一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1957   春灯生きる証の句作かな   章子

2018年06月02日 | 岩戸句会 第五句集「何」

  章子さんとの出会いは十六、七年前でしょうか「老化損塾」ゆとりうむ句会」「岩戸句会」と名称は変わりましたが、毎月の句会を、毎回出席とはいかないものの、章子さん同様、楽しみに参加してきた私です。

  作句に励むことは、たやすい事ではありませんが、四季ある故郷に住み、四季を愛でながら五感を働かせ、歳時記を繙き作句に親しむことは、掛替えのないひとときです。

「生きる証」の句作とありますが、折節詠まれた俳句、それは取りも直さず「 生きた証」の俳句と言えましょう。

  この句を、伊藤章子さんの句と知り、以前「句会が何よりの拠所であり楽しみ」と話されていことを思い出しました。「俳句に人あり歴史あり」、春灯の季語が、作者の俳句に対する様々な想いを、更に深いものにしている、と思いました。佳吟と思い選句いたしました。体調を少し悪くされている章子さま。章子さまとの句会は愉しいひとときです。お元気になられて、またご一緒に俳句に興じましょう。

 

揺れ動く今日の心に春の風

名残雪ひとりにもある夕支度

人生の旅いま復路おぼろ月

借景の小島かき消す春時雨

明易しまだ使わずの今日がある

 

梅雨霧の谷という谷埋めつくす

百合の香の独りの闇に抱かれおり

生に飽き世に飽いたとて五月富士

いとおしむ生命のあかり朴の花

炎天下今をどこかに置き忘れ

 

磯宿へ一すじの道月見草

雲海の割れてつり舟通り過ぐ

がむしゃらに家業を継ぐや破れ蓮

友逝くや色なき風の中にいる

おほかたを生きてしまひぬ神無月

 

鰯焼く住所不定の猫の来て

仏壇に置く鬼灯と宝くじ

吊し柿長野の風と届きけり

思い出をすべて包みし紅葉山

笑う時一人と思ふ冬の夜

 

冬ざるる生き残るもの果つるもの

薄墨の衣まとひて山眠る

闇の夜に沈む山寺狐鳴く

世に飽いたとて寒月を愛でている

生と死のささやき交す冬銀河

(岩戸句会第五句集「何」より 伊藤章子)

ナルコユリ(鳴子百合)

 



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