プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

スンバワ島、バス移動

2007-03-16 17:57:36 | 東南アジアカヤックトリップ

P1010290  

(3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)

 ロンボク島マタラムの停留所を出た長距離夜行バスは、またすぐに止まりました。で、前回の日記の最後に書いたような展開になったあと、ギターを持った盲目の男が入ってきてひとしきり詩のようなものを詠み、ギターを弾いて歌い出しました。バリからロンボク島へのフェリーの件と同じで、こういうやり方で小銭を稼いでいる人もインドネシアのあちこちで見受けられます。別に上手くはなかったですが、ギターのコード進行がちょうど大昔のアメリカの盲目のブルースマン、ブラインド・ウィリー・マックテイルがよく使っていたものにフィーリングが似ていて面白かったので、ポケットに入っている小銭をあげました。すると、隣の席に座っているジイサンが、自分の胸の辺りを指差して「コソン、コソン」とぼくの顔を見ていいました。このジイサンはぼくがバスに乗り込んだ時から、こっちはインドネシア語がぜんぜん分からないというのにひたすらインドネシア語でバーっと話しかけてきたジイサンで、いつのまにか仲良くなっていました。で、「コソン・コソン」てなんやねん、とインドネシア語の辞書で調べてみると、「空っぽの」という意味でした。要するに、その盲目のギタリストの詠んだ詩や歌は、ぜんぜんハートがこもってないものだということでした。なぜかそのことがとても印象に残りました。この長距離夜行バスには30人くらい乗客がいましたが、外国人ツーリストは一人もいず全員現地の庶民でした。またこのバスの出発地はなんとジャワ島のスラバヤかららしく、昨晩出発してバリ島を経由してきたわけですが、みんなそこから乗ってきた人たちだそうでした。

 ロンボク島のラブハン・ロンボク港からフェリーに乗ってスンバワ島に渡り、そこで再びバスに乗ってスンバワ島を西から東へ縦断しました。スンバワ島は東西に長く伸び、ロンボク島のさらに3倍くらいの面積がある比較的大きな島です。バスは夜通し走り続け、気がついたらビマという町に到着していました。で、このビマから「サペ」という港町まで行くのに別のバスに乗り換えなきゃいけないらしくて、眠い目をこすりながら重たい荷物をバスから降ろすと、次に乗ることになる目の前のバスはなんとまあボロボロのシロモノ。さっきまでのやつはエアコン、トイレ付きのメルセデス・ベンツ社のVIPバスだったのですが、お次のやつは昭和24年くらいに日本でも走っていたような感じの小さいオンボロバス。乗客の荷物は屋根の上に山のようにうず高く積み上げられ、乗客はおしくらまんじゅうのようにギュウギュウ詰めに詰め込まれる、サスペンションのないバスはちょっとした凹凸でガンガン揺れる、ヤクザな顔をした運転手はガケすれすれの山道を親のかたきのように飛ばしまくるということで、一気に目が醒めてしまいました。2時間くらいそうやって走って、サペという港町にまでたどり着きました。サペ港は、フローレス島へ渡るフェリーや、またフローレス島の南にあるスンバ島やティモール島へいくフェリーも乗り入れています。ちなみにスンバ島というのは、数十年前まで首狩りという風習が行われていた場所で、また島の南東部には今でも「奴隷制」が残っているという、それはそれはすごいところです。行ってみたかったのですが、今回はその時間がありませんでした。なおスンバ島とスンバワ島は名前は似ていますが、違う島です。ぼくがいたのはスンバワ島です。サペという港町です。なおこのスンバワ島の南には、レイキーピークという非常にすばらしい波が立つサーフポイントがあって、サーファーには知る人ぞ知る島としてあこがれられています。あのミクシーにもレイキーピークのコミュニティが存在します。

