義父の咽頭癌が見つかったのが、9月の中旬だったろうか。
咽頭癌はこれで2度目になる。
1度目は手術をし腫瘍を摘出。ボーカルコードも残り その後の経過は順調だった。
あれからもうかれこれ17年ぐらい経つように思う。
義父はその手術後 50代だったが、退職し、
義母と二人でほそぼそと暮らし始めた。
それから数年後に 大腸癌が見つかり、その24時間後には手術。
その経過も良く、州外に住む子供たちを訪ね、夫婦で旅行をしたり、
ちょっとしたパートの仕事をしたりして、老後の生活を楽しんでいた。
2年半前に肝臓癌が発見され、医者から半年の命と言われたこともあり、
そのときの義母や家族のショックは大きかった。
子供たちが皆 それぞれの町からかけつけた。
その時 それぞれの子供たちから、さまざまな意見が出てきた。
抗がん剤治療をしても その副作用で 体が弱り やせ細って 結局は死を迎える。
それよりも 医薬用の大麻をもらい 幸せな気分で毎日を送り 死を迎えるといい。
とか、
1度 抗がん剤治療を受けてみてから その後のことをまた 考えればいい。
とか、
皆がそれぞれ言っていた。
何が大事かって 本人の気持ちが一番。
義父は抗がん剤治療にかけてみる事にし、
治療中 体が弱っても 食べることを絶対に忘れなかった。
腫瘍は医者から奇跡だといわれるほど小さくなり、
治療を受けてないときは 顔色も良く、
生活を楽しんでいる義父母を見るのは何よりも嬉しい事だった。
が、この春 肺に転移していることが分かり、また 抗がん剤治療を始めた。
そしてまた 彼の”生きたい”という強い気のちからでか がん細胞は小さくなり、
数ヶ月を過ごしていた。
この夏、右側の頬から頭にかけ痛みを感じるようになり、
いつしか食べ物を飲み込むことさえ困難になってきた。
検査の結果 咽頭癌が発見された。
腫瘍が食道を圧迫し、飲み込むことが難しくなっているようだ。
あっという間に数キロ体重が落ちたと言う。
このまま大きくなって気道までやられると呼吸が困難になる恐れがあるので
放射線治療で腫瘍を小さくする方法をとることになった。
きっと、体も痩せて 気持ちも沈んでいることだろう。
と、一人 そんなことを思いながら 儀父母を訪れると、
すっかり顔色のいい、なんか光沢まで見られた義父が笑顔で迎えてくれた。
カメ君を抱いて
”この子はハンサムボーイになるよ。”と私の目を見て 話しかけた。
これからの治療に対しても 非常にポジテイブに考えている。
どうなるか分からない先の心配などせず、
この一日を この瞬間を生きることをしている義父を見る。
”生かせてもらっている” 事に深い感謝を持って、、。
また それを思いおこさせてくれた事をありがたく感じることだ。
今日をありがとう!
咽頭癌はこれで2度目になる。
1度目は手術をし腫瘍を摘出。ボーカルコードも残り その後の経過は順調だった。
あれからもうかれこれ17年ぐらい経つように思う。
義父はその手術後 50代だったが、退職し、
義母と二人でほそぼそと暮らし始めた。
それから数年後に 大腸癌が見つかり、その24時間後には手術。
その経過も良く、州外に住む子供たちを訪ね、夫婦で旅行をしたり、
ちょっとしたパートの仕事をしたりして、老後の生活を楽しんでいた。
2年半前に肝臓癌が発見され、医者から半年の命と言われたこともあり、
そのときの義母や家族のショックは大きかった。
子供たちが皆 それぞれの町からかけつけた。
その時 それぞれの子供たちから、さまざまな意見が出てきた。
抗がん剤治療をしても その副作用で 体が弱り やせ細って 結局は死を迎える。
それよりも 医薬用の大麻をもらい 幸せな気分で毎日を送り 死を迎えるといい。
とか、
1度 抗がん剤治療を受けてみてから その後のことをまた 考えればいい。
とか、
皆がそれぞれ言っていた。
何が大事かって 本人の気持ちが一番。
義父は抗がん剤治療にかけてみる事にし、
治療中 体が弱っても 食べることを絶対に忘れなかった。
腫瘍は医者から奇跡だといわれるほど小さくなり、
治療を受けてないときは 顔色も良く、
生活を楽しんでいる義父母を見るのは何よりも嬉しい事だった。
が、この春 肺に転移していることが分かり、また 抗がん剤治療を始めた。
そしてまた 彼の”生きたい”という強い気のちからでか がん細胞は小さくなり、
数ヶ月を過ごしていた。
この夏、右側の頬から頭にかけ痛みを感じるようになり、
いつしか食べ物を飲み込むことさえ困難になってきた。
検査の結果 咽頭癌が発見された。
腫瘍が食道を圧迫し、飲み込むことが難しくなっているようだ。
あっという間に数キロ体重が落ちたと言う。
このまま大きくなって気道までやられると呼吸が困難になる恐れがあるので
放射線治療で腫瘍を小さくする方法をとることになった。
きっと、体も痩せて 気持ちも沈んでいることだろう。
と、一人 そんなことを思いながら 儀父母を訪れると、
すっかり顔色のいい、なんか光沢まで見られた義父が笑顔で迎えてくれた。
カメ君を抱いて
”この子はハンサムボーイになるよ。”と私の目を見て 話しかけた。
これからの治療に対しても 非常にポジテイブに考えている。
どうなるか分からない先の心配などせず、
この一日を この瞬間を生きることをしている義父を見る。
”生かせてもらっている” 事に深い感謝を持って、、。
また それを思いおこさせてくれた事をありがたく感じることだ。
今日をありがとう!
私も5月に胆嚢を患いましたが、大きな病院に送り
こんだ町医者は胆嚢癌だと思っていたようでした。
実は、東京の姉が抗癌治療の結果、相当な痛みを
感じるようで、ずっと入退院を重ねています。去年
の今頃、元気に福岡で食事したのですが、抗癌治療
の結果、実に悲惨な生活を送っています。
義父さんの例は、なにか奇跡的な気がします。いつ
までも楽しい人生をおくってほしいものですね。
(NHKBSはレッドソックスはよく放送します。ほんの先程までエンジェルスとの地区シリーズを5時間半実況中継していました。)
そうですね・・・”生かせてもらっている” 事に深い感謝して1日1日を大事にいきていきたい、私もそう思いました。
たのしさが続きますように。
役にはたたないけど、祈ってますね。
そして、優しく心温まるコメント嬉しかったです。
ありがとう
応援!
・最新「癌(ガン)」治療法。~高知大学が開発した「放射線増感剤」法・紹介。
http://ee-news.seesaa.net/article/106073900.html
最後の写真がステキ♪
先日の検査で、骨の細胞が大きくなってる事が分ったんです。
義父の生きたい、気持ちを汲み、家族みんながそれを信じて戦っている今、お義父さまにも頑張って戦って欲しいです。
大好きだった叔母も、闘病しましたが、最後まで生きることにこだわって頑張りました。
夫の祖父は、余命1年といわれながらも病気と共存して、病気後13年間生きられました。
その人の寿命はたとえ医師であっても決められません。
私たちが生きている今の時間は、生きたくても生きられなかった人達の時間。生かされていることに感謝です。
応援してます。
母親が癌になった時にもう手遅れ状態で発見されたのだけど
自分達はやっぱり長生きして欲しい!と願うのがあたりまえ
しかしあのきついきつい治療がまっている...
本人の意見が一番いいのだけど
こればかりはどう選択していいのか迷いますよね
とにかく長生きされます様に...祈っています
たぶん義父も治療中は生きたここちがしなかったかも知れません。見るからに苦しそうな頃もありましたが、愚痴を口にしない人ですので。治療後も元気そうにしているとつい回りは 自分たちと同じような思いで以前と変わりなく暮らしていると思いがちですが、、、。
気の力はものすごいものだと 義父を見てみ感じます。
*ロッキンさんへ
健康だとつい忘れてしまうこと。義父によって思い出させてもらえ、ありがたく思います。
*いつママさんへ
ありがとうございます。
あたりまえに感じてしまう 一つ一つのことに大きな感謝を持つと 幸せはみるみるうちに増えていきます。
*くろかめさんへ
情報ありがとうございます。
高知の方なんですね。
これからもよろしくお願いします。
*Reeさんへ
周りのもので支えあっていきましょう。
今回義父は強い頭痛があり、医者から鎮痛剤をもらいましたが、それに”気持ちが沈む 副作用があることがある”と書かれてあり トイレに流した と言っていました。
気はもっとも強い薬でしょうね。
*まーすいさんへ
そうですか。気持ちを強く持つことの大きさを感じます。
”生きたくても生きれなかった人の分 生かされている。”
ほんとうにそうですね。
この世に生まれたことは非常に大きな意味を持っていると思っています。恵まれたこの命に感謝することです。
*ちびかーちゃん
ありがとうございます。
癌で苦しむ患者さんを目のあたりにしたことがあると、”家族のために生きてくれ’とはとても望めませんよね。
本人がもっと生きたいとそう願って 始まるようにも感じます。
時々思うのが いかせてあげることも大切だと、、、。
どんなに大変な病気を抱えてても生きている人、まだ寿命が終わる時期ではないから。
やるべきことがまだまだあるからなんです。
お義父さまもまだまだやらなくてはいけないことがたくさんあるんですね。
しっかりしたお顔、とても癌とは思えませんね。
どれだけ生きるかではなくて どう生きるかですね。