散日拾遺

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アップ&アンダー

2019-01-29 09:55:59 | 日記

2019年1月28日(月)

 土曜日に大坂なおみが全豪オープンで優勝し、世界ランキング1位を決めた。にわかファンも大いに熱狂する。「なおみ」は誰がつけたのだろう。旧約聖書にナオミという女性名があり、日本的でありながら世界に通用する、自然で良い名前である。ヘブル語のナオミ(נעמי)は「幸せ」「和み」を意味するらしい。1971年にヘドバとダビデがブレイクさせた『ナオミの夢』のタイトルも、この仕掛けが背景にあったのだな。ヘドバ・アムラニ - 祖父母がイエメンからの移民で自身はイスラエル生まれ - は医者と結婚してアメリカで健在だが、ダビデ・タル ー ロシア人の父とポーランド人の母の間にフランスで生まれた - は1999年に麻薬中毒で亡くなったと、目まぐるしいようなプロフィルはすべてWiki情報である。

 日曜日には玉鷲が34歳の初優勝。今場所は内容が立派で腰の降り方が正統的に美しい。特に初顔以来14連敗中の白鵬に勝った一番が良かった。立ち合いはまともな当たりだったが、その後この大横綱が相手の顔をピシャピシャ張りまわす - どうしても止められないらしい - のにひるまず、いなしから押し出した。手芸やお菓子作りが趣味なのは聞いていたが、初土俵から15年間、一度も休みがないとは知らなかった。片男波部屋から優勝力士が出るのは第51代横綱玉ノ海以来48年ぶりだそうで、その玉ノ海も横綱在位中に亡くなるまで一度も休まなかったという。玉ノ海の急逝のこと、その報に接してライバルの北の富士が涙したことなど、鮮やかに思い出される。

 休場がないのはよく稽古して体をしっかり鍛えている証拠で、四股やすり足を人一倍励行していることは聞かなくても分かるが、18歳の時に両国の路上で鶴竜に偶然出会って角界入りが実現するまで、相撲をとったことがなかったというには驚いた。それからでは股割りなどさぞ苦労があったろうに、よくぞここまで鍛えあげた。来場所はこの玉鷲と大関挑戦の貴景勝が東西の関脇、小結が御嶽海と北勝富士で、横綱大関はまた大変なことだろう。

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 大坂なおみに杉山愛さんが助言というのだろうか、高低を使った三次元のテニスで盤石の女王を目ざせといった趣旨のことを言ったそうである。テニスはまるで素人だが、サーブやロブ、スマッシュなどの高さと、ネットすれすれの低い弾道のコンビネーションだろうか。別の文脈でアップ&アンダーについて考えていたところだったので、面白く感じた。

 別のこと、ひとつはラグビーである。今年の大学ラグビーは明治が復活、22年ぶりの優勝を遂げた。縦の突進の明治と横に展開する早稲田の角逐は大学ラグビーの原風景みたいなもので、リーグ戦で早稲田が勝ち大学選手権で明治がリベンジした経緯など、22年を飛び越えて往時が戻ってきたようである。

 ここにもう一つ絡んでほしいのが慶応のタイガージャージーで、そのお家芸が果敢なタックルとアップ&アンダーなのである。ハイパントやゴロパントを駆使し、タテヨコではない高低の揺さぶりでゲームを動かしていく。二次元のラグビーが三次元に拡がり、また別の楽しみが現れる。慶応は早明ほどコンスタントに強くはないが、何年かに一度きまって大ブレイクするのだった。

 そう、アップ&アンダー、それでもう一つつながってくるのが、山下敬吾九段の碁である。これは言葉で説明するのが難しい。何しろ碁は二次元のボードゲームで、そこにどうして「高低」があるか、「何で?」とチコちゃん風に直撃されると言葉に窮する。ただ、ある程度碁を打つ者であれば確かに分かることだ。こうなると例の「囲碁宇宙論」を引っ張り出すしかないかな。盤側が地面で中央が宙天、われわらヘボアマは碁盤上の地面をのたくる知恵しかないが、地上の戦いに高低の次元 - 盤の中央を高みとする立体的な構想を持ち込める打ち手というのがある。

 この方面で押しも押されぬ代表格が宇宙流の武宮正樹大先生であるが、山下九段はまたひと味違った戦闘的発想に立って、上から下へ圧迫する打ちかたをする。中央指向というのだけれど、棋譜を追っていると上からしっかりダメを詰めておいて、やおら低いところへ抉るようなツケやらオキやらが飛んでくる、ダイナミックなコンビネーションがカッコいいのだ。何期か前の名人戦リーグで河野臨九段相手に見事に決まったことがあったっけ。中央近くでグイと曲がった力強い一手が、何と一団の大石の下腹部あたりに鬼手を生んだのである。まさしくアップ&アンダーで、その片鱗が進行中の第43期棋聖戦第1・2局にも出ている・・・ような気がする。こんなふうに打てたらな。

 相撲には高低や空中戦はないかと言えば、そうでもない。相手を高々と吊り上げる「つり出し」はかつて有力な決め業で、目の覚めるような相撲の醍醐味だった。輪島と貴ノ花などは土俵中央での吊りあいで、何度も旧国技館を沸かせたものだ。力士の大型化でこれがめったに見られなくなったのは残念というほかないが、いつか復活の日もあろう。

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 考えたくないが、やはり欠かせぬ註というものがある。スポーツやボードゲームではない、ホンモノの戦争においてこそアップ&アンダーは恐るべき破壊力を発揮した。航空機による爆撃(アップ)と、陸では戦車、海では潜水艦(アンダー)の組み合わせである。第一次世界大戦中の両軍とりわけドイツ軍がパンドラの蓋を開け、第二次世界大戦当初の日本海軍もこの力を大いに活用した。今は制空権から制宙権へと射程が飛躍し、米中露などが主導権争いにしのぎを削っている。最悪最凶のアップ&アンダーである。

 これらすべてを盤上のこととし、盤と垂直方向に第4の軸を立てる想像力がほしい。ヒントを与えてくれるとしたら、数学と神学そしてSF、そこにテニスとラグビーと相撲と囲碁を加えるか。

 4次元アップ&アンダー、絵にかけるかな、かいたらどうなる?

Ω