散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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切り抜き2題 ~ 安保法制を支える民意

2015-04-13 21:26:18 | 日記

2015年4月13日(月)

 思いきって今日は完全休養。

 切り抜いたまま放ってあった新聞記事に、目が行ったりする。

 

***

 

 冷戦時代の、とある東欧の小国の笑い話。国家指導者御一行が野外で視察中、雨でもないのに書記長が傘をさして歩いている。

第一書記 「同志よ、雨は降っていませんが?」

書記長   「同志よ、モスクワでは降っている。」

 

  これを初めて聞いたときには、屈託なく笑うことができたはずだ。この種の現象が、基本的に「あちら側」のことだと思っていたからである。実は「こちら側」 でも似たような構造はあったのだが、「あちら側」に比べればずっと程度も軽く、相対的なものに過ぎない・・・と思っていたし、まずまず思うことができた。

 しかし、壁とともに「あちら側」が崩壊し、宿題は「こちら側」に託された。そして、相対的なのはこちら側の支配・被支配の実情ではなく、「あちら側」と「こちら側」の違いの程度であったことに思い当たる。

 下記の記事を拡大して読むと、ワシントンDCで降る雨のために東京で傘をさす我らが指導者の姿を、まざまざと見ることができる。

  (2015年3月30日(月)1面)

 

***

 

 ただし、指導者たちを非難するのは今では非常に困難だし、そもそも見当外れなのだ。何度選挙をやっても、彼らに対する「支持」が確認されるばかりなんだからね。

 それでもうひとつの記事。どこにでもある番組紹介のようだが、最後まで読めばオチが辛辣である。書き移しておく。

 「(昭和の青春と平成の青春と、青春のありように少しも違いはないが、しかし昭和初期を描いた)ドラマと現在の違いを筆者なりに考えれば・・・」

 この後ですね、

 「いま私たちをのみ込みつつあるのは、(昭和初年と違って)軍隊ではない。戦争のできる国を目指し、多くの人の人生を破壊した原発の再稼働を計画する政権を、なお支持する「民意」だろう。」(ライター・山家誠一)

 

 (2015年3月31日(火)朝刊30面)

 

 レントに読んだ聖句が呼応して、そら恐ろしいようだ。

 「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタイ 27:25)


出典 / 2年前の再現

2015-04-13 09:43:11 | 日記

2015年4月13日(月)

  出典を言い忘れたことを話の終わり頃に気づいたが、敢えて補足せずにおいたのが自分流だなと思う。質疑応答の時間がある、そこで誰か訊いてこないかなと、内心期待しているわけである。

 残念ながら質問なし。そもそも今年は質問そのものが一件も出なかった。いささか失望。

 午前の部の散会が告げられた後で、男子学生(放送大学の場合、「男子」という言葉は必ずしも「青年男子」を意味しない)がやってきて、おずおずとそのことを訊ねる。

 「そういうことは質疑応答の時間に訊いてくださればよかったんですよ、皆にお答えできたんですから」と、小言がましかったかな。でも、この点は日本人が見落とすことの多いミーティングのマナーである。質疑応答の時間は質問者(だけ)のためにあるのではなく、公共の利益に開かれている。記者会見や議会の代表質問も同じで、こういう場面で公益に配慮できる者を「おとな」と呼ぶのだ。

 答えは『徒然草』(第123段)。

 以前にも当ブログで取り上げたとおり、貧困と奢侈の中道にある真の豊かさについての、不易の金言と思われる。

***

 午後の部は昨日のゼミを経て待機していたM2に、新入生3名、それにOB2名が合流して計10名の充実した時間になった。新入生の所属SCが青森、千葉、山梨あらため福岡で、いずれもM2・OBの中に同じ地域の者があり、きれいにペアができあがった。M2同士の中に北海道のペアがあり、それからもうひとつ。

 OBのひとりが、2年前のブログで「休学中」と紹介した、わが同郷のY君である。

(2013年4月19日、『放送大学の新学期』)

 ということは、彼と僕がペアかぁ、う~ん・・・

 彼はその後みごとな集中力を発揮し、今春めでたく修了した。

 「審査の席で石丸先生に、『論文としてはともかく、企画書としてはよく書けている』とお言葉を頂戴しました」と言って回っている。そうだったっけか?

 彼のプロフィル、上記のブログからコピペ再記しておこう。「オジサン5人がY君を囲んで痛飲」というオチは、奇しくも今年まったく同じく再現された。場所も同じ、海浜幕張あたりの英国風パブ、これからどうなるんだろう?

