はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

お世話になった彼に

2019-01-26 | 

  ↑家から市内までこんな景色の中を10分程運転する。



摂氏マイナス23度の木曜

 

  学校は1時間早く下校 金曜は休校となった。

 

 

 

 

今日は  受験準備は何をした? と言うお題に参加してみた

 

  

 

         ↑ レイラのジャケットを着たガス



中、高、大と3度受験した中

 

受験準備で印象に残っているのは大学受験の時だ。



お世話になった人達の事を思う事が多いこの頃


大学受験を前に英語が苦手だった私に


その教科を教えてくれた人もその中の一人だ。


 

彼はその頃私が付き合っていた人の塾時代の友人で

 

関東の大学在学中、バイトで高校生の家庭教師もしていた。

 

多分そんな事から

 

私に英語を教えてくれる事になったんだろうけど

 

そのきっかけなども 全く記憶にない情けない私、、だ。

 

 

 

東中野にあった3畳間の小さな私のアパートに


週1度通ってくれたその人が通学するキャンパスは


日吉にあったから


その方面に住んでいたのだろうけれど


そこからの所要時間や


交通費などの事さえ考えた事がなかった。



 

受験に必要な英語の知識を付ける為

 

リーダーズダイジェストサイズの大きさで


それを3冊分重ねた厚さの英語本1冊を


受験前までに終わらせてもくれた。




どのぐらいの期間


彼に教えてもらっていたのかも記憶にないけれど 

 

お金も支払っていないし


ご飯だってご馳走した事のない私の家庭教師を


彼の都合で休んだのは1度だけだった。

 

 

入学試験を終え 

 

大学から郵送された合格通知を郵便受けに見つけた私は

 

その足で通りにある公衆電話まで走った


 

真っ先にその人に合格した事を伝えたかったからだ。


私の合格を喜んでくれた彼が


”えっ まだBFには話してないの?”  と


驚いたように言った言葉も思い出されるけれど


そこで彼との記憶がぷっつりと切れている。

 

 

今頃郷里の高知で


リタイヤー生活でも送っているだろうか

 

 


あの時は本当にお世話になりました。  

 

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今となっては

2019-01-15 | 

イリノイの家で過ごした先週末

 

物置の整理をしていると


1984-5年付け


ローカル新聞の切り抜きが貼られたスクラップブックが出て来た。




私は本を読みながら心打たれた箇所や


意味の分からない箇所などに


  線を引く癖があるのだけれど



スクラップブックの最初のページの切り抜きにも


 一部線が引かれた箇所があった。

 

 

 

 


80年代に住んでいた町であがったある企画によって


町は良き方向に変わるのか  どうか


興味を持ったバッキー青年は


その説明会に参加した事があった。



その会で記者にインタビューされたバッキー青年が伝えた意見が


ローカル新聞に載ったのだ



“わぁー バッキーすごいなぁ ” と言う思いで


それを切り抜きスクラップブックのページに貼った私は


いつもの癖で


バッキーの意見が書かれた部分に線を引いたようだ。





そのスクラップブックは5-6ページで終わり


中途半端なまま


30年以上箱の中で眠っていた。



これも私らしい、、、苦笑



ページに貼られていた新聞の切り抜きは


殆どその企画についてだった。

 

 毎回新聞にその企画の話が載る度に切り取り


スクラップブックに貼っていた自分は

 

バッキーが興味を持った事について

 

私なりに理解したいとでも思ったのだろうか

 

その辺りの記憶は全くないけれど


アメリカでの生活がスタートして4-5年目


無力な自分が情けなく感じられていた時期でもあった。


その悔しさが募るほど焦りも出て来て


何をどうすればいいのかも分からず


じたばたしていた自分も思い出される。

 

