散日拾遺

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3月19日 辰野金吾設計の東京駅が落成(1914年)

2024-03-19 03:37:07 | 日記
2024年3月19日(火)

> 1914年(大正3年)3月19日、当時の日本を代表する建築家、辰野金吾が設計した東京駅の駅舎が落成した。建設当初は「中央停車場」と呼ばれていたが、同年12月18日の開業時に「東京駅」という名に改められた。こうして上野と新橋の間に一駅が設けられたのである。
 辰野金吾は、江戸末期に唐津(佐賀県)に生まれ、藩の英語学校で高橋是清に英語を習った後、東京して工部省工学寮で建築を学んだ。首席で卒業したため、官費留学生としてロンドンに留学。三年後に帰国して、すぐに工部大学校教授に就任している。
 彼は、日本銀行、中央停車場、国会議事堂の三つを手がけたいという願いを持っていた。このうち日本銀行は1896年(明治29年)に竣工。国会議事堂については、コンペの第一次審査まで関わったが、思い半ばにして、大正8年に64歳で亡くなっている。
 東京駅はレンガ造りの建物としては日本最大で、使われたレンガは、 内部と外部の化粧用を合わせて、 実に一千万個近かった。建設地は当時三菱が原と呼ばれた広大な荒地で、地盤を固めるために一万五千本の松の木を埋める作業から始められた 。
 竣工まで六年をかけた難工事だったが、レンガは工場や倉庫用の建材というイメージが強かったため、完成当時はいまひとつ人気がなかったという。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.84

辰野 金吾
1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年〈大正8年〉3月25日


 設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれたのだとか。事実、東京駅舎は関東大震災にもびくともしなかった。その堅塁を大破させたのは憎むべし、東京空襲である。
 いつもはWikipediaにお世話になっているが、今回は下記のサイトを紹介して補足に代える。

「近代建築の父・辰野金吾。東京駅や日本銀行本店など全国に遺る7つの名建築をめぐる」On Trip JAL 〜 JALが提案する観光ガイドから


写真:https://tabichannel.com/article/1123/tokyoeki_ichibangai

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