***

 今年卒業したSさん、休学中のY君が応援にやってきて、それぞれ自分の研究をパワポで紹介する。
 新入生3人の平均年齢が53歳、僕もSさんもそれより上で、Y君だけが30代の若さだ。しかしある種の人生経験はY君がいちばん豊かであるかもしれない。
 お父さんは「個人事業主」だったが、顧客には小指の先がない人が多かったという。
 彼の学童期に仕事が失敗し、Y君は新聞配達などしながら上へ進んだ。今時でも苦学生というものはいるのだ。その後、地上げ屋、借金取り、スポーツインストラクターなどを転々とし、資格の類いは20を超えて所有する中に、アメリカで取ったMBAも含まれている。
 暗さもきわまる性格だったのが29歳で人が変ったという。
 何が閃いたのかロボットスーツに惚れ込み、その営業に喜びを見出して今は国の内外を駆け回る毎日。
 「この間は、ドイツ人を笑わせてきました」
 「ドイツ語で?」
 「いえ、英語で、というか日本語で」
 そうは見えないが、要素知能は相当に高いのである。
 「うんと社会貢献したら、愛人3人ぐらいは許されますかね?」
 どこからそういう発想が出るかな~・・・

 ユニークな個性を見ると、出身地が気になるのは僕のクセのようなもので。
 こいつ、どこの人間だろう、どういう土地からこういうフシギな人格が湧いて出るものだろうと、考えても見当がつかず、ここは直接訊いてみることにして、答にのけぞった。
 「愛媛です」
 「えひめ?」
 「先祖代々、松山です」
 「まつやま?」
 「先生、あの辺わかりますか?詳しく言えば、オヤジは菊間で、オフクロが松山なんですけど」
 「きくま?」
 菊間と松山、そのちょうど真ん中がわが父祖の地ではないか。
 気が遠くなった。
 こいつと俺と、同郷かぁ、う~~~ん・・・

 オジサン5人がY君を囲んで痛飲、帰り道は形而上学もデカルトもどこかへ消えてしまっていた。

Ω

生活健康科学プログラム 主任挨拶

2015-04-12 22:50:43 | 日記

2015年4月12日(日)

 

(・・・山沢先生などと違って、この通りに読んだわけではない。今日話したことを思い出しながら、適当に潤色して書いてみる。)

 

 皆さん、ご入学おめでとうございます。

 最近は全入化時代の風潮を反映して、「当大学を選んでくださってありがとうございます」といった卑屈な挨拶も聞かれるようですけれども、私は昔通り誇らかに御挨拶したいと思います。放送大学の大学院へようこそ、皆さんは良い選択をなさいました。

 年齢を問わず背景を問わず本当に勉強したい人々が、忙しい生活の中で時間をやりくりし、身銭を切って全国から集まってくる、これこそ本来の大学というものです。放送大学は日本一、大学らしい大学です。その一員であることを、皆さんは喜びとも誇りともしていただきたいと思います。

 

 さて、放送大学の数あるプログラムの中で、皆さんは生活健康科学を選択されました。しかし皆さんがこの点にどの程度重きを置いているかは、少々疑問です。先ほど建物の下で行き先を確認しているらしい方に「生活健康科学ですか?」と尋ねましたら、何を訊かれているか分からない様子で、まごついておられました。次の方も同じような具合で、「生活健康科学」はよほど耳慣れない言葉であったように思われます。それぞれの関心事と指導教員、そして「放送大学」という大看板が皆さんの頭の中で直列をなしており、「生活健康科学」という中間項は影が薄いのかも知れません。

 確かに 「生活健康科学」とは、少々落ち着きの悪い言葉です。内容を見ても、生活・福祉・保健体育・医療・看護などと多彩な領域構成で、雑多な寄せ集めのような印象を与えるかもしれません。けれども実際は寄せ集めなどではない、そこには一貫する軸、骨太な軸が存在しています。この軸について、どう説明したら皆さんに伝わるだろうかと考えていたところ、ひとつの古典に思い当たりました。読んでみましょう。

 

 思うべし、人の身に止むことを得ずして営むところ、

 第一に食うもの、第二に着るもの、第三に居るところなり。

 人間の大事、この三つには過ぎず。飢えず、寒からず、風雨に侵されずして、閑かに過ごすを楽しみとす。ただし人皆、病あり。病に冒されぬれば、その愁い忍び難し。医療を忘るべからず。