今となってはそれも懐かしい自分の姿だ。


ポチっと、、ね

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初対面の人とパーティーカーで、、

2018-12-09 | 

リムジンに乗って

隣の州ウィスコンシンにあるグリーンベイまで

アメリカンフットボールの試合観戦に行くと言っても

リムジンが出る街 ロックフォードまで

 我が家から2時間ちょっとかかる為

明日は5時半に家を出なくてはいけない。





グリーンベイパッカーズのチケットを8枚持つティムさんが

誰を招待したのかバッキーも知らないので

初対面の人達との数時間を

  リムジンで過ごす事にもなる。



リムジンにもいろいろあるだろうけれど

私が過去乗ったものは

上の写真のように長いソファーがあり

皆が顔を見合わせ

お酒を飲みながら会話をし過ごす パーティーカー だ。

 

グリーンベイまでの3時間ちょっと

リムジン内での会話は

  多分 主にフットボール、、、、になるだろう。





アメリカンフットボールはスポーツが盛んなアメリカで

最も人気のあるスポーツだろうけれど

未だその知識のない私、、、でもある。





アメリカでの生活が長いと言っても

この国で育っていない分知らない事は多く

パーティーでは皆と会話をすると言うより聞いているだけが多い

そういう時は

 お酒の量が自然と多くなり

たまにはめを外す事のある私は


パーティーカーで行く事が決まった時  


”飲みすぎるなよ。”  と

しっかりバッキーに注意された。

  




明日の試合に行く前に 

ちょっとはパッカーズの事でも読んでいくかと

 ラップトップを開けてびっくり!!





パッカーズの選手の名もろくに言えない私でも

どの人がヘッドコーチであるか

顔を見れば分かるのは

そのコーチが2006年からヘッドコーチを務めているからなんだけど


マイク マッカーシーMichael McCarthy が

 先週の試合後解雇になった事を知った。



明日の試合から

パッカーズのオフェンシブコーディネーターだったジョーフィルビンが

   コーチすると言う。




そんな記事をあちこち読んでも

 私の頭に残るのは

解雇になったヘッドコーチの結婚歴や家族の事ばかり、、



そんな会話が始まったら

  仲間入り出来るけどねぇーー




日本の母が 水みたい と言ったバドライトを

  チビチビ飲みながら

 往復7時間のリムジンライドを愉しんできます


もちろん スカイボックスでの試合観戦も、、、


フットボールがよく分かっていなくても

  生での観戦には興奮します


では おやすみなさい。
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もっと泣く必要があった

2018-10-27 | 


”皆さんもそれぞれ 

 愛する人を亡くし深い悲しみ (Grief グリーフ)を

  体験されているでしょうから

患者さんが亡くられた時

 患者さんのご家族の気持ちは

きっとお分かりになる事でしょう”



こんな内容で話を始められたのは

 ホスピスでスピリチュアルケアーに携わっておられる方だった。




私がこの言葉を聞きドキッとしたのは

 家族を亡くした事はあっても 

  深い悲しみに心を痛めた事がないからだ。



 ”私には人の深い悲しみなど分からない。”


そんな事を思いながら話を聞いていた。









6歳の時から祖母と二人暮らしだった私にとって

 祖母の突然の死はショッキングではあった。





 ”イジーさん 校長先生が貴方に話をしたいようですから

   校長室に行ってください。”


中学の卒業遠足から学校に帰りつき

バスから降りた私に

 一人の先生が私にそう言った。



中学時代 真面目だった私は


”何か 賞でも貰えるんだろうか。”


そんな期待もしながら

 校長室のドアをノックした。






”イジーさん そこに座って、、。”


言われるように

校長先生が指さすソファーに座ると

私の隣に座った校長先生が私の手を取る、、、。 






”イジーさんは おばあちゃんと二人暮らしだったね。”


”は、、、、、い”

  小さく頷いた私に



”おばあさんが今朝 事故に合って、、、”  と

 校長先生が始める。


目の前に病院のベッドに横になっている祖母が広がる、、、。


” 、、、亡くなられて、、、”


