6時45分起床。祝日だが、月曜日なので目覚ましが鳴ってしまった。妻が不服そうな顔をしている。
せっかくなので、朝食前に朝風呂を浴びに行く。最後の温泉をゆっくり味わう。
今日も良い天気だ。
8時から朝食。
しらすの沖漬けと小田原蒲鉾がある。しらすは地元・福浦漁港の漁師さんから直接仕入れているそうだ。濃厚で美味しい。
魚は鯵の干物を選んだ。
ご飯の1杯目は数多くのおかずで少しずつ、2杯目は小田原名物の梅干しで、3杯目は出汁茶漬けで食べる。朝からご飯3杯も食べたのはいつ以来だろう。
食事を終え、娘を連れてキッズルームへ遊びに行く。さすがに朝から来る人はおらず、貸切状態である。
本格的なおままごとセットがあり、娘が料理人になって和洋フルコースを振る舞ってくれた。
部屋へ戻って身支度を整え、10時半過ぎにチェックアウトする。今回も、素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。お世話になりました。
タクシーに乗り、ゆり公園へ。
昨年の湯河原旅行の際に妻が見つけた公園で、娘がたいそう気に入り、来るのは今日で3回目である。
観光スポットではないので、のんびり遊ぶことが出来る。
公園内の勾配を利用した長いローラー滑り台が目玉である。
最初は1人で滑っていた娘だが、私の膝に乗って滑るとよりスピードが出るということに気付いてからは、何度も繰り返し往復させられた。滑るたびに階段を上って戻らないといけないので足は疲れるし、ローラーでお尻は痺れてくるし、なかなかのハードワークである。
1時間ほど遊んで切り上げる。ここにはまた来ることになるだろう。
タクシーで真鶴駅へ出て、東海道線で小田原へ。
小田原でお土産探し。電車内で娘が本格的に眠ったので、妻と交代で抱っこしながらお店を回る。干物や柑橘類などは買えたが、梅干しはお目当てのものが置いていなくて買えなかった。このままだと、毎朝の梅干しオートミールが食べられなくなってしまう。
娘も復活したので、「喫茶ケルン」で昼食。
前職時代に小田原へ来るとたまに寄っていた喫茶店なのだが、よく考えたら喫煙可能店だった。
妻と娘はホットケーキやチーズサンドイッチ、私はチョコレートパフェを食べる。
飲み物はカフェオレ。
小田原14:14発のこだま720号に乗って新横浜へ戻り、14時半過ぎに帰宅。すぐに荷解きをして、洗濯機を回す。
湯河原でお土産に買った「ゑふや本店」のきび餅を開ける。昨日の夕方に宿の売店で予約し、作り立てのものをチェックアウトの際に受け取った。
きび餅は湯河原温泉の名物になっていて、複数の店舗が製造している(確か元祖は今回買ったのとは別のお店だったと思う)。名物になった由来が旬な内容で面白かったので、箱に入っていた説明書きの内容を紹介しておこう。
今から800年以上も昔の治承四4年8月、平家により伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が、源氏再興を願い奮起して旗挙げをしました。
すぐに土肥郷の領主・土肥次郎実平の一族を頼って今の湯河原町に入り、実平の持仏堂であった城願寺から鎌倉を目指して出陣しました。
石橋山に陣を進めましたが、10倍もの大庭景親、梶原景時らの平家軍に遭遇して、奮戦したものの、頼朝軍は武運つたなく敗れて土肥郷の山中を逃げ、「倒れた大杉の大穴」や「しとどの岩屋」へ、頼朝、実平ら7騎が隠れて敵の目を逃れたと伝わります。
その間、留守を守った実平の奥方が「きび餅」を作り、上にしきびの葉枝をのせて墓参りに見せかけて、敵に悟られぬように隠れ穴へ運び、7騎の空腹を満たしたと伝わります。
鎌倉幕府創設後には、頼朝らの命を救った縁起の良い食物として語りぐさとなり、郷土の人たちはおやつに必ず「きび餅」をつくり食するようになりました。駅前の実平夫妻の銅像でも、跪く奥方の包みがきび餅だと云われております。
「このきび餅がなかったら鎌倉殿は誕生していなかったのかもしれないな」と思いをはせながら食べる。素朴な甘さで美味しい。今度は別のお店のものも食べてみたい。
電気カーペットの上で横になっていたら、そのまま本格的に眠ってしまった。良い意味で身体がぐったり疲れている。
入浴を済ませてから夕食。小田原で買ってきた金目鯛の干物が中心だが、海外産の安物なので味はそれなりだ。地場で獲れた金目鯛となると、おそらく10倍近い値段になるだろうから仕方あるまい。
2度目の洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。
妻と一緒に、小田原で買ってきたみかんを食べる。今回は「早香」と「はれひめ」という2種類のみかんを買ったのだが、ポンカン系と温州みかん系で味が大きく違い、食べ比べが楽しい。
妻が眠ったあと、私も早めに寝ようと思ったのだが、昨日の日記を書いていたら調子が出てきて、結局1時半過ぎまで起きていた。これは明日後悔するパターンだ。