 衣食住に薬を加えて四つのこと、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりす。この四つの外を求め営むを奢りとす。四つのこと倹約ならば、誰か足らずとせん。

 

 衣食住プラス医療、これが過不足なく満たされていることが人の豊かさであるということ、それは、ずっと古い時代から知られてきた知恵の認識でした。生活健康科学のプログラム構成は、これにぴたりと一致することが分かるでしょう。

 衣・食・住のこと、その今日的な進化形である家族論やリスクマネジメント、医療・看護と健康増進、それら必須のものごとに対する人々の平等なアクセスを実現するための福祉、これらが生活健康科学の関心事です。人が貧困を免れ、奢侈に陥ることを避けつつ、本当の意味で豊かに生きる条件を追求していくことを、当プログラムは主題としています。

 皆さんのテーマは個人的背景に支えられた個別のものであるとしても、それらはいっぽうでプログラム全体の大きな主題に接続されており、滔々たる歴史の中で人が追い続けてきた大きな幻に連なっていること、この日にあたってそれを知っていただきたいと思います。

 

 このような大きな流れに共に参与する皆さんは、ひとつのコミュニティの一員であります。教員や同志と協力して運営するゼミの場で、毎回そのことを確認なさるでしょう。皆さんは孤独ではなく、しっかり支えられ、支えあって進んでいきます。その際、皆さんの研究を支えるため、常に多くの裏方さんたちが尽力していることを忘れないでください。今日のこの場も、教務課職員たちの多大の労苦を経て設営されたものですが、この人々の名前すら皆さんは知らないのです。

 この人々に代表されるような、目に見えないところで支えてくださる方々への感謝を忘れず精進するならば、皆さんの努力は必ずそれにふさわしい実を結ぶことでしょう。

 

 本日は、おめでとうございます。

 


雨の京葉線、車上の天啓

2015-04-11 09:53:03 | 日記

2015年4月11日(土)

 

 思ったほど冷たくはない雨の中を幕張へ。「学びのコミュニティ」修士編、北海道から2人、青森に山梨、遠くの人ほど早く来るのは普遍的な法則で、引っ張られて僕も常よりは早く出かけている。

 「検索より探索」、液晶モニターの映し出すコメントが気が利いている。検索情報の氾濫に少々飽きていないか、「勘を信じて出かけよう」と。

 そう、ケータイとかスマホとかいうものが昔からあったら、奇跡のような出会いも信じがたい椿事も起きはしなかった。新潟駅前でのO君との劇的な treffen も。防災でこそ「想定外」は最大の敵だが、日常生活では楽しみの秘訣だ。すべてが想定内になった時、人生は生きる意味を失う。「時よ止まれ」とつぶやく瞬間、悪魔が魂をさらっていく。

 

 今週はひどく長く思われる。「時の流れが遅い」ようだ。山沢学長が引用された周知の理論を援用すると、時の流れが遅いのは

1. 学びつづけているから

2. 新しい場所をたずねたから

3. 新しい人に会ったから

4. 新しいことを始めたから

5. 感動が多かったから

 ということになるが・・・何だそうか、

 これだ。

 4月9日(木) もちろん生姜焼き、もちろん豚肉

 

 毎日のように「生まれて初めて」の調理体験をしていたもんな、一週間が長いわけだ。知的体験もこれに倣っていきたいものだが、さしあたり上の5項目は、石倉昇九段直伝の「囲碁上達5K+1」と対比すると面白い。

 5Kとは「形、考え方、繰り返し、好奇心、感動」、そして+1は「感謝」。

 まるで人生訓そのものである。

 

 う~ん、何となく気が重いのは天気のせいばかりではなくて、明日の入学オリエンテーションで「主任」として挨拶しないといけないからだ。ついでに、プログラム紹介のテレビ収録がくっついている。

 何だろう、人前で話すのは少しも苦にならないし、むしろ楽しいのに、いつになく不機嫌で落ち着かないのは・・・やっぱり、ある集団を代表するという役割意識のためなんだろうな。迷惑かけたらいけないという懸念の強さは、これでもやっぱり日本人なのか。

 何がいいかな、何を話そうか。

 

 ん?

 『徒然草』?

 そうか、それで行こう。それと「学びのコミュニティ」、うん、できた、それでいいや。

 ああ、できたできた。

 

 とたんに海の方から薄日が差してくる。いかさま師のユング先生なら、外在化というところか。

 

(http://www.ashiyahama.com/topics/2009_1_1.html より拝借、平成21年・芦屋市総合公園の初日の出だそうだ。)