そう続けられた校長先生の言葉がくうを通るや



幾重にもなって涙が頬をつたい始める。




病院のベッドも 

そこに横になっていた祖母のイメージも消え

言葉で考える事も出来ずただ 泣くだけだった。












祖母の遺体は伯父夫婦の家に運ばれていた。


頭は包帯で巻かれ

布団をかけられ横になっていた祖母は

  いつものように眠っているようでもあった。




祖母の枕元に座っていた伯母が

部屋に入って来た私の顔を見上げ

はっと驚いたような表情になる。



自分がその時 どんな表情であったかは分からないけれど

一滴も涙を流さなかったからではないかと  

  その時伯母の表情を見てそう思う自分がいた。








お葬式は伯父夫婦の家で行われた。


父も精神病院から外泊をもらい伯父夫婦の家に来ていた


お葬式が始まる前に父が私を居間に呼び

病院で貰って来たと言う薬を3錠

 私の掌にのせ

 それらを飲むように言う。


言われるまま口の中に入れ

 すぐにトイレに行って吐き出した。










祖母が横たわっていたお棺

頭の部分に小窓のようなものがあり

 そこから顔が見えるようになっていた。




告別式?に来て下さった方々が順にお祈りをしていく。


その中に

 学級委員と副学級委員が先生と一緒にいるのも見えた。


お祈りが終わり

 お棺の小窓の部分をふさぐことになり

”釘を打つように”、、”  と

  私の隣に座っていた父に言われる。



言われるままに釘を打った、、、、。



 普通だったら ここで 泣くのだろう


そんな事を思いながら涙なく釘を打った。




気持が冷めた自分を

  それ以上に冷めた自分が見ていた、、、


 そんな感じだった。





副学級委員とはクラスで仲も良く

 ”たれ目” というあだ名の彼女とは

好きなボーイフレンドの話とか

女友達の悪口とか言い合う事はあったけれど

私は彼女にも 誰にも 

 家の事情を話した事はなかった。





帰る前に

”たれ目”が私に茶色い封筒を手渡してくれた。


それにはクラスの人達からの手紙が入っていた。


一枚づつ読みながら

先生が私の家庭の事情と一緒に

 たった一人の祖母を亡くした事を

皆に話してくれたことを知った。



皆それぞれ 精一杯の気持ちを書いてくれたように感じた。


その中の1枚を読んでいて

 涙があふれ声を出して泣き始めた



学校の成績は今一つで 

時には悪い事もする子だったけれど

 心のある子からの手紙だった。












ホスピスでスピチュアルケアーをされている方から

  その日こんな話もあった。


 ”家族を亡くし 葬式を終え

 それから暫くした頃

ご家族の心が沈む事は多いので

ホスピスではその頃にご家族にカードをおおくりするんですよ。


そんなボランティアの仕事もあります。”



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精神力が強いと言われた日

2018-10-25 | 



小学時代、

3以上の成績が一度も取れなかった科目は体育

運動会のかけっこは  いつもビリ

運動神経が鈍かったのに

中学にあがったら

部活にはいってスポーツをしよう  と

希望したのは


小学6年の時に学校で観たメキシコオリンピック

  影響されたんだと思う。



テニス部は憧れだったけれど

ラケットにお金がかかりそうに思い

それがないバスケを選んだ。


ところがバスケをするには

 専用のシューズが必要である事を知って 

 ちょっと不安になったのも思い出される。


問題なく買ってもらったけど、、、ね。  多分、、、^0^



チームが履くバスケのシューズはクリーム色の布製で

  足首のあたりまであり


 

 今もあるコンバースの靴に似た形だった。




あの頃は誰も 自分のボールなんて持っていなかったよなぁーー。

 






いろいろあるバスケの思い出の一つは、

中学2年だった時の事 


3年生だった先輩の一人 キツ子先輩(仮名)から

 毎日のようにしごかれ


何度も何度も、、、何度も走らされた。



あの頃って 練習中にを飲まなかったようにも思う。

 その上 コートは外だった。


しごかれたある日

目の前がオレンジ色になって

 その時はさすがに涙が出た、、、。


    



