2024年4月5日(金)
> 1951年4月5日、「原子力に関する機密をソ連に漏洩した」という容疑で、米国の科学者ジュリアス・ローゼンバーグとその妻エセル・ローゼンバーグは死刑の判決を受けた。二年後の1953年6月19日、無実を叫び続けた2人はニューヨーク州のシンシン刑務所で、電気椅子で処刑された。
この事件の背景は複雑だ。 1949年にソ連は初の原爆実験を行ったが、アメリカにとって原爆は最も占有していたい技術だった。ソ連が原爆を開発できた裏には、情報の漏洩があったに違いないという言われなき理由づけが、この逮捕の背景にあったようである。アメリカは当時マッカーシーによる「赤狩り」が盛んに行われていた。
ローゼンバーグ夫妻は逮捕後一貫して無実を主張している。彼らが漏洩したとされる図面や情報の内容について、アインシュタインらが原爆の開発にとって無意味なものだと証明した。ローマ教皇、フランス大統領、ラッセル、サルトルら著名人が、助命嘆願書をアイゼンハワー大統領に送った。それでも判決は覆らず、死刑は執行されたのである。弁護士に宛てた最後の手紙には「私たちはアメリカ・ファシズムの最初の犠牲者です」と書かれていた。この事件の真実はいまだ明らかになっていない。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.101
どうもよくわからない。
Wikipedia などは、いわゆる「ヴェノナ文書」によってローゼンバーグ夫妻が実際にスパイ活動を行っていたことが証明されたとして、同情を容れない書き方をしている。
仮にそうであったとして、「漏洩したとされる図面や情報の内容は、原爆の開発にとって無意味なもの」というアインシュタインらの証言はどうなるのか。事実スパイ活動を行っていたのであれば、死なせるよりも生かして語らせたい情報が多々あったのではないか。自白すれば死刑は免ずるとの司法取引に、夫妻ともに応じようとしなかったのをどう考えたものか。
いずれにせよ嫌な時代で、ソ連が活発かつ広範囲に悪辣なスパイ活動を行っていたことは間違いないし、アメリカはアメリカで相手の動きを逆手にとる負けずに悪辣な仕掛けに余念なく、占領時代の日本はその双方にほしいままに踏みにじられていた。下山事件は凄惨な実例である。
彼らの死刑判決の翌1951年に、国外追放されたチャップリンの言葉が思い出される。必ずしも過去のこととばかりは感じられない。
「あの哀れな国に再入国できなくなることなど、問題ではなかった。あんな憎しみに充ちた雰囲気からは、一刻も早く解放されるのが幸せというものである。アメリカから受けた侮辱と、もったいぶったその道徳面には飽き飽きだし、もうこの問題はこりごりだ。」
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