2019年1月12日(土)
喪中への友人知人の配慮で、慰められることがこの新年に多々あった。賀状代わりのカード、「心の中では見ることができる」というのが紙ベースで送られてきた言葉なら、こちらはメール添付の画像のお使いである。
売り物ではない、信州のY先生が愛兎を撮影なさったものだ。何と麗しいこと!
クリニックの通院患者さんの中にウサギの飼い主が二人ある。語る様子からこまやかで温かな交流が伝わってくること、いずれも一通りでない。飼い主の感情のありように反応する敏感さが、他の動物種より一段と秀でている感じがする。捕食獣である犬猫と、狩られる立場の草食動物の違いかとも思う。火中に身を投じて釈尊を養ったウサギの逸話も、それが大前提にあるものだ。左はジャータカ、今昔物語では帝釈天が兎・猿・狐の「マコトノココロ」を試みる話になっている。この件、項を改める。
⇒ https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190114091926.pdf?id=ART0001120318
当方周知の文脈ではEaster Bunny などといって、ウサギはクリスマスよりイースターと結びつけられることが多い。ただし西方教会限定のローカルなもので、もちろん聖書的根拠は何もない。卵(Easter egg)だって聖書的根拠などないが、「復活」のシンボルとしては分かりやすいものである。なぜウサギが起用されたかには、ドイツあたりの習俗が関わっているようだ。
⇒ https://ja.wikipedia.org/wiki/イースター・バニー
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もうひとつのプレゼント、こちらは関西在住の院生TKさんから。
「今年はだるま寺に初詣に行きました。北野天満宮前の大渋滞を横目に通り過ぎ、だるま寺の山門をくぐると穏やかで静かな時間が流れていました。境内の可愛いお地蔵さんの写真をお送りします。」
日本の伝統的な信心 - 仏教も外来ではあるけれども、少なくとも首から下に深く浸透したものの中で、地蔵信仰ぐらい慕わしいものはない。素朴な真情とこの世で成人できなかったものへの憐れみを身にまとい、路傍にひっそり佇み祈っている。いつもいつでもそこにあり、時に臨んで静かに力強く動き出す。笠地蔵、怒り地蔵、棘ぬき地蔵、
ソウイウモノニ ワタシハ ナリタイ
Ω
【附記】
「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」の結願、六地蔵の数は六道行脚を表す。地蔵とはそもそも「大地の胎」の意訳であるそうな。