そんなある日
 

”イジー キツ子先輩がアンタの事 精神力の強い子や  って

  驚いてたよ”
  と

同じ学年のバスケ選手に言われ


”何度言うても覚えん。” と

キツ子先輩に言われ続けていた私は

 自分のある一部が認められたような気がした。
 

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皮むくと思い出す

2018-10-19 | 


ミックママ家族が住む街にあるアメリカのスーパーでは

この季節  ”柿”が 登場する。


小さなサイズのその柿は


  


一つ約100円したけれど

アイオワに帰る前に7つ買って来た。




そのスーパーを出てから

 次男君に頼まれた ラムネ を買いに

大きなアジアンスーパーマーケットに行くと、、、



えーーーーーーーーーーーー


赤くはなかったけれど

ビニール袋に入った柿が450グラム 145円で

   売られているではないか


秤にかけ計算すると 1個50円

アメリカのスーパーの半額やないの




 家族で柿を食べるのは私だけだけれど

12個入った柿の袋入りもお買い上げ



野菜売り場で見つけたサツマイモも持って帰って来た。




  



柿のように果物の皮をむいていると

子供の頃の自分と祖母が思い出される。


 
資生堂のハンドクリームを愛用していた祖母は

クリームをつけた手で果物の皮をむく事が多く

果物はハンドクリームの味がして  

  食べられた物じゃなかった。


記憶はそこまでなのだけれど


その注意をかなりきつい口調で

 祖母に言った自分が、、、、それに続く。




もともと理屈っぽい子供だった私は

 気も強かったしなぁーー




年齢を重ねる毎に

子供時代が多く思い起こされるような気がするけど

皆さんも そうですか

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秋はこのバッグで

2018-09-14 | 


ハンドバッグをその日の服装に合わせ

   変える人もいるだろうけれど

私は 春と秋の年2回変えればいいところ

一つのバッグを1年中使う事も多い。





iPadを常に持ち運ぶようになってから

 バッグはそれが入るサイズだ。


2-3年ほど前に購入した

dooney & bourke のこのバッグは






   私のお気に入り




女性から見たら 

さほど大きいとは思わないサイズだけれど

男性、、、特に高齢の男性から見ると


  どでかく見えるのか

ある日 レジに並んでいたら後ろにいたおじいさんから


 ”君のpurse大きいね”  と

驚いたような顔で言われた


purse (パース) と言うのはハンドバッグの事)




それはともかく

 このバッグも2年ほど使っているうち中も汚く

 ごたごたいろんなものを詰め込むものだから

形も崩れて来たので

 秋にもなる事だし

バッグを新しくしよう   と

 20年以上前に日本の家族からプレゼントされた

 Breeのバッグを出してみた。





このバッグが送られて来た時

 まずバッキー(高齢の男性)が言ったのは


 ”何やそれ ビンゴバッグか?” 

その大きさを馬鹿にする。


 (ビンゴゲームに行く女性たちは沢山の物をバッグにいれ

  会場に行くので、、、。)








