散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

3月7日 チトー、ユーゴスラビアの首相となる(1945年)

2024-03-07 03:21:37 | 日記
2024年3月7日(木)

> 1945年3月7日、ユーゴスラビアの人民政府が成立し、民族解放の指導者チトーが首相に就任した。さらに同年11月には選挙が行われ、チトーは圧倒的な支持を獲得。ここにユーゴスラビア連邦人民共和国の建国が宣言されたのである。
 チトーは1892年にザグレブに近い農村に生まれた。第一次大戦中、負傷してロシアの捕虜となり、ロシア革命で赤軍に参加。帰国後、共産党に入党し、1937年にユーゴ共産党書記長となった。1941年にドイツを中心とする枢軸軍に国土を占領されると、パルチザンを組織して抵抗運動を続ける。再三ナチスに命を狙われ、すんでのところで危機を脱した。
 首相となった8年後の1953年には、改正憲法に基づき大統領に就任。スターリンからの圧力に屈せず、労働者の自主管理を軸とする独自の社会主義路線と非同盟主義を貫いた。
 と、ここまではいいのだが、1980年にチトーが死去すると、ユーゴの各民族は徐々に当然の分裂状態に逆戻りし、民族独立に向けて内戦を繰り返すようになってしまう。国家的英雄チトーの力をもってしても、真の団結を実現することが困難であることが露呈してしまったのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.72


ヨシップ・ブロズ・チトー / ヨシプ・ブローズ・ティトー
セルビア・クロアチア語: Josip Broz Tito / Јосип Броз Тито 
(1892年5月7日 - 1980年5月4日)

 ユーゴスラビアのチトー、よく知りもしないままに憧れた人物だった。
 自主管理社会主義と非同盟主義、この二つだけで憧れるに十分である。東西まっぷたつに割れた地球上に第三の道の可能性を示してくれているように思えたのだ。
 先にはサラエボ事件で第一次大戦の引き金となり、後には悪夢のような血みどろの民族紛争を起こした難しい地域に、とにもかくにも30年の平和をもたらした功績は、単に個人的カリスマと僥倖の産物だったのか、それとも?
 『ネレトバの戦い』という映画があり、観たいと熱望しながらなかなか見ることができなかった。あきらめかけた頃にテレビで流れたのが確か1973年のこと、今はDVDで簡単に手に入るようである。