8/28から30日、奥只見から裏磐梯方面に行ってきました。
銀山湖は、大イワナで有名ですが、一度も行った事がないので、出かけてみました。今年は、暑い日が続き、夏のイワナ釣りは、まだまだオンタイムですからね。
殆どトンネルの奥只見シルバーラインには、朝の7時過ぎに着きましたが、もう8月も末だというのに、外は真夏の暑さです。そんな外の暑さと打って変わって、トンネルの中はまるで冷蔵庫の中のようでトンネルを出ると外気に触れた車の窓は一気に曇ってしまいました。
終点の奥只見ダムで一休みですが、お店には串に刺されても口をぱくぱくさせている哀れなイワナと、水槽に入れられた大イワナがいました。ダム下の袖川を見にいきましたが、林道入り口の門にはカギがあって、入ることができないので、またトンネルに戻り、途中の川を見ました。簡単に川に降りられそうもないでの、銀山平に向かいました。
銀山平の入り口の北ノ又川には、釣りをしている人が2,3人、河口付近からちょっと行くとすぐに禁漁区になるのでこの川での釣りは無しです。
取りあえず、禁漁区になる橋に行ってみると、そこにはイワナが沢山居ます。
夏休みの特別放流していて、一人5匹の制限つきのポイントでした。
さらに、上流の禁漁区に行ってみると、バンガローが並ぶ宿泊施設があり、その前には大きな水槽、そこに大イワナがいました。さて、次はいよいよ銀山湖偵察です。
北ノ又川の流れ込みには、2人のダブルハンドのフライフィッシャーが立ち込んで釣りをしていましたが、湖面をしばらく見ていると、たまにライズもあるので、ドライでも釣れない事はないと思いました。でも、ライズまでは、かなり距離があり届かないので、立ち込みでの釣りはチャンスが少ないですね。
湖を車で回って、湖畔と支流をみましたが、湖畔で釣りをする場所は殆ど無く、やはり、エンジン着きのボートでの釣りでないと難しいかもしれません。それにめぼしい流れの支流には釣りと思われる車がかならず数台駐まっていました。
一番奥の流れ込みまでくると、車は1台だけ、ここで釣りしようかと橋の上から流れを見ているとイワナが結構見えますが、車が1台きて、アベックが降りて来たと思ったら、なんと橋の上から釣りをはじめました。まあ、本気モードの釣りではないと見えますが。。。一気にやる気はなくなりました。
お昼間近ですので、檜枝岐でお昼を食べ、檜枝岐の川で釣りするのも良いかもしれないと思い、ゆっくり川をみながら移動しました。檜枝岐では結局、お蕎麦と、はっとう、山椒魚の天ぷらを食べ、川を見て流れに何匹かのイワナが見えたものの釣りはせず、今夜の泊まり会津若松に向かいました。
(檜枝岐の蕎麦と「はっとう」)
結構距離がありましたが、釣りをしなかったので時間的には余裕があり、途中の大内宿まで5Kmの看板に導かれ、ちょっと寄ってみたものの、暑くて歩くのは大変で早々に退散しましたが、藁葺き屋根の家々の景色はなかなかのものでした。こういう観光地のお土産は、同じような古い町並みの白川郷や川越などの物と同じものが多く、なんだか観光産業の一部を垣間見たような気がしました。
それでも、地の物を探すのは、楽しみもありますが、この暑さでは、体の方がまいってしまいます。
考えてみると会津若松には、中学生の頃に修学旅行で来て以来ですので、時間も早かったので、飯森山に行ってみました。
飯森山は明治元年、戊辰戦争で自らの命を絶った白虎隊の墓があり、お参りしてきました。
今回、初めて知りましたが、この時の会津藩の家老は西郷頼母(たのも)と言う人で、その人は会津では敵のように思われている薩摩藩の西郷隆盛と交友があったそうで、会津の人達にとって薩長連合は敵の様な存在だったけど、西郷隆盛だけは違ったようですね。歴史というのは、行って調べてみると興味深いものがあります。
ちなみに、この会津の西郷さんの養子で西郷四郎と言う人がいますが、この人が姿三四郎のモデルだったそうです。なんて事を今回、学びました。
ビジネスホテルは、いつも利用する系列のビジホ、晩ご飯は、いつもの様にホテルのレストランですまそうかと思いましたが、城下街の方まで足を伸ばして、古い郷土料理屋で「わっぱ飯」を食べましたが、値段は高かったけど、お店の風情もあり美味しかったです。
今日は、結局、釣りはしませんでしたが、盛りだくさんの一日でした。
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