馬鹿にされたので

20年以上も使わずしまっていたのではなく



濡れるとしみになる とあったのに

  私の不注意から水しぶきをうけてしまい







   しみだらけにしてしまって以来

 綺麗に使う自信がなかったことが大きい。





でも 今年からこのバッグを使う事にした。




使えば使うほど味が出て来て

      革の色が濃くなってくるので

 シミもそれで見えにくくなるかも知れない、、、し、、


何よりこのバッグを贈ってくれた人を想い

  いい色にしていきたいから、、、。


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ギャンブルは苦手

2018-06-20 | 


 日曜日は町にあるドッグレース場

家族が集まった。



父の日とあり館内は大変な混みよう

皆の分テーブルを取る事が出来ず

暑い中、、、、摂氏32度、、、外でいくつかのレースを見た後

冷房の効いた館内へ、、、。




館内に入ってからは

バラバラになってしまったけれど

帰りにグループ写真はなんとか撮れた。





レース場はカジノのビルとも繋がり

出入りが簡単に出来るようになっている。





私はその昔 道元坂のパチンコ屋で

1万円をすった事があり

それ以来 賭け事が好きでない、、、。





どう1万円をすったかと言うと

100円で始めたパチンコ玉がみるみるうちに

 箱 数箱ほどまで溜まり

そこでやめておけばいい物を






欲が出て玉を打ち続けていると

いつしか出なくなり

数箱溜まっていた玉を全て使ってしまった。



そこでやめておけばいい物を





せめてひと箱分は欲しい、、、と思い

お金を使いはじめ

その時持っていた持ち金全てを

     使い果たしてしまった、、、のだ。


昼前に入ったパチンコ屋を出ると

 外は、、、真っ暗 


お金だけでなく 

半日無駄にした自分が情けなかった




そんな経験がある事から

 スロットマシーンなどをしていても

勝つと思えなく

引き寄せの法則のごとく負けてばかり、、、。



ただし 昔の情けない体験から

  大きな額も使えなくなり

使っても20ドルほどではある。




この日バッキーはスロットマシーンに40ドル使い

 245ドルお持ち帰り


カジノのスロットマシーンで

2-300ドル勝つ事の多いバッキーだけれど

ギャンブルだけの為にカジノに出向く事はない。







最近イリノイの田舎町で

このスロットマシーンが様々な所に置かれるようになった。

バーは勿論 コンビニやスーパーにもあり

バッキーが言うには儲けの25%がその店の収入になるらしい。

低所得者の多いこの街のスーパーに置かれているスロットマシーンでは

平均週1500ドルの収益があると知り驚いた。






写真は

全く知らない人まで呼び寄せ

グループショットをするW

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二つの出来事

2018-04-16 | 


ダイアモンド発掘に行くパークまで

イリノイから片道車で12時間かかるとあり

オーディオブックを市の図書館で借りて来た。


DVDは1週間だけれど これは本と同じく3週間レンタル出来る


何を借りるのか決めていなかった私は

ネットフリックスNetflixで話題になっているドラマ

 ”13の理由(13Reasons why)”を思い出し

そのオーディオブックを借りることにした。


自殺した女子高校生がその理由を友人に残す

 という内容で

 ジェイ アッシャー Jay Asherのヤングアダルト小説

図書館のティーンゾーンに置かれている。







多感である青年期に自殺を考えた人は多いだろうけれど


私も ”死にたい” と そんな言葉を何度も使うことがあった。


何がそうさせたのかも

  それがどんな気持ちだったのかも

 もう思い出せないけれど、


奇妙な、、、というか 

 笑ってしまう、、呆れてしまう、、そんな過去は思い出せる。

 


