中国の蜀の国の盧生という青年は、人生に迷いを生じ、楚の国の羊飛山に住む高名な聖者に教えを乞おうと旅に出ます。途中邯鄲の里に着き、一軒の宿に泊まります。
その宿の女主人は、かつて仙人の法を使う人を泊めた時、そのお礼にと不思議な枕をもらいます。その枕を用いて寝ると、夢によって悟りを開くというのです。
盧生は、女主人に勧められて、食事の支度をする間その有名な枕を借りて一眠りすることにします。
うとうとしていると、起こす人があります。立派な身なりの楚の国の勅使が出てきて、「帝があなたに王位を譲られる」と言うのです。盧生は驚いたが、豪華な輿に乗せられて、宮殿に向かいます。
宮殿に着くと、庭には金や銀の砂が敷かれ、玉の戸の門があり、出入りする人々も皆輝くばかりに着飾り、玉座には多くの宝物が献上されています。天にも昇る心地で、盧生は王位に着きます。
それから50年、臣下の捧げる仙境の酒を受け、可憐な舞姫の舞を見ているうちに、自分も興に乗じて舞を舞います。こうして、四季の美を一時に集め、万木は咲き競い、人間のなしうる限りの栄華を尽くす毎日を送りました。
さて,そのとき「粟の御飯ができましたから召し上がれ」という女主人の声がしたのです。はたと気が付いてみれば、全ては夢だったのです。並んでいた女官たちの声は松風の声であり、宮殿は侘しいこの宿であったのです。
しばらくは、呆然とする盧生ですが、人生何事も一炊の夢と悟り、枕に感謝し、満ち足りた気持ちで故郷へと帰っていきます。
さて、この物語は、能の題目の一つ「邯鄲」の物語の要約で、「邯鄲一炊の夢」などとも言われている。
本来の「邯鄲」は、中国の河北省にある秦の始皇帝の生まれた町の名前で、現在は人口800万の大都市である。
この物語は中国で生まれ育ち、日本に輸入され、能の題目になったばかりでなく、秋に鳴く虫の名前にもなった。一体、誰がいつごろ名付けたのか、邯鄲が鳴く秋になると、必ず思い出す私の七不思議の一つだ。
さてこの句、夢から覚めてしまった作者ならば別れ易いはずであろうが、まだ夢の中の栄華を味わっている最中だから別れ難いのである。
つまり、この作者は、全くこの世を悟っていない俗物なのだ。