散日拾遺

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3月12日 中谷宇吉郎が世界初の人工雪を作る(1936年)

2024-03-12 03:34:35 | 日記
2024年3月12日(火)

> 1936年(昭和11年)3月12日、北海道大学理学部教授中谷宇吉郎は、世界で初めて人工雪を作る実験に成功した。1932年にこの研究に着手してからおよそ四年、苦心の末、美しい雪の結晶を人工的に作り出したのである。
 それまでにも、人工的な環境の中で氷の結晶を作る実験はすでに行われていたし、中谷自身も、ガラスの表面に霜を作る実験にはすでに成功していた。しかし、空中で発達する雪の結晶を作るには、さまざまな条件がそろわなければならない。
 ちょうど北大に作られた零下30度の低温研究室で、毛皮の防寒着を着込んでの実験が繰り返された。「北満の厳寒の野に立つ歩哨と同じような」服装でも、30分もすると急速に体が冷えてきた、と本人の記録にある。
 自然の雪の場合は空気中の塵などが核になって成長するのだが、実験下ではその「核」を何にするかも試行錯誤の連続であった。兎の腹毛を核にして、ようやく美しい結晶が出来上がった。その後、今度は、条件によって変化するさまざまな結晶を観察し、地上に降る雪によって、逆に上空の大気の状態がわかることを突き止めた。
 「雪は天から送られた手紙である」という中谷の言葉は、極寒の中で実験を繰り返した研究者なればこその、美しい一言である。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.77



中谷 宇吉郎
1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日


 尋常高等小学校卒業後、間もなく父を失ったが、家業の呉服・雑貨商を一人で担った母親の励ましで、高等教育に進むことになった。旧制四高(金沢)では初め生物学に惹かれていたが、田辺元の著作に触れて理論物理学を志し、さらに帝大進学後、寺田寅彦(1878-1935)に出会って実験物理学に転じたという。随筆をよくしたのも師の薫陶だろうか。人工雪の実験に成功したのは、師の他界の翌年である。万感の思いで空を仰いだことだろう。その空のどこかに、彼の功績を称えてUkichiroと名付けられた小惑星10152が軌道を辿っている。
 ウサギの腹毛になぜ着目したか、何でも実験室に誰かが脱いでいたウサギの毛皮のコートの毛先に、雪の結晶があるのに気づいたのがきっかけだという。幸運には違いないが、準備のあるものを訪れるのが幸運の作法である。

 Wikipedia に掲載されている御家族の足跡に目を見張る。
 御長男は惜しくも夭折された。
 長女、咲子オルセン氏:慶応大学を経て地質学者となり、ジョンズ・ホプキンズ大学教授を歴任。
 次女、中谷芙仁子氏:「霧の芸術家」と呼ばれる彫刻家。宇吉郎の隠田(現・原宿)の自邸の一部を由布院に移築し、旅館「亀の井別荘」の「雪安居」とする。一般財団法人中谷宇吉郎記念財団代表理事。
 三女、中谷三代子氏:ピアニスト、音楽教師で米国在住。
 御長女の「地質学」にも父君の香りを感じるが、とりわけ Fujiko Nakaya の作風には宇吉郎の自然理解が影響を与えているという。

 「…宇吉郎は、自然を認識する際に重要なのは不完全性や不均一性であり、分類や図式的理解ではないと考えていた。当初、中谷(芙ニ子)は絵画に用いた物質が変質していく点に注目し、腐敗や物質崩壊のプロセスを作品に取り込む試みをした。コンポジションに対する呼称として、中谷は自らの作品をデコンポジションと名付けた。デコンポージング・シリーズの第1作は『Autumn』(1957年)であり、1950年代から1960年代にかけて制作された。やがて中谷は、常に変化する雲や霧に関心を向けるようになった。霧は環境に敏感な媒体であり、人々が自然に対して敏感になることを中谷は望んでいる…」

 この父にしてこの子らあり、見事の一語。

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