高校時代の事

 何か私にとってはショッキングな事があり

目の前が真っ暗になった。


”目の前が真っ暗になる って言う表現があるけど

  ほんとになるんだ、、。”
  などと

もう一人の自分がそんな事を思いながら

明日の朝をイメージし始めた。


すると高校に登校する学生たちの姿が見えるのに

 どこを探しても自分が見つからない。


少々焦り始めた私は高校の門に意識を集中させる、、、が

  自分はどこにもいない、、、。




”あーー 私は明日  この世に存在しないんだ。

今日 死ななくてはいけないんだ。”
  と

冗談のような話だけれど

 あの時の私は死ぬしかない  と思い


自分が死んだあと人に見られたくない物を片づけ始めた。


特に日記

アッそうだ 私は自殺したいと思う度に日記を焼いていた、、。



身体を動かし部屋の片づけをしているうちに

 まるで 心の中の霧でもがはれていったのか

 明日の自分をイメージ出来るようになった。

 
”なんだ  私 明日も生きてるやん、、。”  と


  自殺などせずその日を終えた。








もう一つはアメリカでの事、、、。



アメリカでの最初の数年、、いやもっとかな、、、は

今までの人生で最も辛かったけれど

  死にたい  と思わなかったのは

乳児の子供を残して死ねなかったから、、、


子供の為ではなく

自分の子が私を知る事もなく

  自分以外の人の手で育つのが嫌だったからだ。





生きるんだったら 幸せになるしかない。

そんな事を考えながらひたすら生きて来たけれど

結婚生活への不満は時々芽を出し

特にお酒に酔った時に心が暴れる事はあった。


もう子供たちも大きくなっていた頃の事

ある夜、お酒に酔いバッキーと口論をした私は

 ナイフで手首を切ろうとした。



それに驚いたバッキーは私の手からナイフを取り上げ

 あやすように私を寝室に送った。

そして 自分はキッチンの隣にある居間のソファーで寝た。







夜中目を覚ました私が水を飲みに行こうと

寝室のドアを開けると


  ガラガラ  と大きな音がする。


”一体何なんだ。”  と

  ドアの所でポカンとしていると

その音に目を醒ましたバッキーが飛んで来た




バッキーは真夜中私がナイフを取りにキッチンに行く事を心配し

  寝室のドアの前にビールの空き缶を積み重ねておいたのだった。

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喜びの感情が走ったのは、、

2018-03-20 | 


パーティーでは久しぶりに義弟トムの奥さん 真理佐さん(仮名 白人)のご両親にもお会いできた。



真理佐お母さんは50代でアルツハイマーを病まれ

今になる。

彼女の介護をされる真理佐お父さんもまた 

  その病の症状が出始めているとも聞く。


 


姪の試合が終わってから

殆どの者たちが去り

キッチンのテーブルを囲んで

バッキーと私、末の弟トム、

 その日誕生日を迎えた妹と彼女の夫がワイワイしている中に

真理佐ご両親も加わっていた。


私の左側3人目ではあったけれど

 顔が良く見える場所に真理佐お母さんが、、、、

私の右隣りに真理佐お父さんが、、、、、、、座っていた。


兄弟姉妹たちは政治の話が出ると 

 意見の違いから小さな口論になる事もあったけれど

兄弟姉妹の子供の頃の話

  殆どの時間、席は盛り上がっていた


  


真理佐ご両親はどの話にも加わる事なく

 静かに皆の話を聞いていたのだけれど

何の言葉を発する事もなく

 ニコニコしたままの真理佐お母さんが

ある時突然言葉を発しその瞬間

 私の中で喜びの感情が走った、、、。





これと似た事が職場でもあった。

店で食器洗いをする一人の青年は

何かの発達障害を持つようで

   それもあってか無口で無表情

でもしっかりした仕事をする青年でもある。




”おはよう” と声をかけても

上向き加減に私を見てはくれるけれど

 青年はすぐに下を向く、、、ただ 唇の両端は少々上がり気味

  それもあり彼に会うと必ず挨拶をする。






ある日 お皿を取りにその青年が働く洗い場に行った私は

一方的ではあるけれど

いつものように何気ない会話を彼にしたら

青年が言葉を発し

始めて聞いた彼の声に

それは大きな喜びの感情が走った、、、。




これら二つの事を結び付け

 もしかしたらこれは 

本当の自分の声を出す事が少なく成長した自分

 痛みあってこその喜びであろうか 


と 考えたのだけれど


あーー そうだ

これは精神を病み

薬漬けになってしまった言葉少ない父の姿

  彼らが重なるからだ、、、とも思え始めた。 

            多分 こっち  


  


なぁーーんて  いつものごとく

 何やかや分析したがる私の月曜日の朝だった。



                             