 朝の6時ころにサペに着きましたが、フェリーの出発時間はなんと昼の12時頃だということでした。この何もない、やたらとゴミの転がった港で6時間も待たされるのはやりきれないなあ、と思っていましたが、他の乗客は「まあこんなもんや」という感じで、悠長に構えていました。またこのころになるとさすがに長旅を共有してきた乗客同士、顔見知りとなり、みんな和気あいあいのムードになっていました。まあ焦らずひとまずゆっくりメシでも一緒に食おうやということでテーブルを囲んでダベリ話しなどしながら飯を食っていると、それぞれどこから来たという話になり、やがてお前ところの宗教はなんだという話になってきました。インドネシアはマレー系、ニューギニア系、中国系などなどの血筋がミックスし、さらに細かい民族・部族が混交&共存している、いわゆる「るつぼ」です。また宗教も、島ひとつ隔てただけでまるっきり変わったりします。たとえばバリ島はヒンドゥー教ですが、ロンボク島、スンバワ島はイスラム教、そしてフローレス島ではキリスト教文化圏になります。そんなわけで同じバスに乗り、同じような顔してる人でも、実はぜんぜん出自が違ったりします。で、かつまた、そんな違いをいちいちどうこういう人はいません。朝飯食ってるテーブルにも結局、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒がいたわけですが、その違いがわかった途端に、むしろがぜん親密な感じになりました。多分外国人であるぼくがいることも意識してだと思いますが、6時間もフェリーを待っているうちに、「異文化、異教徒同士、みんな世界平和って感じで仲良くいこうぜ兄弟」みたいなノリになってきました。こういう庶民のオープンさ、フレンドリーさに新鮮さと好感、共感を抱きました。

 多文化国家のインドネシアは民族間、宗教間の紛争もたびたびあり、悲劇が繰り返されてきた歴史もありますが、そういう異文化が衝突するときは必ず「政治」「イデオロギー」が絡んでいます。しかし本当は異文化同士いがみあわずなかよくやっていこうぜ、というのが政治・経済・イデオロギー抜きの、普通の庶民が持っているナチュラルな感覚だろうと思います。こういうなにげないひとときに多くの本質が含まれているとぼくは思いますが、こうやって見知らぬ他者とよい時間をすごせただけでも結局、ボートクルージングツアーのキャンセルによってバス移動になったけれどそれはそれでよかったという気分になりました。ボートクルージングでは、普通の庶民に会うことはまずないですからね。

 で下の写真は、時間が有り余ってる中でサペの港の周辺の集落を歩いて撮ったものです。

 P1010296

↑こんな馬車が結構走っています。2,3キロくらいの移動には大活躍するようです。

P1010306

↑水辺にぎっしりと建物が軒を連ねている。ただ、みんなゴミをそこらじゅうにポイポイ捨てるし、生活用水も垂れ流しなので、これはインドネシア全体に言える事だけれど、人の集落に近い海の水は非常に汚い。

P1010292

↑ これもそう。一見すごく風情があるけれど、いかんせん生活用水からゴミまで垂れ流しなので、実際に見えると水はかなり汚い。

P1010291

↑こういう家が多い。

P1010297

↑ギター弾いてインドネシアフォークソングをやたらとでかい声でがなっていたニイチャン。

P1010298

↑アジとイワシを掛け合わせたような魚が干されていました。

P1010301

↑スンバワ島も敬虔なイスラム教徒が多く、モスクも多い。

P1010280

ぼくらが乗ることになるフェリーは12時ごろにやっと来たけれど、そこからさらに2時間ほど待たされることになる。

P1010305

サペの港に停泊しているアウトリガーカヌー。これで上の写真のようなイワシみたいな魚を採る。夜中、集魚灯をたいて魚を呼び寄せて漁をするそうだ。

P1010307

↑停泊したフェリーと岸壁の間にもぐりこんで釣りするガキ。船が動いて落ちたらどないすんねん、というのは日本人的発想で、こういうやつらはすばしこいから絶対に落ちないのである。

