚が首筋(それも足と反対側!)に走った。それ以来、夏になるとこれを繰り返して人体の面白さを再確認する。たったいまネットで検索し、外くるぶしの直後にある崑崙というツボが首のコリに効くことを知った。同じ経路(経絡?)に違いない。

 合谷(ごうこく)、風池(ふうち)、曲池(きょくち)などは、いつとはなく自分で発見し、呼び名も知らずに自己刺激していた。番組イチオシの攅竹(さんちく)は、眼神経領域の神経節ブロックに先輩が使っていたっけ。漢方の全体がそうした衆知の集大成なのだろう。腰腿点と三陰交は初めて知ったが、ひどく痛くて効きそうだ。

 あちこち押して遊んだ後で血圧を測ったら、いつになく低い。そういうツボを踏みあてたのか。血圧のツボとしては、十宣、降圧帯、人迎(じんげい)などがネットに出ている。人迎は解剖学上の頸動脈洞(バルサルバ洞)と一致すると思われ、ここをやみくもに押すのは場合によっては危険である。これなどは是非とも書いておくべきことで、全般に漢方関連の記事は危機管理意識が薄い感じがする。

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 さて、ツボはいくつあるか、という番組のクイズ。答えは、WHOの認めたものが計361か所という。「365日に近い数字ですね」などと流しているが、ちょっと待った。361と言えば・・・

 19×19、つまり碁盤の目の数ではないか。

 碁盤が宇宙を表すのは古来周知。四隅は春夏秋冬とも東西南北ともいわれ、時間の移ろいと空間の広がりをこもごも示す。盤側は大地、中央は天元すなわち至高の高みであり、宇宙の中心でもある。361の目数はほぼ一年の日数。黒白の石は陰陽を表し、往古はボードゲーム以前に易の道具として使われたとの説がある。一局の打碁のパターンは計算上、宇宙に存在する全ての原子の数より多いともいう。

 ヘボのくせに碁がやめられないのは、こんな仔細がくっついているのが一因だが、まさかツボまで重なるとは!

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 碁をやめられない理由とともに、ヘボでももう少し勝てていいはずなのが、どうも勝負に弱い理由というものがある。おそらくは相手を見すぎるからで、相手の様子を見ていると「勝ちたい」と思う気が次第に薄れてくるのである。碁は玄妙で奥深いものだが、勝負事としてはまさしく盤上の格闘技、闘争心と勝利への執念に揺るぎのない者ほど強いのは、井山裕太から仲邑菫ちゃんまで例外なき鉄則というものだ。

 この件で面白いのは「さかなクン」、彼は本名を宮澤正之といい、御父君は知る人ぞ知る宮澤吾朗九段である。宮澤吾朗天才説というのが彼を知る棋士の間にあるらしいが、独特の感性とスケールの大きさは僕らヘボアマにも訴える。その宮澤先生、かつて幼い御子息に囲碁の手ほどきを試みたが、早々に断念したという。相手が良い手を打つと悔しがるどころか、感心して自分のことのように喜んでしまうのだそうである。これでは対局というものが成立しない。しかし、それがどうした?異能を生かした活躍ぶりは既に満天下の楽しむところ、蛙の子はやっぱり蛙、ただ跳び方がまるで違うのである。

 勝負に徹する天才があり、勝負を超越した天才がある。どっちつかずの凡人にも、別に楽しむ法がある。

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