真理佐ご両親は真理佐夫婦が住む町から

車で1時間程かかる先に住んでおられるので

帰りを心配した事だったけれど

あるアプを使う事で

彼らが今どこを走っているか、、が

スマホでチェック出来るようになっていた。


無事家に帰りついたようで安心した。

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       便利な世の中だワン

戌年に父を想い、、

2018-01-03 | 


二日の今日も快晴




陽をあびた裏庭は

宝石をちりばめたように輝いている。



2日から仕事に戻ったバッキーは

 朝早くから家を出た。 


けいちゃんたちの学校も明日3日からスタート


ゆっくり新年を祝う習慣はアメリカにはない。



そのせいもあり日本を恋しく思う時期でもあった、、、

そんな気持ちもいつからか

  薄くなってしまった、、けれど、、。





今年は戌年と知り

 戌年だった亡き父を想った。


精神を病んだ父しか知らない私は

 父との会話もなく育ったけれど

小学高学年頃からだったかなぁー

そんな父のちょっとした行動や表情に

 父の心を見ようとしたのは、、、。



 ”優しい人” 

 そう思わせた事柄、、、二つだけだけれど、、、

 それだけが

  濃く心に残っているのは幸せな事だ。


それはきっと 今の私が

   幸せだから、、、だろうけれど、、、。





明日から私も仕事に戻る


寿司の仕事は就業時間がカットされ

 週4時間しかもらえなくなったけれど

中華での仕事時間は増やしてもらうことが出来た。


明日は3時間合間を置き 

9時から9時までの9時間労働だ。


   悪くはない。



”働けるうちは 働く”

元気な身体を頂いたのだから

  使えるものは使わなくては、、、 

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クリスマスに、、

2017-12-24 | 


金曜日は夕方まで働いたあとイリノイに帰って来た。

家に入ると 

バッキーが居間でクリスマスプレゼントのラッピングをしている。


いつの間にこんな数になったんだろうと

  思うほどの量、、、それも

90%カメ君とけいちゃんへのギフトだ。


二人がこの冬を過ごすのに

  必要な物が殆どではあるけれど、、、


 これでもか  と

 今年もまた 数で行った 私とバッキー






子供の頃のクリスマスの思い出

祖母の甥が

 毎年家に持って来てくれたクリスマスケーキ



  



祖母と私の事を心にかけてくれた彼、、、よっちゃんは

 汚い4畳半の家のガラス戸をノックし

私たちを訪問してくれる事も多かった。



”恵まれない子供たちにクリスマスを、、”  と



  

            ( Wishing Tree )



多くの声がかかるこの季節

 心が動かされるのは

人の優しさに心が躍った

子供の頃の自分が広がるから、、だ。




一人でも多くの子供たちが

  暖かくて楽しいクリスマスを過ごせますように、、、。

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私の失敗

2017-12-11 | 


昔はクリスマスセールを追いかけたりと

   ショッピングに燃えていた私も

 この何年かは その意欲は下降するばかり

 そのせいかどうか

今年はどれを見ても今一つで、、買う気もしない、、。



一番頭を悩ますのは 日本へのギフト、、、だ。


何しろ 日本の商品は

 この田舎町にあるアメリカの商品(殆ど中国産)より

 ずっと質もいいし お洒落


数件の店を回った後

  アメリカの商品はやめ


今年も日本の楽天を利用し

 日本の物を贈る事にした。


 
海外のサイトで買い物をした時に

クレジットカードの不正利用を防止する為

 カード会社が拒否し(decline)