P1010309

このようなカヌーも、ちょっとしたモノを運んだり釣りしたりするのに大活躍していた。丸木をくりぬいた、いかにも「カヌーです」という感じのカヌー。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア的

2007-03-16 15:54:35 | 東南アジアカヤックトリップ

P1010223

 (3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)

 ギリ・トゥラワンガンからいったんロンボク島のマタラムという町までいって、その町外れにあるバス停で、フローレス島行きのバスに乗ることになりました。また、そこまで行くのに旅行会社のエージェントも一緒でした。最初、絶対一緒について行かなければならないと言われたとき、「このオッサンなに抜かしてやがんねん。自由にさせてくれよ。またまたそうやってガイド料とかなんとか言ってゼニせしめようという魂胆やろ」と思いましたが、ぼくが泊まったバンガローのスタッフのあんちゃんに、「いや、絶対に一緒に行ってもらわなきゃだめだよ。港もバス停もゴチャゴチャしまくっててどれがどの路線バスの停留所か多分まったく分からないだろうし、またあんたが買ったチケットにはエージェントが一緒についてくる料金も含まれている。彼にはあんたをバス停まで案内する義務がある」と言われて、それで来てもらうことにしました。なおフローレス島までのバスチケットはフェリー代も含まれて325000ルピー、日本円にして4500円くらいという非常に安いもので、しかもエージェントの取り分は10%そこそこで、つまり儲けが450円くらいということになります。そんな値段で一日拘束されるというそんなやり方で商売が成り立つのか不思議で仕方なかったし、そもそもこっちはこっちで気ままに旅したいのでわざわざ来てもらうのもなんだったのですが、結局一緒にきてもらって正解でした。場所といいバス停までの乗り継ぎといい、もうややこしくてややこしくて、おまけにバス停ではわけの分からん物乞いや押し売り、得体の知れないおっさんがあちこちうごめきまくってて、背中に20キロ近いカヤックを背負う身でそんな彼らにまとわりつかれ、自分の路線の停留所を探し当てるのは過酷極まりないものでした。一緒に来てくれたエージェントのおっちゃんはすごくいい人で、色んな話をしました。個人経営である彼の旅行代理店の収支やオフィスの家賃の額や生活費など生々しい話から、さらにインドネシア経済の現状までいろいろとその本音を語ってくれ、なんとなくインドネシア人のリアルな日常というものに触れたような気がしました。結局、450円で彼の一日を拘束してしまうのは悪いなあ、という気分でいっぱいだったので日本円にして3000円ほどチップを渡しました。このチップは高いか安いかというと、インドネシア的には非常に高いチップということになりますが、そういうのはどうだっていいんですよね。インドネシアではいい人とよからぬ人が非常にはっきりしていて、よからぬ人間というのはいかにしてこちらからゼニをせしめようと変なハングリー精神を丸出しにしてまとわりついてくるのでウザくてたまらないのですが、いい人は気さくでアジア的ともいえるデリカシーがあって阿吽の呼吸で通じ合えるものがある、一緒にいてとてもいい時間をすごせるわけなんですね。で、そういう仕事をしてくれる人はとても貴重であり、それくらいのお金ははした金だというわけです。

 インドネシア現地の空気を吸ってみて、インドネシア社会は、1997年のアジア通貨危機のショックから立ち直れてないなと強く感じました。それによって、「経済発展」という最大にして念願の夢が根元からボキリと折れてしまったわけなのですが、それ以来、インドネシア全体がヴィジョンというのか目標を見出せないままのように見受けられてなりませんでした。その結果として、たとえば「俺は商売で成功して絶対財をなしてやるぞ!」みたいなポジティヴなハングリーさではなく、「今日一日のゼニカネをいかにして色んな奴からチョロまかしてやろうか」、というマイナスのハングリーさをこちらに向けてくる方々に悩まされ続けました。商売で儲けようとするなら、信用とか責任とか大事にするでしょう? それよりも今とりあえずゼニせしめれたらええ、というヒップホップで言うところのハスラー精神が、そこら中に蔓延しているわけです。毎日毎日気を抜けないわけです。
 そういう中で、良心的な人に出会うと、とてもホッとします。

