2024年3月10日(日)
> 1876年3月10日、アレクサンダー・グラハム・ベルは、人の声をそのまま伝える高周波による送信実験に成功した。いわゆる電話の発明である。初めて電線を通って伝えられた言葉は、"Mr. Watson, come here. I want you." だった。
ベルの父親は聴覚障害児に発声を教える専門家だった。ベルも父と同じく音と会話法のエキスパートとして、1872年にはボストン大学の音声政治学の教授となった。
一方、当時最先端だった「電気学」やホルムヘルツの音響理論にも興味をいだき、音の変化を電流に変えて電線を通し、再びそれを音の変化に戻す、即時通話できる機械の開発に力を注いだのである。
この発明には有名なエピソードがある。べルの特許申請は1876年2月14日だったが、全く同じ日の2時間後にシカゴの発明家イライシャ・グレイが同じく電話の原理の特許を申請したのである。ベルの申請内容が「すでに発明した」となっていたのに対し、グレイの申請書は「研究中」という記載だったことと、時間的にわずかながら先んじたことで、特許はベルのものとなった。グレイはこの後、ファクシミリの原理を発明している。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.75
Alexander Graham Bell
(1847年3月3日 - 1922年8月2日)
独立宣言と『国富論』からちょうど百年。
「有名なエピソード」とあるが、それをいうならもう一つ付け加えなければならない。かのエジソンが、同じ1876年の1月に電話の特許を申請し、あろうことか書類の不備が原因で取得に失敗しているのである。ベルとグレイの申請競争はその1ヵ月後であった。
歴史的な発明である。書類の不備があったのなら、不備を指摘して再提出を求めるのが常道と思われるが、いったいどんな不備であったものか。発達障害を指摘されるエジソンに似つかわしい逸話ではある。
さらにもう一つ、実は1876年のこの騒ぎより5年も早く、イタリア人アントニオ・メウッチが電話を発明していたのである。彼は自分の事務所と寝室にいる重病の妻との会話を目的に電話を発明したのであるが、経営していた会社が倒産し資金難に陥ったことから、電話機の特許申請料を払えないという悲運に見舞われた。メウッチ、エジソン、さらにグレイと3人が転んで発明者の栄誉はベルの手に落ちたのである。
時代は下り、2002年になってアメリカ合衆国議会が「イタリアのメウッチが最初に電話を発明した」と認める決議を行い、栄誉はあらためてメウッチのもとに戻った。
雑学総研『人類なら知っておきたい 地球の雑学』(KADOKAWA)
Antonio 'Santi Giuseppe' Meucci
(1808年4月13日 - 1889年10月18日)
無線電信を発明したマルコーニ(1874-1937)もイタリア人でり、通信関係にイタリア人の貢献が目立っている。一方、ベルはアダム・スミスと同じスコットランドの出身で、後にカナダとアメリカで活躍した。ヘレン・ケラーの項でベルがケラーにサリバン先生を紹介したことに触れた。ベルの母と妻は聾であったという。人の出会いがこうして交錯し収斂する。後年ケラーはベルについて、「隔離され隔絶された非人間的な静けさ」に風穴を開けてくれた人と評したという。
1898年には訪日・講演した知日派で、金子堅太郎が日露戦争の戦費調達のため渡米した際には、消極的な米国要人に日本の実情を説明し、外債募集に協力してくれている。
ヘレン・ケラーやグラハム・ベルのような人物が優生学的な思想に賛同していたことには考えさせられる。時代の制約や影響は、それほどに超えがたいものらしい。
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