しかし僻地中の僻地だけあって、埋め立てや自然破壊は、内地ほどには進んでいず、入江や陸繋砂洲、アマモ場、塩湿地性植物群など壊れやすい自然形態がまだまだ残っている。福江島の三井楽半島の円畑とか、自然のリズムにあった生活の知恵とかも残っている。
だからすごく面白い、魅力溢れる海域でもある。
以前にシーカヤック武者修行のために日本一周海旅してる時に立ち寄り、ひときわ印象に残ったのが平戸島だった。カソリック教会の横に禅寺があり、浄土宗の寺でアフリカ音楽のライブをやってたという、その絵柄というかランドスケープがその時、すごく心に響き、いつかもう一度訪れたいと思っていた。ボーダレス&クレオール(混交)文化は、海洋文化の本質の一つだから、響くのだった。またその時、五島列島には渡らず、長崎、熊本と下っていったので、五島列島もいつか行かなきゃと思っていた。多島海こそ、シーカヤックの土俵だから。
まあ、正直、もっと時間かけて回らんと突っ込んだ所は分らんだろうけど、一週間から十日くらいのカヤックトリップってのはちょうどひとつの区切りとしてキリがよく、自分の中で消化もしやすい日数で、これはこれで、かなり深い、フィールドとの対話となった。対馬海流も横切れたしな(黒潮体感のバリエーションがまた一つ、増えた)。
今回、ソロ海旅の中で、色んなことを考えたいと思っていた。仕事のことや生活のこと、アイランドストリームの今後の方向性のことなどをじっくり考えようという目的もあった。しかし実際に旅が始まると、瞬間瞬間の波や風、潮の流れに対峙するのに精一杯で、余計なことを考えられなかった。たとえば風の角度が5度変わるだけで波の入り方が変わり、運命が左右されたりする。たった5度の違いだけでだぜ。だから自然現象を洞察し、読み解くことにしか頭が働かなかった。フィールドと自然現象、それだけに集中した。しかしそれがよかったと思う。考え事はいつでもできる。だけど真剣勝負の海旅はなかなかできない。難所を抜けるごとに、生きて自由に手足を動かせること、スムーズに呼吸できること、おいしくご飯をいただけること、そういう根本的な五体満足がありがたい、それ以上に大事なことってないんだよな、ということに心底気づかされる。
海旅が終われば、のど元過ぎればの如く忘れてしまうのだが。
五島列島。またいつか来たいが、その時は小値賀諸島や宇久島周辺の小さい無数の島々をキャンプアンドカヤックフィッシングしながら、巡りたい。純粋に楽しむという意味では、そのスタイルが最高だ。
なお、この旅では平戸カヤックスの末永さん、長崎カヤックスの岩永さんに大変お世話になった。両氏の有用な情報や親切なお心遣いのおかげでよい旅ができたと思っている。心よりお礼申し上げます。対馬や壱岐、平戸、五島を有する長崎県は世界有数のシーカヤックフィールドだと思います。
また和歌山にも遊びにきてください。
次記事「平戸島~五島列島の海旅 まとめ」に続く