オーダーしたサイト先から

  キャンセルの連絡が入る事は多いので


その前に手を打たなくては、、、


オーダーの手続きをした後

 すぐにカード会社に連絡を入れた。



係りの人と話していると

 私が日本のサイトで商品をオーダーした事を知った彼が

”僕は日本の文化が大好きなんだ。”  と言い


 ”君はアメリカで生まれたの

 それとも日本?” 
 と

まるで友達と会話でもするような話し方で

 訊いてくるので少々躊躇った、、。


確かに こういう電話応対をされる事は

   あるにはあるのだけれど

今回はこれ以上プライベートな話をしたくなかったので

”日本で生まれましたよ。”  と短かく答え

 話を本題に戻した、、。




3つの商品の中の一つは10800円の果物セット

 ほかの商品より値がしたからか

  それだけは既にカード会社が拒否していたので

再度オーダーする必要が出来

 それが終了してから 手続き?が出来ると言う


”僕はこのまま待ってるから

  オーダーが完了次第電話を取って、、。”
  と

 言われた私は

待たせてはいけない、、、と焦り始める。


その焦りが間違いを起こし

 果物のギフトセットで値段も同じではあったけれど

  違う店の商品をオーダーしてしまった。


その事に気づいたのは カード会社の人と話し

  全ての手続きが完了した後、、、。
 
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カロリーの少ない物を好む癖

2017-12-04 | 



土曜日の一人ランチは食べ忘れていた野菜を炒めた。


緑色のものは うちわサボテン Nopale

 メキシカンレストランで食べて以来 

   サボテンファンの私だけれど


 販売されている所がこの辺りになかったので

  家で調理するのは諦めていた、、、ら


コロラドのスーパーの野菜売り場で見つけ

  発つ前に2枚買って来た。





   このサイズで1枚50円以下と嬉しい値段でもある。




味付けに 

 コロラドで出会った日本人の方に頂いた 香味ペーストを使ってみた



  


彼女がおっしゃってたように  ”美味しい!”



こういう調味料があんまり美味しいと

 気にもなるけれど

使用料に気を付け 

  毎日食べなければいいだけ、、、。




一人でお皿を突っつきながら

ふと 20代初めの頃を思い出した。




減量のために

私はこんな野菜炒めを頻繁に食べていた、、、一人で、、、。


自転車で新宿や渋谷に走っていた事もあった、、、一人で、、、。


サウナにも通った、、、一人で、、。



 

何と勿体ない時間の使い方をしたのだろう、、、。



自分の体形を変えようと

  減量をしていたのではない。


体重計に出る数値が変わる事で

 それをコントロール出来た自分に救われたからだ。

 



幸せでないと

 カロリーの少ない物を好んで食べる

    こんな年齢になった今もある。


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パートの仕事を一つ増やした

2017-05-20 | 


土曜日の朝 

 ピアノのリサイタルがあるので

この週末もバッキーがアイオワで過ごす。


この春からレッスンを始めたカメ君は勿論

2年間続けている けいちゃんにとっても

 初めてのリサイタル だ。


私まで 緊張、、、ドキドキ 



     



二人が通う音楽教室は

 3か月分のレッスン費をまとめて支払うので

便利と言えば 便利だが

二人分になると

 500ドル (約5万円)以上するので

 私には大金



何しろ 

 パートの給与は

 月 手取り400ドル (約4万円)程しかない


かと言って

  週末は働きたくない。




平日 週1日だけ

 ウエイトレス (アメリカはチップ制なので収入がいい) を

    するのも悪くはないなぁー


 、と 思った私は

 隣の奥さん、、、ローリーさんに



”昔 ウエイトレスをしていた経験があるんですが

お宅のレストランで 木曜の夜 

 働かせてもらえませんか?”
  と

  訊いてみた。




  



隣のご夫婦は 

 おじいさまが始められたレストランで

     働いておられ

 オーナーではない、、と思うが

   それなりの権限はお持ちだ。



 


”今は忙しくないけど

  夏になると忙しくなるから

その時に連絡するわ。” 
 と


  ローリーさんが気持ちよく答えてくださったのが

 4月の初めだっただろうか



 


先週 花の苗を植えていた私の所に

  ローリーさんがやって来て


”今も 木曜日に 働く気持ちでいる?

だんだん店が忙しくなってきたんだけど、、、” 
 と


 仕事につける事を知らせてくれた。

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