 ぼくのエージェントは商売人というよりも非常に敬虔なイスラム教徒で、一日5回は礼拝するそうです。ぼくといるときも「ちょっとここで待っててくれ」といって祈りにいっていました。別に排他的ではなく、異教徒にも非常に寛容でした。日本のマスメディアなどでイスラム教徒っていうのは、テロとか何か事件が起こった時しかその存在を取り上げられなくて、結局タリバンとかああいう過激で異様に排他的なイメージをもってしまいがちなのですが、あんなのは仏教におけるオウム真理教みたいに特殊な例であって、普通のイスラム教徒っていうのはだいたいがすごく寛容的で優しいんですね。また一緒にいて、やはりアジア同士というか、黙ってても分かり合える部分があるという空気を感じました。

 バスが出発するまで彼と色んな話をしてアドレスとか交換して、で、彼とサヨナラしたあとバスが出発してしばらくするとバスが止まりました。そして運転手の横に座ってる助手みたいなオッサンがぼくのところに来て言いました。「あなたは外国人だから、特別料金として700円追加で徴収いたします」。・・・・・・・・って、なんでやねん。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フローレス島へ

2007-03-16 14:26:19 | 東南アジアカヤックトリップ

P1010182

 (3月12日付「帰ってきました」という記事から始まる旅記録の続きです)

 先述したギリ・トゥラワンガン島に滞在中、島の旅行会社でボートクルージングツアーのチケットを予約しました。ロンボク島からさらに東にあるスンバワ島、フローレス島へとボートで渡っていくツアーなのですが、道中、普通ではまずいけないような無人島にあちこち立ち寄ってシュノーケリングしたり、適当なところで停泊して釣りしたりしながら移動していくというなかなか魅力的なネイチャーツアーです。そして到着地のフローレス島に近づくと、その近所にあるコモド島に立ち寄ってコモドオオトカゲを観察しに行くトレッキングもコースに含まれています。4泊5日のツアーで船中泊、専用のコックさんがクルーとして乗り込んで朝、昼、晩とご飯を作ってくれます。それで料金は一人950000ルピー、日本円にしてなんと約1万3千円!。もちろん途中で持ち込んだカヤックでパドリングもバンバン満喫できるだろうと非常に楽しみにしていました。大小17000個もの島々を有するインドネシアの中でも、結構島の多い海域をこのツアーでは旅することになるわけですが、一体どんな場所が待ち構えているのかと思うと興奮してなかなか寝付けませんでした。

 また、こういうクルージングツアーとタイアップして、うちのアイランドストリームのカヤックツアーとコラボレーションしても絶対とんでもなく面白いと直感し、まずは下見しなきゃいかんなといくことで行く前から勝手に盛り上がってしまっていました。

 ところが出発前夜になって、ボートのエンジントラブルによりクルージングツアーは欠航ということになってしまいました。次のツアー催行は1週間後になるらしく、どうしようかとぼくは悩みました。このツアーはあまりにも魅力あふれるものだけれど、一週間も時間をつぶすのはもったいなさすぎる、日数的にも無理だ、それに一週間後も絶対に催行するかどうかは間近になってみないと分からない、ということを言われたので泣く泣く諦めることにしました。で、代わりに、バスとフェリーを乗り継いでスンバワ島経由でフローレス島に行くことにしました。いずれにしろ今回の旅では、世界最大の爬虫類・コモドオオトカゲを生で見るというのがひとつの目標でもあったわけですが、彼らの生息するコモド島、リンチャ島に行くにはフローレス島のラブハンバジョーという港町まで行ってボートをチャーターする必要があるわけです。あるいはフローレス島からロンボク島に向かう同じようなボートクルージングツアーももしかしたらあるかもしれない、という話だったのでそれに期待するという意味も込めて、結局、バスで旅することになりました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする