「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

縁は異なもの

2008-01-04 19:20:08 | その他
 官公庁では仕事始め、正月3ヶ日もあっという間ですね。

 本日は休みでしたが、午前8時からの仕事始式に望み、その後帰宅して末娘のクラブ活動も再開ということで、中学まで送っていった帰り、どうしても初詣をしたいと考えていたとある場所へ向う。


 後醍醐天皇社・・・土淵町飯豊


 遠野での城館跡としては大規模で、しかも遺構等もよく残され、多くは伝えられていないが興味深い伝承が語られる花館、その花館の存在を知ったのが2年前、その際に宮沢、飯豊といった地域の謎めいた中世の歴史に着目する自分がおりましたが、熊野神社の他に後醍醐天皇様とよばれる社の存在をはじめて知りました。

 先人の郷土史家達も飯豊地区、隣接の青笹町沢田地区に至る地名等で引っ掛かりがあったらしく、私同様に宮沢、大将洞、君洞、花館と続く史跡の数々に南北朝時代の吉野朝、すなわち南朝方の匂いを感じ取っていたようでもあります。

 そんな中で拙ブログでも時折取り上げておりますが、宮沢の興り・・・・
 こちらをご参照ください

 こちらもご参照ください


 さて、嫁さんの実家が別当である後醍醐天皇社、遠野広しといえども後醍醐天皇を祀った社は存在しない。
 建立は昭和の初めと伺っているが、花館との関連での宮沢地区を調べた際に何度か社を訪ねている。

 昨年11月末に宮沢館跡を探訪調査をしましたが、思い切って社の扉を開けて御神体が何であるのか、棟札のようなものはあるのか、調べてみました。
 すると祠の中は何も入っていない、驚きというよりも単なる口伝での社なのか?と疑いたくなりましたが、このことを義母に告げておりました。





「御神体も何も入ってないガランとした祠だっけす」と嫁さんの母親に告げましたが、義母も気になったらしく、新しい祠脇の朽ち果てた祠近辺を探したということですが、薄っすら積もった雪の下、さらに掘り下げた落葉の中から一編の木片を見つけ出したそうです。

 紛れもなく棟札のようなもので文字が大体判別できる程度、迷わず義母はこれを福泉寺に持って行って見てもらおうと思い、さらに新しいものを作っていただこうと思ったそうです。

 福泉寺住職と奥様は棟札を見るや、これは先代住職宥然和尚が書いたものだと断定したとのこと。


 祠の内部



 後醍醐天皇社建立にあたり、何故当時の宮沢家の人々は棟札を福泉寺にお願いしたのだろう・・・・。
 祖母の話によると集落で流行病が流行した際に修験の人か拝み屋さんが来て、宮沢家本家に後醍醐天皇様を御祀りするようにと言われたから・・・と伺っていますが、当時福泉寺は開山20年程度の新しい寺院、しかも祈祷寺で地元駒木地区や檀家が多い小出地区以外は、まだまだ馴染んでいない存在だったと思われますが、社建立を勧めた人による指示なのか、それともこういった分野は福泉寺であると地域では認識いたのだろうか?





 福泉寺開山に関り、以来最も繋がりが深い我家、福泉寺と後醍醐天皇社を介してはいるが飯豊宮沢家より嫁いで来た嫁さん、のろけ話ではないですが、結婚20年経過で始めて知った由縁、何処か鳥肌の立つ思いでもあります。

 見えない縁があったものなのか・・・・汗・・・・歴史を紐解くはずが別方向へと話が展開してしまいましたが、後醍醐天皇様は私がいずれこの社に来ることを知っていたかもしれませんね・・・・汗 
コメント (16)
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